ダメダメな組織について考える - 『失敗の本質』 戸部良一 寺元義也 鎌田真一 杉之尾孝生 村井友秀 野中郁次郎 著 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

先週の土曜日のことだから、ちょっと前の話なのだが、
土曜出勤をしていたら、なにやら遠くからシュプレヒコールの声が聞こえてきた。
だんだん近づいてくると、どうやら「原発NO」と叫んでいるようで、
ああ、京都でもこういうの、やってるんだなあ、と。

京都というのは、古都でありながら、かつては共産党の知事が長らく府政を握り、、
京都大学には、東大ではありえない「反原発」の研究者を擁するような、
不思議といえば、不思議な土地柄なので、
当然ながらそういう動きが盛り上がってしかるべき、なのだろうが。

しかし、どうなんだろ。
今、至急に叫ぶべきは「原発NO」なのかなあ、と思わなくもない。

あ、いや、「福島の事故はまあ、仕方ない。アレくらいのことにめげずに、日本は原発をどんどん推進すべし」といいたいわけじゃなくて。

素人ながらさまざま報道されたりtwitterで流れてくる情報なぞ見ていて思うことは、
今回の事故は「技術的に防げないものではなかった」らしい、ということ。
でも、あんなことになった上に、その後の後始末もなにがなんだか、いつ収束するやら分からないことになっているのは、
原発そのものよりも、それを扱う側、つまり組織の問題であろう。

と、するならば、今一番大事なのは「原発No」じゃなくて「東電No」、
さらに言えば、各地域の独占企業体が電力の供給も独占して、
それが官僚と結びついて・・・という仕組みの解体だ。

その中で、原発より安くて効率的な発電をオレならやってやるぜ!という人達がどんどん電気つくりゃいいし
いやいや、オレはビル・ゲイツ(最近原子炉に興味津々らしい)と組んで、今までとは違う原子力発電やってやるぜ、という人はやればいいのである。
国策・独占じゃなくなれば、あんな危険なものは、相当な覚悟がなけりゃ、リスクとりきれないだろうし。

既存の「vs電力会社」という枠の中で、「原発NO」「いや、原発が無なきゃ電気がたりない」という議論をしてたら、多分、ラチがあかないのだ。
「電気なんていらない」という選択肢が、事実上ありえない中で、「電気をつくる側=電力会社」が情報も技術も市場も独占しているのだから。
その中で向こうが「誰がなんと言おうと原子力が必要なんです」と言い張れば、多分、「どうしようもない」のだ。

だから「電気を作る側」を増やすべき、なんだと思うけどなあ。
簡単に言ってしまえば、電電公社国鉄もなくなってから、明らかに良くなったでしょ。
電気もそうしなきゃ、という話。

大体、あんな危険なモノを今まで、あんな「ダメ組織」が扱ってたんだと思うとぞっとする。
で、当面は原子力発電所を(廃止するにしても、そのための)オペレーションしなきゃいけないのに、あんな組織に任せておいていいのかね。
経産省とかも含めてさ。

そんなわけで、フリが長くなりましたが、今日のお題は、「日本の組織のだめなところを、壮大な失敗の実例を元に学びましょう」という本です。
(いつもながら、やや無理やりなつなぎ方ですか?)

そして、ケーススタディの俎上に上げられているのは、大東亜戦争当時の大日本帝国陸海軍、であります。

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』
 戸部良一 寺元義也 鎌田真一 杉之尾孝生 村井友秀 野中郁次郎 共著

この本、福島原発事故以降、ジワジワと売れているらしい。
かなり以前に読んだのだが、この際、再読してみた。

それにしても著者、多いなあ・・・。
最後の野中郁次郎とは、あの「知識創造企業」で有名な野中郁次郎である。
他の人達はみな、防衛大学校の先生方・・・と思いきや、野中センセも本書執筆当時は防衛大の先生だったらしい。
そりゃ知らなかった。

正直いって読みやすい本ではない。
手元にある中公文庫版は、あとがき等を含めると、全419ページ。
で、序章で「本書のねらい」「本書のアプローチ」を簡潔に述べた後
「第1章 失敗の事例研究」というのが220ページ近くある。

この第1章で、まずは、ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナルインパール等々
(あ、全て地名です。今時、これみてすぐに分かる人は、戦史マニアか昭和史マニアだろう)の
「失敗した作戦」の事例の解説と分析。
これが、いかにも戦史の専門家の書いた文章って感じで、お世辞にも読みやすいとは言いにくい。

