「屁をこいた坊さん」が僕に思い出させてくれたこと − 『全国アホ・バカ分布考』 松本修著

ことの発端は、なにげなくつけていたテレビで流れていた、関西ローカルのバラエティ番組だったのである。

吉本の芸人がわらわらと集ってダラダラとやっているその番組で、「へべれけによっている人に限って、なぜ『全然酔うてないで!』というのか」、という話をしていた。
そして「『酔うてないで!』という人が、本当によってないかを検証するロケ企画」が始まったのだ。

どうやって検証するのか?
大阪の夜の繁華街で「酔うてないで!」というオヤジを捕まえて、「ぼんさんが屁をこいた」をやる、というのだ。

・・・ぼんさん(=坊さん?)が屁をこいた、をやる???
なんだ、それ?

誰もそこに突っ込まないところを見ると、関西の常識なのか? 

そして、画面は、夜の京橋(当然ながら大阪の京橋。東京都中央区の京橋、ではない)に切り替わり、そこでやっていたのは・・・何のことはない。
「だるまさんが転んだ」と同じ遊びなのであった。

え? そうなのか。 全然知らんかった!

こういうことは盲点なのである。
子供と接点がないと、知ることがない。
大学入試でも、就職試験でも出てこないし、オトナのフツーの会話で出てきようがない。
「大阪検定」と「京都検定」のテキストをちらっとのぞいたことがあるが、そこにも多分出てなかったような気がする。

実際、職場で「京都から出たことがない」人に聞いてみると、「東京では『だるまさんが転んだ』という」ということを知らない人もいる始末。
試みにFACEBOOKでこの件、つぶやいてみると、有難いことに、こういうくだらないネタにも付き合ってくださる知人がいて、名古屋や広島では「だるまさんが転んだ」です、とか、「坊さんが屁をこいた」の後に「匂いだら臭かった」と続けるバージョンもあるんですよとか、福岡では「いのじ(=インド人)のくろんぼ」らしいとか、証言が集まっている。

さて、ここでポイント。
名古屋と広島。つまり「だるまさん」と「坊さん」は、東と西で別れているわけではなく、関西圏の「坊さん」を「だるまさん」がはさんでいる。

と、なると、これはつまり、あの“同心円”と同じではないのか。

そう、あの、関西の人気番組『探偵ナイトスクープ』がその黎明期、1990年代に見出した、同心円。
その発見の顛末をまとめたのが、この本なのである。
著者は、当時のナイトスクープのプロチューサーだ。
(と、ここまでが今日のフリなのでありました)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

話は1990年1月最初の放送までさかのぼる。
当時、上岡龍太郎局長と岡部まり秘書が仕切るこの番組で、最初に取り上げた質問は次のようなものであった。
(視聴者からハガキで寄せられた素朴な疑問の数々を、番組が派遣する“探偵”が解決していく、というのが、この番組の基本的なコンセプトである。とくに関東圏ではこの番組の知名度は極端に低いので、念のため)。

「私は大阪生まれ、妻は東京出身です。二人で言い争うとき、私は『アホ』といい、妻は『バカ』と言います。耳慣れない言葉で、お互い大変傷つきます。ふと東京と大阪の間に『アホ』と『バカ』の境界線があるのではないか?と気がつきました。地味な調査で申し訳ありませんが、東京からどこまでが『バカ』で、どこからが『アホ』なのか、調べてください」

この依頼を担当した探偵は北野誠
顧問として出演していたのは、浪速のモーツアルトキダタローだったそうである。
上岡龍太郎が引退し、岡部まりが選挙の出馬に伴って番組を降板し、北野誠は・・・。
この3人のうち、今も番組に出ているのはキダタローのみというのが、ある種の感慨を引き起こすが、それはともかく、北野誠は、東京駅から途中下車しつつ、東海道沿線のどこか「アホ・バカ境界線」なのかを確かめるロケを敢行した。

そして、名古屋駅前で、「アホ・バカ」とはまた違う、当時の関西の視聴者にとっては衝撃的な事実を見つけるのである、
ドラゴンズファンの中年サラリーマンが、こんなことを口にしたのだ。
「タワケなジャイアンツ、どうしようもねえ。話にならんがな」
そう、名古屋にはアホともバカとも異なる「タワケ文化圏」が存在したのである。
岐阜市も「タワケ文化圏」に属することを確認した北野誠は、「タワケとアホの境界」を見つけるべくロケを続行する。

一端、関西側に戻って、滋賀県米原では「アホ」であることを確認。
岐阜県側に戻ってみると大垣では「タワケ」を使うという。

さらに、滋賀県の一番東の家(山東町)に飛びこんで、「『アホ』は使うが、『タワケ』は使わない」ことを確認。
ついで、その東隣、つまり、岐阜県で一番西側の家(関ヶ原町)にはいってみると・・・ここもまた、「アホ」を使っていた。
「県境で分けるのは、ちょっと難しい」と諭されて、その家と国道を挟んだ家に飛び込んでみると、そこの主人は「『タワケ』は使うが、『アホ』は使わない」との証言を得て、このロケは「『アホ』と『タワケ』の境界線は、岐阜県不破郡関ヶ原町大字関ヶ原・西今津にありました」ということで結末を迎える。

