結局、書かなきゃ文章なんて上手くなれない ― 『知的文章とプレゼンテーション』  黒木登志夫 著

知的文章とプレゼンテーション―日本語の場合、英語の場合 (中公新書)

知的文章とプレゼンテーション―日本語の場合、英語の場合 (中公新書)

ああ、心に隙があると、ついついまたこういう本を買ってしまうなあ。。。

その本とは、これ。

『知的文章とプレゼンテーション』黒木登志夫 著 (中公新書

こういう本、というのは、文章読本とか文章技術系と、その周辺領域としての日本語論系統の本のこと。

で、また、数が多いんだ、この手の本って。

なぜ買ってしまうかって?
そりゃ、あなた、文章を上手く、早く書けるようになりたいからに決まってるじゃないですか。
いや、読んだからって上手くなるもんじゃないんですが。
(このあたりは、ビジネス書読んでも儲からないのと一緒か)

何を隠そう、って隠すことでもないのだが、小学校の授業で何が嫌いって、作文とか読書感想文ほど嫌いなものは無かった。

書けないし、何を書いていいのか分からないのである。
本読んでどう思ったか書けといわれても、面白かった、で終わっちゃうしさ。
まして、よく分からなかったとか、つまらなかったと書いては、どうやらいけないらしいのである。

遠足のことを作文に書けというから、朝起きて学校にいってバス乗って山に行って、と順々に遠足に行った日のことを書くと、いけないらしいのである。

今にして思えば、「文章の書き方」を教えていないのに「文章を書け」というのが、理不尽なんじゃないか、と思う。

で、しかも、そこで「良い」といわれる文章って、多少文学チックで、なんというか「論理」や「明瞭さ」以上に「美しさ」や「感性」が重視されたりするのである。
(いや、小学校時代にそんな難しいことを考えていたわけではないが、今から思えば、そうだったなあ、という話)

実は、そんな「文学的感性」は、社会に出てしまうと、そんなに必要とされない。
「遠足で一番楽しかったことをいきいきと書く」能力よりも、「遠足の一日の経過を、つまらなくても、誰にでも分かるように書く」ことのほうが、よっぽど重要だったりする。


皆さん、文章の書き方って、学校で習ったことありますか?

いや、漢字や言葉の意味は習ったし、句読点とかかぎ括弧とか段落というものを使い分けなきゃいけないらしい、といったことは習ったけど、後は、「思ったことや感じたことを、そのままに紙に書けば、よい作文が書ける」みたいな教わり方をした気がする。

そんな都合のいい話があるものか。
そのまま紙に書けば良い作文がかけるのなら、世の中に文章で苦労する人はいなくなる。


大体、日本の小中学校の「国語」って、「文学」に偏り勝ちで、どうも「漢字の学習」と「文学を中心とした文章の読解・鑑賞」ばっかりやっていたような気がする。
いや、最近は知らないが、少なくともアタクシは文章の書き方とか、ちゃんとした人前の話し方とか、あんまり習った記憶が無い。

この辺のことは、かなり以前からいろいろな人が指摘している「日本の国語教育の問題点」らしいのだが、今の学校でどの程度改善されているものなんだろうか?

本を読むのは好きだけど、文章書くのが苦手だったアタクシは次第に、文章読本とか、そういう類の本を読むようになって、この辺の「国語の問題点」について知るところとなった。
その結果、「ああ、自分が作文苦手なのは、学校のせいだな」という格好の言い訳を見つけることになる・・・というのは、半分冗談だが、ああ、思ったことを思ったとおり書くってのは難しいんだなあ、ということを知り、多少、気が楽になったように思う。

念のため言っておけば、これは別に「思っても無いことを書いたほうが良い」ということではなくて、「思ったことを言葉にするには、技術というものがある」ということだ。

この辺、いろいろ思うところはあるし、過去に読んだ本の話をしてもいいのだが、、書き出すと長くなりそうなので、今回は省略。

この本の内容についていえば、著者は東北大医学部卒→東大教授→岐阜大学学長、という超エリートさんで、日本癌学会の会長も勤めた研究者さん。
特に、理系の研究者として論文や研究発表をやってきた経験からまとめられている。
(そういえば、この手の名著として木下是夫著『理科系の作文技術』というロングセラーがあった。
わりあい分かりやすい本。
たしかこれが好評で、同著者が「理科系」にこだわらない作文・レポート技術の本も出してたはず。)