ソ連軍の方針は・・・日本軍を・・・補足して包囲殲滅することであった」とか
「戦力を破摧して敵の野望を断念させ、また敵が長期抗戦を企図する場合には、これを圧倒撃破する、と述べられている」とか、そんな文章。
「摧」なんて漢字、めったのことではお目にかからない。

なお、ちなみに、第2次世界大戦、あるいは太平洋戦争ではなく、大東亜戦争とかいたのは、この本の表記に従っておりますです、はい。

で、これをうけて「第2章 失敗の本質」「第3章 失敗の教訓」と続くわけだが、こちらはこちらで、まあお堅い文章。

まあ、なんとなく予想はつくかもしれないが、組織論的にみた日本軍の「ダメ」なところは、たとえば・・・。

・曖昧な戦略目標
 →たとえばミッドウェー海戦では、「ミッドウェー島を占領すること」と、「ミッドウェーの防衛のために集まってくる米国艦隊をたたくこと」という二重の目標がかかげられ、結果として現場は混乱してしまう。
こういうことは、いざ戦闘に入った時に、現場での瞬時の判断にも影響するのだ。
目標が違えば現場のオペレーションが違うんだから。

・狭くて進化の無いオプション
→「もしダメだったら」ということを、あんまり考えてない。
「当然勝つと思って戦うのだから、負けたときのことを考えるなんてダメ」「必死にやれば絶対上手くいく」みたいなこと。
こういう発想は選択肢を排除する。
で、ちょっと上手くいかなくなると、総崩れ。

・人的ネットワーク偏重、属人的な組織の構造
→まあ、これは日本の組織にはありがちか。
先輩後輩、同窓、同期と、そういうつながりのほうが、組織に構造的に組み込まれたネットワークより物を言う。
しかも、そういうネットワークの中で「声のでかいヤツ」の言うことが結局通っちゃったりなんかして。
で、特に陸軍は「陸軍大学校」でのエリートが参謀組織に結集し、こういう傾向が強かったらしい。

そして、こういう組織構造と、過去の成功体験(日露戦争とか)が、
「学習を軽視した組織」を生みますよ、と。
先輩の偉大な事績を守り続ける。
異議を唱えて、仲間の顔を潰すようなことはしない。

ミッドウエーでの敗北後通常開かれるべき研究会がなかったことについて、
当時の日本軍の参謀の発言が引用されていたので、孫引きすると
「本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、
これを行えば、突っつけば穴だらけであるし、
みな十分反省していることでもあり、その非を十分認めているので、
いまさら突っついて屍に鞭打つ必要が無いと考えたからだった、と記憶する」
そりゃ、だめだって。
負けたときこそやらなきゃ、研究会。

まあ、そのほかにもいくつかあるが、そういうのをうけて第3章では、環境・戦略・資源など7つの分析枠組を用いて「教訓」を導きだす。

まあ興味ある人は読んでくださいな。
・・・といってしまうと、ものすごい無責任になるが、これが「組織論の教科書」みたいな話で、これを簡潔に分かりやすく書くのは、ちっと難しいのだ。
分かりやすくまとめるには、かなりの気合いが必要だ。
そして、日曜のこの時間に、その気合は無いですw スミマセン。

いくつかつまみ食いしてみると、
こういう「日本軍的組織」は、評価にあたって「結果よりもプロセスや動機を重視する」ものだそうで、
つまりこれは「まあ頑張ったんだから、評価してやろう」ということだろう。
でも、それじゃ戦争には勝てないやね。
あと、日本軍には悲壮感が強く余裕や遊びの精神が無かった、
で、こういう組織は客観的にじっくり自己を見つめる余裕がなかったのではないか、と。

そして、日本軍とその教育組織は、画一化した教育での成績が昇進を左右し、いかに要領よく整理・記憶するかがキャリア形成のポイントであったという。
こういう組織は、シナリオが決まっているときには力を発揮するが、不足の自体に対応できないのである。
そして、本書によれば、こういう組織は既存の知識を疑う「学習棄却」を行って自己革新する、という能力を持たないのだそうな。

ちなみに、東京電力で社長になる人は、東大でて企画や総務畑を歩み、先例を躊躇しながら、社内・社外(対政治家・官僚)の調整に力を発揮した人がなる傾向が強いという。
いや、詳しいことは知らないけれど、「組織論」的にみてどうなのか、興味深いところではあります。