このロケ映像を見て、スタジオでは、こんなやりとりがあった。

小枝「西日本は、ずっと、『アホ』?」
上岡「そんなことはないでしょう。広島くらいまで行くと、変わるでしょう」
北野「(ハッと気づいて)そうか!」
上岡「これは今年一杯かかっても、全国の分布図をつくってもらわんことにはね」
嘉門「分布図作ってよ。君をナイトスクープ伊能忠敬にしたげるから」
上岡「いやいや、柳田國夫、折口信夫の世界ですよ。これはきっちりしてもらわなねぇ」

(なお、小枝は桂小枝、嘉門は嘉門達夫、です。)

そして、上岡局長が岡部秘書に問いかけた。
「九州ではどう言うんですか?」
すると、岡部秘書は、こう答えたのである。
「『バカ』、っていう気がしますね」
「九州も、『バカ』!?」

これは、上岡龍太郎以下、スタジオに集うタレントたちにとって、衝撃の事実だったのである。

かくして、ナイトスクープは、「アホ・バカ」の全国分布図を作るという、学界でも前例のない調査に乗り出すことになる。
全国の自治体の教育委員会にアンケートの協力を求め(まだインターネットなど一般的ではないころの話である)、晩年の柳田國夫に師事した大阪大学の教授をはじめ、学界の協力を求め・・・。

結論を簡単に述べれば、全国の「アホ」「バカ」、そして、それに近い意味で用いられる方言は、ところどころ飛び火的に分布しつつも、関西圏を中心とする多重の同心円上に分布していた。
これは、どういうことなのか?

古来、日本語は京都を中心とする関西圏で発達してきた。
そして、関西圏で流行した言葉は、だんだんと周辺地域に伝播していく。
だが、ある言葉が、遠い地域に伝わっていくころには、京都には新しい言葉が流行し始めている・・・こうした過程を経て、言葉の分布は同心園を描くのである。
だから「アホ・バカ」を意味する「ほんじなし(=本地なし)」に近い言葉が、青森と鹿児島の一部に残っている、といった現象がおこる。

これは、柳田國夫が『蝸牛考』という著書で開陳した「方言周縁論」という考え方を実地に示したものであった。
言語学の世界では、方言の伝播速度は東西南北あらゆる方向に向けてほぼ正しく、平均すれば1年に約930m、1日に約2m60cmとする研究結果もあるという。

こうした方言の伝播は、明治時代にその動きを止める。
その最大の理由は、東京を中心とする近代国家の下で新しい教育制度が成立し、全国一律で、東京の山の手の言葉を元に作られた「標準語」を基準とする仕組みが整うことで、「標準語」と「方言」が並立するという言語環境が固定化したからである。
それは、言葉の伝播という自然現象を人為的に止める一方で、平安京の古い言葉の名残を、京都からみて周縁にあたる地域に保存することにもなった。

本書をバラエティ番組の企画から派生した本とおもって安易に考えると、足払いを食らう。
数多くの古典まで渉猟し、徹底的に調べ上げた、いわば「学術報告」でもあるのだ。
索引含め446頁(単行本)という厚さは、伊達ではない。

アホ・バカ調査を終えた著者は、本書にこう記している。

東北人が使っている語彙は、現在の京都のような一地方都市から伝わってきったのではない。政治経済そして文化の中心地として、世界のどの都市にも増して華やかに栄え、国中のあこがれを集め続けた京の遺風なのだ。
(中略)
仮に言葉こそ心とするならば、古いみやびの京の心は、今の京都にはありはしないのだ。現在の京都人をはじめ私たち関西人が使っているのは、江戸時代以降の京の言葉に過ぎない。平安から室町にかけての偉大だった京の心と言葉は、はるか北と南、東北と九州の山野にこそ、今なお豊かに息づいているのだ。

手元にある、この本の単行本は、初版が1993年。それから18年をへた現在、言葉と地域を巡る環境は、当時とはまた変わっているのだろう。
同心円の周辺で「偉大だった京の心と言葉」を守ってきた人たちの世代もまた変わっていくだろうし。
一方で、「江戸時代以降の京の言葉」の流れを汲む「関西弁」は、テレビの力で、ますます独自の立ち居地を確率しているようにも見える。

古いものを古いという理由だけで守るのが、必ずしも正しいとは思わないけれど、この同心円に「教科書が教えてくれない歴史」が宿っているのならば、それがずるずるとなくなってしまうのは、やはり惜しいよな、という気はする。

それにしても、本書を読んでいると随所で感じるのだが、やはり上岡龍太郎という人は知性のある芸人さんだったんだなあ。
そして、関西のテレビ局の持つ、独自の「文化発信力」にも思いをいたさずにはいられない。
東京ではなかなか見る機会がなかったわけだが。

なお、この番組企画で作られた、「全国アホ・バカ分布図」(本の巻末にもあり)は、一時期、ナイトスクープ公開収録時の観覧者プレゼントだったそうだから、今回の話は、ある世代以上の関西圏の人々には常識だったのかもしれないですね。

なお、ネットおよびFACEBOOKで集めた情報によれば、「だるまさんが転んだ」「坊さんが屁をこいた」に類似した遊びは世界中にあるらしいのだが、そこまで話を広げるともう収拾がつかないし、本稿の範囲を超える。
もし、その辺に言及した本があれば、読んでみたいとは思うが。

最後に、ネットに転がっていたアホ・バカ分布図と、「坊さんは屁をこいた」のライブ映像(関西圏以外の人間には、それなりにインパクトがある気がする)など。

アホ・バカ分布図
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/7779/ahobaka.html

ゆるキャラによる「坊さんが屁をこいた」対決
http://youtu.be/DySPEvkjrb8

ではでは。