え〜っと、トータルとして、人に特別にオススメはしません、この本w
悪い本じゃないんだけど。

まず第一印象としては詰め込みすぎかなあ。
理系、文系の区別は無い、という話から始まって、「日本語は非論理的か?」という話題とか、人をひきつけるプレゼンテーションとか、英語についての考え方から、PCの使い方まで新書一冊に盛り込むのはやりすぎw
けっこ膨大な参考文献を引用していて、日本語や日本文化の問題にまで言及しているあたり、興味深いのだが、いかんせん、話広げすぎて、一つ一つが浅い。
で、「特別に新しい発見」はないので、それぞれのテーマについて類書を読んだほうがよかろう。

あと、やはり、まずは理系の研究者を念頭において(というか、著者がその世界しか知らない)ので、論文とか、研究費獲得の申請書とかの書き方、という切り口で話が進められていて、そのままでは参考になりにくいな。
その辺は、それぞれの立場に置き換えて「企画書」なり何なりを想定して読めばいいが。

まあ、逆に、広く浅く、文章について考えるには、いいのかもしれないが。
文章は極めて明瞭だし、「この分野の専門家」じゃないから、難しいことは言わないし。

やはり理系の研究者だからなのか、たとえば読点の話をするのに「因みに、本章の読点の数は、文あたり1.9個、ほぼ13字に1個の割合で、読点があることになる」などと、やたらと厳密に分析して見せるのがちょっと面白い。
あと、各章末に、7〜8程度のポイントを、一つのポイントあたり必ず3行にして、まとめているのが、分かりやすくていい。

ってか、これ自体が「よいまとめ方」の実例になりそうだな。
残念ながら「どうしたら、こういう風に上手くまとめられるようになるのか」は書かれていないわけだが。

いくつか、章も無視して面白いのを引いてみましょうか。

・知的三原則《簡潔・明解・論理的》
ドキュメントを書くときでも、プレゼンテーションをするときでも、日本語でも、英語でも、知的であるためには《簡潔・明解・論理的》の三原則を守る。

・パラグラフは論理単位
パラグラフは論理の単位である。一つのパラグラフには一つのテーマが入る。パラグラフのつながりが論理を展開する。パラグラフの過不足、順序に注意する。

・事実と意見をわける
事実は事実として、正確に記述する。事実の解釈、仮説、将来の展望などは、事実と峻別し、考察などの項目で書く。

・「無邪気で鈍感な人(注・外国人は英語を話すのが当たり前で、英語力が無い人は知的レベルも低い、と思っている英語圏ネイティブの人のこと)」とつきあう
「無邪気で鈍感」なネイティブと付き合うためには、我々自身も「無邪気」に英語が大事だと思うほかない。そして、英語の「幸福な奴隷」になることである。

・Glolish(Global Engish)を使う
英語はノン・ネイティブの言葉、Glolishになったのだ。Glolishは、ブロークン英語ではない。お国訛りがあっても、文法が間違っていても、堂々と話せばよい。

・大事なのは日本語
母語以上に外国語が上手になることはありえない。日本語で考え、表現する能力が、英語表現の基礎となる。英語は衣服に過ぎない。大事なのは中身。


あ、あと、いつぞやP&Gの本で紹介した「3」というルールが、ここにも出てきました。
スティーブ・ジョブズ、ケネティ元大統領、オバマ大統領も「3点」にまとめるのが大好きなんだとか。
因みに、なぜ「3」なのかについては、「われわれが無理なく理解し、思い出すことが出来るのかは、せいぜい3項目くらいまでだからである」と、さらっと流されてます。

まあ、世に文章がかけないと悩んでいる人は多く、それゆえに文章読本とか文章指南の本というのも多い。
では、読んだら上手くなれるか、というと、まあヒントは得られる、というくらいですかね。
アタクシの経験から言えば。

ただ、「ビジネス本は読んでも儲からない」のに比べて、文章についての本が多少は役に立つことがある気がするのは、まさにその本自体が「文章」であって、まねるべき「お手本」であることも多いから、かもしれません。
文書読本の文章がダメダメだったら、誰も買わないもんね。

まあ、結局「数こなさないと上手くならない」ですけどね。
そこで、数さえこなせばいいのかといえば、もちろんそんなことは無くて、思いつくまま好き勝手に読書日記とか書き飛ばして、とくに読み返しも反省もしなければ、上達することはないわけですが。

ではでは。