デブになるのは誰のせい? ―『アメリカ人はなぜ肥るのか』 猪瀬聖 著

アメリカ人はなぜ肥るのか (日経プレミアシリーズ)

アメリカ人はなぜ肥るのか (日経プレミアシリーズ)

カービーダンスというのが流行っているらしい。
いわゆるダイエットのための体操の新種らしく、本屋に関連書籍が積みあがっている。
テレビでも結構やっているらしいが、知らなかった。
アタクシが見るような番組には登場していないしな。アメトーークのテーマにもなってないし。

果たして、いつまで流行っているのかな? ビリーズ・ブートキャンプは今いずこ?
まあ、これだけ色々、手を変え品を変え、新しいのが出てきても、それがそれなりに売れる、ということは、市場がそれだけ大きいということだ。

ことほどさように、ダイエットというのは現代人にとって大きな関心事なわけだが、考えてみれば「栄養の取りすぎ」が問題になるというのはゼータクな話ではある。
それだけ世の中が豊かだってことだ。

今回取り上げる本は、そんな「豊かな社会」の行き着く先はどこなのか、という「先行指標」についてのレポート、といったらいいのかな?


『アメリカ人はなぜ肥るのか』 猪瀬聖 著

著者は日経新聞の元LA駐在記者。
いかにも新聞記者のルポっぽく「キャッチーなエピソード」をつかみに、アメリカ人の肥満の実態、その背景に迫り、そこに潜む問題点を告発し、翻って日本人にとっても「対岸の火事ではない」と、警告する構成。

劈頭に来るのは、「ディズニーのアトラクション改造 衝撃の真相」。
カリフォルニア・ディズニーランドで「イッツ・ア・スモールワールド」が約1年間かけて大改装されたのだが、その理由が「体重オーバーの客のせいでボートが沈み、水路の底にボートがひっかかかって動かなくなる自体が頻発している」からだというのだ。
ディズニーはこの説を完全否定しているらしいのだが、この件を告発した著名ディズニー・ウォッチャー(!?)によれば「肥満の客は『カリブの海賊』や『ピノキオ』などほかのアトラクションでも同様の問題を引き起こしている」という。

以下、有名人の飛行機搭乗拒否事件とか、重過ぎる救急患者をフォークリフトとトラックで運び出す話といったエピソードも色々。

では、なんでそれだけ、アメリカには肥満が多いのか。

まず格差社会
アメリカが先進国屈指の格差社会である、というのは、あちらこちらで言われていることだが、その「下層」のアメリカ人にとって心強い存在がジャンクフード。
貧困層が住む地域ほどファーストフード店くらいしか店がなく、治安が悪くて子供は外で遊べない、両親は共働きでろくに料理をする時間も無い
とまあ、複合的な条件が重なってくる。
因みに、生鮮食料品を扱うスーパーマーケットがなく、住民がファーストフードに依存せざるを得ない地域や、そういう状態のことを「フードデザート」というらしい。


日本では考えられないことだが、1990年代以降、アメリカでは公立学校の給食にもファーストフードは進出している。
州によっても異なるが、基本的には予算不足の学校がファーストフード企業と手を組んでいるのが常態化。
そもそも日本と違って、給食のスタイルが「カフェテリア方式」がメインで、子供が好きなものを選んで食べる。
嫌いな献立を食べ終わるまで休み時間がもらえなかった、というような「給食のトラウマ」からは無縁だ。

他にも、自動車社会で基本的に動かない、とか、単純な食文化なので脂っこくて濃い味のものとやたら甘いお菓子ばっかり食べてる、とか、いろいろ要因はあるのだが、ちょっと興味深かったのは、「農業政策」の話かな?

アメリカではトウモロコシの生産に膨大な補助金がつぎ込まれている。
トウモロコシ農家への補助金は年間50億ドル(1ドル75円なら3750億円、80円なら4000億円)。
で、遺伝子組み換えのタネを機械化大規模農業で、除草剤などを多用して作るから、育てるのも簡単。

これをコカコーラや、穀物商社のカーギルなどの大企業が買い取る。
なぜコカコーラ? と思うかもしれないが、トウモロコシ、実は、コーンシロップという形で、砂糖の代用品になるのである。
(日本だと、「果糖ぶどう糖液糖」と表記されているのが、これ)
他にも、ハンバーグ用の安い肉用の牛の飼料はトウモロコシだったり、とか。
なんだか政・官・財のトライアングルの存在が透けて見えるな。
農業と政治が絡みつくのは、コメだけの話ではないらしい。

その辺の背景は『キング・コーン』というドキュメンタリー映画でも取り上げられているそうな。

(ご参考までに 映画評論家の町山智宏氏がこの映画についてブログ書かれてました。 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20071113 アメリカがトウモロコシに補助金を出す理由の一つにキューバ革命以降、サトウキビがキューバから輸入できなくなったので、その代替品としてコーンシロップの自給を促進したという面があるらしいっす)

もちろん、こういった動きに対抗する動きも出てきていて、たとえばファーストレディのオバマ・ミシェル女史は、食育問題にかなり熱心だそうだが、はたしてどうなんですかね?

この本の言わんとすることを、乱暴にまとめてしまえば「肥満というのは、社会構造が生み出す問題である」ということだろう。

そして、世界がなんだかんだいって「アメリカ化」に動いている中、肥満問題も、世界に広がっていくんじゃないのか?、というのが著者の問題提起なわけだが、果たしてどうだろうか?

本書に引用されている2010年のOECDの統計ランキングによれば、アメリカの総人口における肥満率は33.8%。対して日本は3.3%。
まだまだ肥満の「グローバル化」は進んでいないようではある。

(ここで文句が一つ。本書の中で、アメリカではBMI30以上が肥満、日本では25以上が肥満と定義されている、という記述があるのだが、このOECD統計ではどちらなのかが明記されていない。多分30以上だとおもうけど。
新聞記者が書いた本は、往々にしてこういう「ツメの甘い」ことがある)

このランキングをみていて気づいたのだが、フランスが11.1%、イタリアが9.9%と、ランキングではかなり下位に来ている。
両方とも、世界に冠たる美食の国。

やっぱり、アメリカ人に肥満がおおいのって、結局、大味でコッテリしたものばっかりくっていて、繊細な味の違いを楽しむ豊かな食文化が無いからじゃないのか? といってしまっては、この本の9割がたを否定してしまうことになるのだがな。