人が笑う理由は説明できるのか? ― 『らくごDE枝雀』 桂枝雀 著

らくごDE枝雀 (ちくま文庫)

らくごDE枝雀 (ちくま文庫)

なんで突然こんな本なんだよ、という話だが、たまには、まったくのマニアックな趣味の世界に走ってもよかろうってことで。

今回、なぜ本棚の奥からずいぶん前に読んだこの本を引っ張り出してきたかといえば、「キングオブコント」の後半をちらっとテレビで見ているうちに思い出したから。

「審査基準がよく分からない」
「あれ、本当に面白いのか?」
「準決勝で落っこちた100人が審査するって形式は、事務所のしがらみやら先輩・後輩関係が絡むから審査が公平じゃないだろ」
などと巷間いろいろと言われている「キングオブコント」だが、
大体「ベタ」で万人ウケするコントは「コント形式の漫才」でも表現できちゃうから、
「コント」でしかやれないことを目指すと、「分かる人にしか分からない」ものになっちゃうのではなかろうか?

「お涙頂戴」という言葉が示すように、人を「泣き」の感情に導くのは、実はそんなに難しくない。
たいていの人は、「ベタ」で「お約束」で「オチが分かって」いるものに対しても、泣くときは泣くのである。
泣く、までいかなくとも、「何で泣いているのか分からない」ということは起こりにくかろう。

それに比べて「笑い」は大変だ。一人ひとり「ツボ」が違うし、タイミングやら「空気」やら、色々な要素が複雑に介在する。
「昨日みた、めっちゃ面白いテレビ」のことを翌日クラスメートに伝えようとして、イマイチ上手くいかなかった経験を持つ人は多いと思う。

そもそも、人はどんなときに笑うのか。
故・桂枝雀(かつら・しじゃく)師匠という人は、そのことを論理的かつ徹底的に考え抜いた人であった。
その成果をまとめたのが
この「らくごDE枝雀」という本なのである。

各章ごとに、枝雀師匠の落語を文字に起したものを前半におき、後半は、枝雀師匠と、落語作家として著名な小佐田定雄氏の対談形式の文章が続くという、一見軽そうな本なのだが、中身は濃い。
(ここで念のため。古典落語というのは「基本のストーリー」というのは伝承されるが、語り方や人物のキャラクター設定、セリフの細部や「くすぐり(=ギャグ)」はすべて演者のオリジナルに任されている。だから、文字に起しただけでも、人によって大分ちがうのである)。

松本人志千原ジュニア宮迫博之といった芸人さんが、ごくたまに「緊張の緩和」という言葉を使うことがある。
「笑いとは、緊張の緩和である」
この命題を主張したのは枝雀師匠であり、この本の中で、それを理論的に肉付けして、落語の「オチ」を分析してみせた。
その考えは、今の芸人さんにも受け継がれている。
NSC(吉本の養成所)で教えているのかもしれない。

師匠によれば、人が笑うのは「いわゆる生理的なもんが根本」だという。
そして、人の笑いの起源について、こんな風に語る。
「すなわち、『緊張の緩和』がすべての根本なんですわ。はじめグーッと息を詰めてパーッとはき出す。グーッが『緊張』でパーッが『緩和』です。『笑い』の元祖ちゅうことンなると、我々の祖先が大昔にマンモスと戦うてそれを仕留める。戦うてるときはエラ緊張でっさかい息を詰めている。けどマンモスがドターッと倒れたら息をワーッと吐き出して、それが喜びの『笑い』になったんや……とねェ」

また、「変」な状態、普通でない状態になると人は緊張する。それが普通の状態に戻ると緩和されて、人は笑う、という。

これ、「ボケ」がとんでもないこといって、突っ込みが「なんでやねん」と常識=普通の状態へと引き戻す、というのと構造的に同じだろう。


師匠の議論は、この「緊張の緩和」の仕方にも色々ある、ということで、古典落語のサゲ(=落ち)を4つに分類し、その構造を図解で解説するなど、どんどんマニアックな方向に進んでいく。
きわめてリクツっぽい上、落語の知識が多少は必要とされるので、なかなかに先に進むのは難しかろうが、読み進めていくと、いかに桂枝雀という人が、「笑い」というものと徹底的に向き合っていたかが分かる。


ご案内の人も多いと思うが、枝雀師匠は、あまりに笑いを突き詰めすぎたせいか、1999年に59歳の若さで世を去った。
爆笑を欲しいままにした師匠の裏に潜む壮絶さに、背筋が伸びる思いがする。


これを書いていて思い出したのだが、枝雀師匠が生前、得意にしていたネタ「幽霊の辻」を東京で引き継いでいる、柳家権太楼という師匠がいる。
この人も、笑いについて語り出すとかなりリクツっぽい人なのだが、何年前だったか、東京の池袋演芸場で、この人が、「自分の師匠である先代柳家小さんの落語がなぜ面白いのか」をマクラで延々と語ったことがあった。

そして散々かたった最後に
「落語分析する奴なんてろくなもんじゃねえ。落語なんて面白いか、つまらないかしか、ねぇんだから」。
その、間と吐き捨てる口調がなんだか面白くて、場内には笑いが起こったのだが、今思えば、あれは見事な緊張と緩和だったかもしれない。

・・・それにしても、なんともマニアックな日記になってしまったな。
なんで、こんなことを書いていたんだっけ? あ、そうそう、「キングオブコント」であった。

「面白いか、つまらないかしか、ねぇ」のは、落語に限らず、コントも漫才も一緒だろう。
ちなみに「キングオブコント」、後半のネタのいくつかしか見てないけど、個人的には「ああ、面白い、と、つまらない、しかねえんだなあ」という感じでした。
つまり、「つまらない」やつはマジ「つまらなかった」ということです、はい。