量が質に転化しつつあるから怖いよね、という話 ― 『「科学技術大国」中国の真実』 伊佐進一著

今更こんな話をするのもなんなのだが、政権をとった民主党が「事業仕分け」なるパフォーマンスを大々的に行い、とある「仕分け人」が、世界1位を目指すスーパーコンピュータ開発に関する予算に噛み付いて、「2位じゃダメなんですか?」と発言して物議を醸したのは、2009年11月のことであった。
もはやそんなこと、無かったかのように物事は動いている感じもするが。

ま、「2位じゃダメなんですか?」なんていうのは、ちょっと「身もフタもない」言い方で、この発言をした仕分け人の「グラビアアイドルから成り上がっての上から目線(しかも父親は台湾出身)」という、日本的共同体からは反感を買いやすいキャラクターともあいまって、どうも、若干、妙な具合に議論(波紋?)が広がってしまったという印象を、このブログの中の人は持っている。

科学技術は大事。でも予算には限りがある。

その中で、いかに戦略的に科学技術政策を構築していくかというのは、まさに「政治家」の仕事、なのだ。
そして、海をはさんだ隣の国の実情を考えてみれば、その仕事の重要性は、嫌が上にも増さざるをえない。。
(そもそも、予算をはじめとしたリソースが限られている中で競争相手がいるからこそ、戦略が必要なのであって、リソースが無尽蔵に使えたり、競争相手がいないのであれば、戦略なんて要らないわけだが)。

というわけで、今回のお題はこの本である。

「科学技術大国」中国の真実 (講談社現代新書)

「科学技術大国」中国の真実 (講談社現代新書)

実は、この本、刊行された2010年秋に一度、読んでいたのだが、最近、東京都内某所の、中央官庁の官僚の皆さんが出入りすると思われる書店で平積みになっていたのを見かけ、「ああ、このブログではまだ取上げてなかったな」と思った次第。

著者は理系出身の文部科学官僚で、北京の大使館で科学技術関係の書記官をやっていた人物。
その経験を生かして書かれた「現地レポート」的な本だ。
まあ、この手の本には「鮮度」もあるけれど、いまだ売れているということは、まだまだこれを超える内容と読みやすさを備えた一般読者向けのレポートは出てない、ということだろうか。

タイトルに使われている、科学技術大国という言葉にカギカッコが使われているのは、はたして、今の中国を「科学技術大国」と呼んでいいのか、という疑問を含んだ意味合いだろう。
著者は序章にこう記している。

中国に関する印象を聞いていると、楽観的な面が強調された肯定的な見方か、あるいは中国が直面する数々の課題を取上げた悲観的な将来予測かのどちらかに分かれる。
〈中略〉
「科学技術」においても同様である。米ロに次いで、宇宙空間での船外宇宙活動を成功させた宇宙先進国とみるのか、あるいは偽者が横行し、論文の盗作問題が後を絶たない科学技術後進国と見るのか。中国の科学技術料を見る意見も大きく分かれてしまう。

そして、中国の科学技術における2面性を、「格差」と「分野」というキーワードを使って、次のように解説してみせる。

 「格差」とはつまり、経済格差など同様に、科学技術人材のレベルの格差である。
他国との平均を比較した場合には、中国の科学技術のレベルは欧米諸国や日本の水準には達していない分野がほとんどである。しかし、それはこの広大な国土と人口という要素を無視した、平均の議論であって、優秀な人材同士を比較した場合には、日本と同様の水準か、あるいは上回ることさえも考えられる。

 「分野」とは、中国の特殊性を生かすことができる分野がどうかという観点である。中国は、日本や欧米諸国とは異なる比較優位を有している。それは巨大な市場であり、また増加する研究者や研究開発投資であり、そして政府の決断が多大な影響力を持つという点である。こうした優位性がかぎとなる研究分野では、中国は圧倒的な強さを見せるのである。

そんな中国の科学技術の凄いところは例えば・・・

・06年、アメリカで博士号をとった大学生の出身大学ランキング、1位が中国・清華大学、2位が北京大学、3位がUCバークレー、4位がソウル大学(日本の大学はベスト50に登場なし)

・07年から、国費で毎年5000人の大学院生を海外に派遣し、博士号をとらせるプロジェクトを開始。

・京大の山中教授が世界に先駆けて発見したiPS細胞の理論をつかって、実際に一つのiPS細胞を使ってマウスを一匹丸ごと育てるのに世界で始めて成功したのは、中国の研究所。これは、物量と人材を大量に投入することが必要な研究である。

・中国のロケットの打ち上げ実績は、日本に比べて「信頼性」という点で上回りつつある。ロケットは、すでに基本技術が確率された分野なので、数を打ち上げて、信頼性を高めることが大切。