ああ、なんか分かりにくい文章になってしまったかな。

先週の土曜日のことだから、ちょっと前の話なのだが、土曜出勤をしていたら、なにやら遠くからシュプレヒコールの声が聞こえてきた。
だんだん近づいてくると、どうやら「原発NO」と叫んでいるようで、ああ、京都でもこういうの、やってるんだなあ、と。

京都というのは、古都でありながら、かつては共産党の知事が長らく府政を握り、、
京都大学には、東大ではありえない「反原発」の研究者を擁するような、
不思議といえば、不思議な土地柄なので、
当然ながらそういう動きが盛り上がってしかるべき、なのだろうが。

しかし、どうなんだろ。
今、至急に叫ぶべきは「原発NO」なのかなあ、と思わなくもない。

あ、いや、「福島の事故はまあ、仕方ない。アレくらいのことにめげずに、日本は原発をどんどん推進すべし」といいたいわけじゃなくて。

素人ながらさまざま報道されたりtwitterで流れてくる情報なぞ見ていて思うことは、今回の事故は「技術的に防げないものではなかった」らしい、ということ。
でも、あんなことになった上に、その後の後始末もなにがなんだか、いつ収束するやら分からないことになっているのは、原発そのものよりも、それを扱う側、つまり組織の問題であろう。

と、するならば、今一番大事なのは「原発No」じゃなくて「東電No」、
さらに言えば、各地域の独占企業体が電力の供給も独占して、
それが官僚と結びついて・・・という仕組みの解体だ。

その中で、原発より安くて効率的な発電をオレならやってやるぜ!という人達がどんどん電気つくりゃいいし、いやいや、オレはビル・ゲイツ(最近原子炉に興味津々らしい)と組んで、今までとは違う原子力発電やってやるぜ、という人はやればいいのである。
国策・独占じゃなくなれば、あんな危険なものは、相当な覚悟がなけりゃ、リスクとりきれないだろうし。

既存の「vs電力会社」という枠の中で、「原発NO」「いや、原発が無なきゃ電気がたりない」という議論をしてたら、多分、ラチがあかないのだ。
「電気なんていらない」という選択肢が、事実上ありえない中で、「電気をつくる側=電力会社」が情報も技術も市場も独占しているのだから。
その中で向こうが「誰がなんと言おうと原子力が必要なんです」と言い張れば、多分、「どうしようもない」のだ。

だから「電気を作る側」を増やすべき、なんだと思うけどなあ。
簡単に言ってしまえば、電電公社国鉄もなくなってから、明らかに良くなったでしょ。
電気もそうしなきゃ、という話。

大体、あんな危険なモノを今まで、あんな「ダメ組織」が扱ってたんだと思うとぞっとする。
で、当面は原子力発電所を(廃止するにしても、そのための)オペレーションしなきゃいけないのに、あんな組織に任せておいていいのかね。
経産省とかも含めてさ。

そんなわけで、フリが長くなりましたが、今日のお題は、「日本の組織のだめなところを、壮大な失敗の実例を元に学びましょう」という本です。
(いつもながら、やや無理やりなつなぎ方ですか?)

そして、ケーススタディの俎上に上げられているのは、大東亜戦争当時の大日本帝国陸海軍、であります。

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』
 戸部良一 寺元義也 鎌田真一 杉之尾孝生 村井友秀 野中郁次郎 共著

この本、福島原発事故以降、ジワジワと売れているらしい。
かなり以前に読んだのだが、この際、再読してみた。

それにしても著者、多いなあ・・・。
最後の野中郁次郎とは、あの「知識創造企業」で有名な野中郁次郎である。
他の人達はみな、防衛大学校の先生方・・・と思いきや、野中センセも本書執筆当時は防衛大の先生だったらしい。
そりゃ知らなかった。

正直いって読みやすい本ではない。
手元にある中公文庫版は、あとがき等を含めると、全419ページ。
で、序章で「本書のねらい」「本書のアプローチ」を簡潔に述べた後
「第1章 失敗の事例研究」というのが220ページ近くある。

この第1章で、まずは、ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナルインパール等々
(あ、全て地名です。今時、これみてすぐに分かる人は、戦史マニアか昭和史マニアだろう)の
「失敗した作戦」の事例の解説と分析。
これが、いかにも戦史の専門家の書いた文章って感じで、お世辞にも読みやすいとは言いにくい。

