神話解体の序曲 ― 『日本海軍 400時間の証言』 NHKスペシャル取材班

日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦

日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦

むかし陸軍いま財務省、とか、むかし陸軍いま霞ヶ関、とか、むかし陸軍いま東電とか、まあ、なんでもいいんだが、
強大な権力をもって、外からの統制が入らず、自分たちの利益をなにより優先して傍若無人に振舞う組織を形容するのに
「陸軍=旧日本陸軍」というのは、まことによく引き合いに出される。
組織論とかのビジネス書でも、「ダメな組織」の典型として、とりあえず陸軍だしときゃ間違いないだろ、という感じもある。

中でも、関東軍(中国の関東州=遼東半島に駐留した軍隊にルーツをもつ、簡単に言えば中国方面を仕切った陸軍の組織。「関東地方にいた軍隊」ではないので、念のため)が、
中央の統制を無視して満州事変やらなんやら起こし、それをずるずると追認していったがために、日本が戦争を拡大していくことになった・・・というストーリーは、多少日本の近代史に興味がある人には、ほとんど常識に属することのようで、以前にこの日記に書いた『失敗の本質』という本にも出てくる。

そして、そんな陸軍に引きずられるようにして、海軍も戦争への道を歩まざるをえなくなった・・・と信じている人は多い。
たとえば、アタクシの亡父なんかは、そうだった。まあ個人的なことはいいんだけど。

で、それって本当かいな? と疑問を投げかけるのが、今回のお題のこの本である。

日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦

2009年8月9日から3夜連続で放映された同名のNHKスペシャルに携わったスタッフがまとめた一冊。
ただ内容を文字に置き換えたわけではなくて、このような番組が作成されるにいたった経緯や、取材の裏話までも含めたノンフィクション、といえばいいのかな。

この番組、事の発端は、NHKのプロデューサー氏が戸高一正氏という戦史研究者に「出版した本の中で、ミスがあった」ために謝罪に出かけたことにはじまる。
そのとき、戸高氏の知識に感嘆したプロデューサー氏は、戸高氏を招いて、NHKで勉強会を始める。
そして出会いから2年目、戸田氏は、海軍の中枢で作戦立案などをしていた「軍令部」の中枢の海軍士官が、戦後秘密裏に「海軍反省会」を行っていたこと、そしてその録音テープが存在することを明かすのだ。
かくして、この400時間に上る「反省会」のテープを解読し、ドキュメンタリー番組を制作するというプロジェクトが始まるのである。

この「反省会」は1980年間から11年間にわたって続けられたという。

この本(および実際の番組)で追求されたテーマは3つ。
・開戦。つまり太平洋戦争の開戦にいたるまでの海軍軍令部でどのような意思決定がなされ、どのように開戦に突き進んでいったのか
・特攻。「神風」に代表される特攻攻撃はどのように始まったのか
・戦犯裁判。 戦後、海軍は組織を挙げて戦争裁判の対策を行ったのだが、それはどのようなものだったのか。

以下、390頁を超える本書の内容を逐一説明するわけにも行かないので断片的になるのだが、
たとえば、開戦について。
こんな証言は、衝撃的だ。

「海軍は今まで、その、軍備拡張のためにはずいぶん予算を使ったじゃないかと、それでおりながら戦えないというならば“予算を削っちまえ”と。そしてその分を、“陸軍によこせ”ということにでもなればですね、陸軍が今度はもっとその軍備を拡張し、それから言うことを、強く言い出すと。(略)そういうふうになっちゃ困るからというんでですね、一切言わないと。負けるとか何とか、戦えないというようなことは一切言わないと」
つまり、予算と組織と面子を守るためには、陸軍に対して「アメリカと戦っても負ける」なんていう冷静な判断を、言うわけにも行かない、ということである。

他にもあの当時の陸軍の考え方やマスコミ、一般世論を考えれば、もし戦争に反対したら、内乱が発生するんではないか、という恐れも語られていたりする。
(本書には直接でてこないが、開戦前夜、「米国撃つべし」という世論が一般的で、真珠湾攻撃の成功にみんなが沸き立った、という話は、色々なところに出てくる)

あと、こんなやりとりも考えさせられるかな。
「日本の独立を守っていくためには、戦争せざるを得ないんだと、そういう考えで戦争に走ったと思うんですよ。そうじゃないんでしょうか」
「それだと非常に良いんですがね、そうじゃないから問題になっているんですよ」
・・・。

他にも、特攻攻撃について。人間魚雷「回天」などの「特攻兵器」が海軍上層部の主導で作られ、作戦実行に移されていく過程や、戦後、海軍上層部を戦争裁判から守るため、いかに第二復員省(戦後、海軍省から衣替えした組織)が動き、また、上層部を守るために下級の人間を切り捨てていったか、という過程が明らかにされている。


因みに、東京裁判で絞首刑となった「A級戦犯」は、陸軍関係者が6人、文官1人。
海軍関係者は一人もいない。
このことも、戦後「海軍善玉論」という神話を形作る要因となった。


他にも、詳述はしないが、皇族・梨本宮元帥の海軍軍令部総長としての役割とか、中国のサンソウ島における海軍の暴虐行為(これは、証言がいくつかあるだけで、正確なところはわからないようだが)は、これまで、ほとんど一般には知られていなかった事実なのではないか。
あと、捕虜の扱いについて陸軍よりも「海軍の方が思い切ったことをする」(=証拠隠滅のために全部殺してしまったり)というのは、多少、日本史に興味がある人(=たとえばアタクシ)なんかにとっては、極めて意外だろう。

証言の中に(本書の帯にも使われているのだが)「陸軍は暴力犯。海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れていた」という言葉が出てくる。
たいていの組織は何らかの目的をもって作られるものだが、それが本来の目的を忘れ、「組織を維持する」ことを目的として暴走し始めたとき、そこに「歯止め」は無くなる。

というわけで、昭和史または「日本的な組織」に興味がある人にとっては一読の価値がある一冊。

なお、本書は日本海軍についてのノンフィクションであるとともに、日本海軍の番組を作るために取材に奮闘するNHKスタッフについてのノンフィクションでもある。
取材や資料の発掘によって真実を追いかけていく姿や、その過程でスタッフが感じた葛藤、取材対象との対話の中で垣間見える人間の姿など、それはそれで面白い。
面白い、んだけど、そういう部分を除いた、純粋な「歴史書」バージョンがほしい人も多いのではないか?
執筆者の思い入れは、よ〜く分かるんだけどさ。

あ、そうか。スタッフの主観を抑えたバージョンは「NHKスペシャル」として完成品になっているから、ここには「裏話」的な要素を入れないと差別化できないわけだね。
でも「映像作品」じゃなくて「書籍」のほうが、しっかりした形で後世に残ると思うし。

ま、その辺はもう、テレビ屋さんじゃなくて、歴史家さんや学者さんのお仕事になるのか。
っていうか、国のお金をつかってやってもいい仕事だと思うけどね。

ではでは。

【追記】
この「海軍反省会」そのものについては、随時刊行されているとご指摘いただきました。
[証言録]海軍反省会
でも、全文文字起こしだと、それはそれで貴重だけど、なかなかフツーの人が読むのはしんどいよなあ。上手くまとめた解説本とか、出してくれないかしら。。。