・とにかく政府が金をつぎ込んでいるので、研究開発費が潤沢。

・08年の国際特許出願企業別ランキングで、前年1位のパナソニックや2位のフィリップスを抑えてトップとなったのは、中国の通信機器メーカー華為技術

一方で、問題点を挙げれば、こんな話が出てきたりする。

・ケータイで漫画を配信するだけの会社が、政府の「ハイテク企業」認定を受けている。中国がいう「ハイテク」のレベルはまだ低い。また、その低いレベルを「水増し」して体外的な数字とか作ってる。

・研究開発の方向が、メンツ重視であり、政治的圧力に左右される。たとえば世界初の4000もの銀河のデータを蓄積し続ける望遠鏡を作ったが、その観測結果で何をしたいか良く分からない。しかも観測に不向きな、黄砂の多い地域に作ってる(その地域は有力な政治家の出身地) 。

・不正、賄賂、論文盗用が日常茶飯事。

ちなみに、中国のスーパーコンピュータ、演算速度の理論値と実効値の乖離が非常におおきく、言い換えれば、実効性比率が低い。
それは、つまり、どういう意味か。

スパコンの演算速度はある意味、たくさんのCPUをつなげることによっていくらでも速くできる。たくさんつなげばつなぐほど大事になってくるのは、CPU間で同期をとる技術である。
〈中略〉
「星雲」(中国のスパコン。引用者注)の実効性比率が低いということは、ただ外国製のCPUをたくさんつなげて計算速度を稼いではいるが、チップ間の同期をとる技術設計がそれほど進んでいないことを意味している。
〈中略〉

ちなみに、「低い」レベルがどの程度かというと、2010年6月に演算速度で世界2位にランクされている「星雲」の実効性比率は42.6%。
これにたいして、日本のスパコンは90%を超える数字をだすわけで、つまり、「しっかりした技術でCPUを無駄なく使っている」わけである。

こうなると、「2位じゃだめなんですか?」という問いも、「カネにあかせて大量のCPUをつなげてる中国と単純に演算速度で張り合う意味は、どこにあるのですか?」という風に翻訳しなおせば、かなり射程範囲の広い質問、ということになる。
スパコンを作ることだけじゃなくて、そのスパコンで何をするのか、も、重要な問題だろうし。
オリンピックじゃあるまいし、「一位をとる、その人間の努力の美しさが素晴らしい!」とか言ってるだけでは、すまないだろう。
そのための少なくない予算は、我々の税金なのだから。

ま、例の仕分け人が、どこまで知識があって質問していたのかは、また別の問題なのだけれど。

本書の後半には、中国の科学技術が、すでに日本が指導するとか、援助するとか、そういう段階は過ぎているという認識の上で、ではどう付き合っていくのか? という考察にあてられている。
この辺、まあ特効薬がある、というわけでもなく、興味あるかたは是非お読みください、なわけだが、一つ、面白い切り口のトピックを。

以前、この日記でもサムソンの強さについての本を取上げたけれど、本書の著者は、中国攻略にあたってサムスンのまねをする必要は無い、という。
ここでいう、サムソンのやり方というのは、例えば価格帯や品質を押さえてニーズのあった製品を開発・販売することだ。
今までタライしかつかってなかった人には、価格を極力抑えた二槽式洗濯機を売る、というような。
(日本企業は最先端の洗濯機は作れるのに、こういうニーズを押させるのが下手だったりするらしい)

中国の市場を開拓していく上で重要なことは、価格を極端に抑えることではない。日本と同じ価格であったとしても、それを買うことができるお金持ちの層が、十分な厚さで存在している。重要なのは、いかに中国固有のニーズを吸い上げた製品開発を行うかである。その方法の一つとしては、サムスンが行ったような、徹底した市場調査、市場分析といったことも重要であろう。
 そしてもう一つ考えられる戦略としては、市場調査に入る前の要素技術開発や先行開発の段階から、中国の大学や研究所と協力を行うことによって、十分に中国のニーズを踏まえた技術要素を開発することである。
〈中略〉
 こうした製品化に入る前の技術開発の段階において、もしお金も人も増加の一途をたどる中国のリソースを活用できるのであれば、さらに日本にとってメリットは大きいであろう。

いや、しかし、そういうことを進めていくには、まだまだ中国と日本の間には、様々なハードルがあるような気が・・・というのはあるけれど。
そしてまた「付き合ったら最後、技術流出などなど、いいように利用されて終わるのではないか」と思っている人も少なからずいるのは確かだ。

ただ、あれだけ大きく、可能性がある国が、すぐそばにあるのに、「付き合わない」という選択肢はあり得ないのでしょうね。
そして、なにしろデカくて人が多い。
その一部の上澄みだけ取上げても、相当なスケールがあるわけで、さらにその「量」が「質」へ転換あれたとき、ものすごいパワーとなるのは、科学技術だけの話ではなかろう。
まあ、このブログの中の人は、ここしばらくは、きわめてドメスティックなフィールドでお仕事しているので、リアルにその辺のことを感じることが無いのだけれど。