ソ連軍の方針は・・・日本軍を・・・補足して包囲殲滅することであった」とか
「戦力を破摧して敵の野望を断念させ、また敵が長期抗戦を企図する場合には、これを圧倒撃破する、と述べられている」とか、そんな文章。
「摧」なんて漢字、めったのことではお目にかからない。

なお、ちなみに、第2次世界大戦、あるいは太平洋戦争ではなく、大東亜戦争とかいたのは、この本の表記に従っておりますです、はい。

で、これをうけて「第2章 失敗の本質」「第3章 失敗の教訓」と続くわけだが、こちらはこちらで、まあお堅い文章。

まあ、なんとなく予想はつくかもしれないが、組織論的にみた日本軍の「ダメ」なところは、たとえば・・・。

・曖昧な戦略目標
 →たとえばミッドウェー海戦では、「ミッドウェー島を占領すること」と、「ミッドウェーの防衛のために集まってくる米国艦隊をたたくこと」という二重の目標がかかげられ、結果として現場は混乱してしまう。
こういうことは、いざ戦闘に入った時に、現場での瞬時の判断にも影響するのだ。
目標が違えば現場のオペレーションが違うんだから。

・狭くて進化の無いオプション
→「もしダメだったら」ということを、あんまり考えてない。
「当然勝つと思って戦うのだから、負けたときのことを考えるなんてダメ」「必死にやれば絶対上手くいく」みたいなこと。
こういう発想は選択肢を排除する。
で、ちょっと上手くいかなくなると、総崩れ。

・人的ネットワーク偏重、属人的な組織の構造
→まあ、これは日本の組織にはありがちか。
先輩後輩、同窓、同期と、そういうつながりのほうが、組織に構造的に組み込まれたネットワークより物を言う。
しかも、そういうネットワークの中で「声のでかいヤツ」の言うことが結局通っちゃったりなんかして。
で、特に陸軍は「陸軍大学校」でのエリートが参謀組織に結集し、こういう傾向が強かったらしい。

そして、こういう組織構造と、過去の成功体験(日露戦争とか)が、
「学習を軽視した組織」を生みますよ、と。
先輩の偉大な事績を守り続ける。
異議を唱えて、仲間の顔を潰すようなことはしない。

ミッドウエーでの敗北後通常開かれるべき研究会がなかったことについて、
当時の日本軍の参謀の発言が引用されていたので、孫引きすると
「本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、
これを行えば、突っつけば穴だらけであるし、
みな十分反省していることでもあり、その非を十分認めているので、
いまさら突っついて屍に鞭打つ必要が無いと考えたからだった、と記憶する」
そりゃ、だめだって。
負けたときこそやらなきゃ、研究会。

まあ、そのほかにもいくつかあるが、そういうのをうけて第3章では、環境・戦略・資源など7つの分析枠組を用いて「教訓」を導きだす。

まあ興味ある人は読んでくださいな。
・・・といってしまうと、ものすごい無責任になるが、これが「組織論の教科書」みたいな話で、これを簡潔に分かりやすく書くのは、ちっと難しいのだ。
分かりやすくまとめるには、かなりの気合いが必要だ。
そして、日曜のこの時間に、その気合は無いですw スミマセン。

いくつかつまみ食いしてみると、
こういう「日本軍的組織」は、評価にあたって「結果よりもプロセスや動機を重視する」ものだそうで、
つまりこれは「まあ頑張ったんだから、評価してやろう」ということだろう。
でも、それじゃ戦争には勝てないやね。
あと、日本軍には悲壮感が強く余裕や遊びの精神が無かった、
で、こういう組織は客観的にじっくり自己を見つめる余裕がなかったのではないか、と。

そして、日本軍とその教育組織は、画一化した教育での成績が昇進を左右し、いかに要領よく整理・記憶するかがキャリア形成のポイントであったという。
こういう組織は、シナリオが決まっているときには力を発揮するが、不足の自体に対応できないのである。
そして、本書によれば、こういう組織は既存の知識を疑う「学習棄却」を行って自己革新する、という能力を持たないのだそうな。

ちなみに、東京電力で社長になる人は、東大でて企画や総務畑を歩み、先例を躊躇しながら、社内・社外(対政治家・官僚)の調整に力を発揮した人がなる傾向が強いという。
いや、詳しいことは知らないけれど、「組織論」的にみてどうなのか、興味深いところではあります。

ああ、なんか分かりにくい文章になってしまったかな。