ある「元美青年」の人生について ― 『渡邊恒夫 メディアと権力』 魚住昭 著

多分、本当に野球の好きな人、中でもドラゴンズファンおよびホークスファンの皆さんの中には、人事を巡る内紛でスポーツ新聞の紙面をジャックした読売巨人軍に対して、怒り心頭の方もおられるのではないかと思う。
いや、心中はお察しするけれど、個人的にはネベツネvs清武の場外乱闘が興味深くて仕方ない。

ことの発端は、清武・巨人軍球団代表兼ゼネラルマネジャーがネベツネさんの「コンプライアンス上の問題点」を告発したことに始まるわけだが、コトの次第を改めてまとめるのも面倒いので、それぞれが出された公式のコメントへのリンクなぞ。

巨人・清武代表声明 全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201111110311.html

渡辺恒雄球団会長の反論談話 全文
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111112/bbl11111220060027-n1.htm

清武GMの再反論コメント全文
http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20111113-862710.html

こうして並べてみると、まずナベツネという人がなにゆえ読売の帝国のドンとして御歳85歳になった現在も君臨し続けるのか、その力の一端が垣間見えて、背筋が寒くなる。

お〜こわ。

徹底して論理的な反駁の中に、
桃井君、白石君、読売社内や巨人関係者、原君、などと次々と名前を出すことで、「ほら、お前の周囲には味方はいねえんだよ」とつきつけ

「『米国の方程式でいえばGMはクビ』という広岡達朗さんの言葉(12日付サンケイスポーツ)はもっともだと思います」と、外部からの視点を引用して客観性を担保し、

「今回の清武君の行動は、会社法355条の『取締役の忠実義務』違反」と、法的にも「ツメ」ていることを匂わせつつ

「今後の対応は、本人の反省次第であり、現時点ではただちに処分を求めるつもりはありません。」と締める。

ひょえ〜。

あ、これ、「現時点でただちに健康に被害をもたらすものではない」と字面は似ているが、緊急度はこちらのほうが高かろう。

とはいえ、ナベツネ談話にもご自身の言動との矛盾もあり、清武側が、そこを辛うじて反論←今ココ、である。

ま、甘っちょろいヤツが相手なら、ネベツネ談話が出た時点で震え上がるし、多少の矛盾は力で封じ込めるのだろうが、清武さんも今更引くつもりもないらしい。


「清武だってミニ・ナベツネじゃね〜か」という声はとりあえずおいといて、どこまでこのケンカが進むのかは、個人的には「たいそうな見もの」であると思う。
なにせ、ここまで公にナベツネに楯突いた男は、近年、そうそういなかったはずだから。

そんなわけで、ナベツネについての「基本文献」というべき評伝であるこの本を、思わず本棚から引き出してしまいました。

渡邉恒雄 メディアと権力 (講談社文庫)

渡邉恒雄 メディアと権力 (講談社文庫)

なにしろ簡単にまとめるには、あまりにエピソードがありすぎる。
大正15年、マジメな銀行員の家に長男として生まれ、8才で父を失ったこの男の人生をつづる証言やエピソードから、いくつか、引用するにとどめる。

“「その頃の渡邊君は色白でひ弱な感じで、あまり目だった存在ではなかったと思います」”(小学校6年の同級生の証言)

“「そんなことやるから、彼のあだ名は『淫長』だった。親分肌で猛烈にスケベという意味だよ」”(開成中学時代)

“のっけから渡邊が吐いた言葉が大熊を仰天させた。
「俺は天皇制なんてのは信じない」
天皇制の転覆を目的に結社を組織したというだけで治安維持法で死刑にも処せられた時代だ。(中略)
「だけど人間なんてのはそんなものじゃない。もともとそれぞれの人間に人生があって、人格があって、それぞれが意欲を持って暮らせる世の中こそ、ほんとの世の中なんだ。軍人が威張って強制する世の中なんてまっぴらだ」”(戦時下の東京高校時代)

“「キミ、なぜ来たの」と後藤が聞くと、渡邊がはっきりと答えた。「天皇制を打倒するためです」”(東大文学部哲学科時代、共産党員として活動した)

“彼が戦時中、天皇制や軍国主義を否定しながら、戦場での不条理の死を耐えようとしたとき「星きらめく天空」のように永遠の価値を持つとされたカントの道徳律が唯一の救いだった。(中略)
だが、党の論理は、その道徳律を踏みにじっている。革命組織が個人のモラルや自由を侵していいはずがない。渡邊は党への反逆を決意する”

“彼が現在に至るまで持ち続けている激烈な反共意識の原点は、後輩たちの相次ぐ「裏切り」と、この「断罪状」でスパイの濡れ衣を着せられたことだといっていいだろう。
それは渡邊にとって屈辱的であると同時に、政治の不思議さをまざまざと見せつける出来事だったろう。以降の彼の人生を振り返ってみると、そのエネルギーの大半は学生運動で学んだ政治力学を実践することに費やされたといっても過言ではない”

“そのころの読売は、大争議の痛手から立ち直りかけたばかりの関東ブロック紙だった。(中略)渡邊が言う。「朝日、毎日のような大きいところに行って手間隙かかるよりは、三番目ぐらいの新聞に行ったほうが早くトップになれる」”

“彼が並みの新入社員と違うのは、入社当初から社内制覇の戦略を練っていたことだった。(中略)「新聞社で政治部長になる前に何人ぐらい仲間をつくるか。たとえば十人子分を作れば、政治部は好きなように動くわね。仲間を作るにはまず会合することだ」”

“入社間もない渡邊の様子を次のように描いている。
「(中略)彼は白面の美青年で」”

“ある日、森本が「元気だせよ」と言うと、渡邊は「東京新聞だって三流紙だ」と言いはじめた。
「じゃ、どこがいいんだ」
森本が問い返すと、渡邊はそれには直接答えず、
「あれを見ろ」
と上空を指した。森本が見上げると、朝日新聞本社の屋上で、朝日の社旗が軍艦旗のようにはためいていた”

“芝生の上では色の白い、若い男が四つん這いになり、鳩山の孫の由紀夫や弟の邦夫を背中に乗せて遊び戯れていた。小学校入学前後の幼い兄弟はずいぶん男になついているらしい”(男とは、当然ナベツネ政治記者となって、最初に食い込んだ大物は鳩山一郎だった)

“後年、渡邊は小林に、
「俺は読売の社長になる。読売を部数日本一にしてみせる」
と宣言し、社内の勢力争いに夢中になった。小林がそんな彼の権力志向を冷やかすと、渡邊が憮然とした表情で言った。
「きみは俺のことを馬鹿だとおもっているんだろう?」
「そのとおりです。僕にとって社長になるとかそんなことは何の価値もない」
渡邊がつぶやいた。
「まあ、お前には俺の気持ちはわからんだろうな……」”

“渡邊の家に入って驚いた。一階のリビングルームと二階の寝室の両方にテレックスが置いてあった。(中略)渡邊は支局で仕事をして帰宅した後も、そのテレックスで膨大な量の原稿を送っていたのである。想像以上の猛烈な仕事ぶりである。
しかし、それ以上にびっくりさせられたのは本田が手洗いに立ったときだ。バスルームの鏡の前に薬の瓶が数十種類びっしりと並んでいた。睡眠薬、胃腸薬……それは渡邊がどれほど神経や体を酷使しながら仕事をしているかを物語っていた”(ワシントン支局時代)

“「俺は社長になる。そのためには才能のあるやつなんか邪魔だ。俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な社員だ」”

いくつか、とかいって、引用しだすとキリがないですね。

政界工作、裏切り、正力松太郎や務台光雄といったかつての「読売のドン」たちの下での工作、KCIA、社会部つぶし、児玉誉士夫、国有地払い下げ、九頭竜ダム、「空白の1日」、中曽根との出会い等々、まだまだエピソードはてんこ盛りだが、このあたりにしておく。

まあ、概ね後味のいいエピソードではない。
少なくとも、本書の視点から読売新聞を見る限り、メディアは権力を監視する役割をもっている、というのは大嘘である。

そこで繰り広げられる闘争の数々は、マキャベリズムの、ある面での頂点を見ているようだ。
そして、ああ、この人にとって、世間には「部下」と「敵」しかいないのだろうなあ、という気がしてくる。
かつて、自民党の重鎮政治家、大野伴睦番記者として「大野のことは本人に聞くより渡邊に聞いたほうがいい」と言われるほどの力を誇示していた頃、彼は特ダネを独占することなく、自らの統制下に入って活動する記者には、ある程度公平を情報を分け与えたのだという。
一方で、刃向かう記者は徹底的にやっつけたそうだ。

さて、刃向かってきた部下、清武氏は、これからどうなるんですかね。


本書のエピローグには、ビニールの梱包もとかれないまま、とある倉庫に新聞の束が集まってくるエピソードが描かれている。
押し紙”である。
つまりナベツネさんが固執する“1000万部”を維持するため、販売店に、配達される宛てのない新聞紙を、無理やり押し付けて買わせているのだ。
その新聞は、そのまま読まれることなく回収され、古紙の材料となる。
新聞の発行部数というのは「卸売り部数」であって、実際に売られる部数ではないのだ。

最近のナベツネさんは、かつて国有地であり、それを払い下げてもらうために自らも暗躍した大手町の土地に建設されている新社屋の完成を心待ちにしているらしい。
新社屋は30階建になるらしいけれど、会長・主筆の部屋は、最上階になるのかな? やっぱり。

そこから見下ろす景色は、どんな感じになるのだろう?
ナベツネさんが若い頃信じたような、「ほんとの世の中」は見えるのかな?
そういえば、あの場所にビルをたてるのなら、多分皇居が見下ろせるはずだけど。

にしても、ナベツネさんの若い頃の写真、見てみたいなあ。
本当に、「白面の美青年」だったんだろうか?
パイプくわえて黒塗りに乗り込む今のお姿は、悪役商会もかくや、という感じだけれど。