人は科学的真実よりロマンやら国家の威信やらが大事な生き物なのかもしれない ― 『万里の長城は月から見えるの?』武田雅哉著

久しぶりに書店で「タイトル買い」である。ま、本当にタイトルだけみて買ったわけではなく、ぺらぺらとめくってはみたわけだが。

万里の長城は月から見えるの?

万里の長城は月から見えるの?

このタイトルが発している問いに、最初に答えてしまえば、「見えません」。

どこかしらで、「万里の長城は、月から見える唯一の建造物である」とか、「万里の長城は、宇宙から見える」とかいう話を聞いた覚えのある人も多いだろう。
このブログの中の人も、子供の頃、大人からそんな話をきいたか本で読んだかは覚えていないのだが、この話を、なんとなく信じていた覚えがある。

いくら長さがあっても、幅が(よくは知らないけれど、よく見る映像などで見る限り)あれだけしかなかったら、月から見えるわけはない。
冷静に考えれば分かることだ。
だが、このブログの中の人も、子供のころはそれなりに素直だったから、大人に言われたり本に書かれていたりすれば、そのまま信じていたわけである。

本書も、まず「はじめに」の部分で、この質問を否定するところから叙述が始まる。

ここで、この本のタイトルでもある「万里の長城は月から見えるの?」という質問には、とりあえず「いいえ、見えません!」と答えておくといたしましょう。

では、いきなりタイトルの発する問いに答えてしまって、この本では何を語ろうというのか、というと、次のようなことだ。

少なくとも、この本には、
万里の長城にが月から見えるなんてとんでもない! それは誤った知識です。そのことを、よく覚えておくように!」
などと言って、読者のみなさまを「啓蒙」したり、誤った知識を是正してやりましょうなどといった意図なんぞは、さらさらございません。この小さな本は、この言いまわしを材料に、「中国」をめぐる、人間の想像力の一ページをのぞいてみようという試みであります。

どうですか? ちょっと先を読んでみようかという気になりませんか?

そして、話は2003年、中国が国家の威信をかけて成功させた有人宇宙飛行における、あるエピソードへと進む。
このとき、宇宙船「神船5号」で地球14周、21時間の飛行を続けて無事に帰還した宇宙飛行士、楊利偉(ようりい)中佐は、帰還の翌日にテレビに出演した。
宇宙から帰ってきて翌日にはテレビ出演とは、これまたいかにも中国的だが、それはともかく、その番組の中で、こんなやりとりがあったという。

「宇宙から、長城は見えましたか?」
 かれは答えました。
「地球の景観は、たいへん美しいものでした。でも、われわれの長城は見えませんでした」

本書によれば、この発言は、中国に大きな波紋を引き起こしたという。
楊中佐の科学的態度を賞賛する論説が新聞に載せられる一方、小学校の教科書の記述が訂正されたり、一方で、「今後は宇宙から長城が見えるように、ライトアップをするべきだ」という意見が出されたり。

そう、中国人にとっての「万里の長城」というのは、国家の威信と偉大なる歴史を象徴する遺跡なのである。
「宇宙にいったら見えなかったんだって」
「ふ〜ん、そうなんだ。残念だったねえ」
では済まされない話、というわけだ。

そもそも、宇宙から長城が見えると言い出したのは誰なのか?

1999年に中国で刊行された『長城辞典』という本には「アメリカの最初に月に立った宇宙飛行士アームストロングの題詞」として、次のような言葉が載せられているという。
(ちなみに、題詞とは、捧げられた賛辞、といった意味らしい)

宇宙と月からは、地球上のふたつの巨大な工事のみ、認識することができる。ひとつは中国の長城。もうひとつはオランダの大堤防だ。

アームストロング船長といえば、人類として初めて月に降り立ったときの、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.)」という言葉が有名だけれど、こんな言葉も残していたんですね。

で、当時の宇宙飛行士というのは「偉大なるアメリカの科学的な勝利」を喧伝する存在でもあったわけで、帰還すると世界中をまわって、講演したり勲章もらったりしてあるいたらしい(日本の文化勲章ももらっているはずである)。
そして、「万里の長城見える発言」も、そうした中での「リップサービス」(あえて「ウソついた」とは申しませんが)の一つのようなものだったらしい。
ま、その後、「船長が『長城』と思ったものは、実は雲の塊であったことが確認された」なんて記事が雑誌に載ったりもしたらしいですが。

そもそも、アームストロングが「見える」発言をした背景には、以前から「万里の長城は月から見える」という話が広く信じられており、そして、初めて月にいった人間がそれを確かめてくることで、多くの人が喜ぶだろう・・・とまあ、そんな意識があったわけである。

どうやら、この伝説を積極的に喧伝し始めたのは、16世紀に中国に足を伸ばしていたポルトガル人だったらしい。
中国人が古代から、月から見えるほどの長大な城壁を作っていた、というのは、未知の神秘にみちた東洋の凄さを伝える、絶好のツールだったのだろう。

その後、天文学の発達によって火星の「運河」が発見されたり、初期のSF小説によって月や宇宙への関心が高まるにつれて、この考え方は「科学的」なバックボーンを経て、より強固になっていく。
そして中国人の側も、自らの文化の偉大さを証明するものとして、「月からも見える長城」「宇宙からも見える建造物」という伝説にはまり込んでいくのだ。

一点、実は大事なことがあって「月から見える」と「宇宙から見える」というのは、一見似ているようで、全然違う。
宇宙というのは、それこそ広大なのであって、「宇宙」といったときに「地球からどれくらいの距離なのか」というのは漠然としている。
だから、
「高度217kmの地球の軌道からであれば、肉眼で識別できるはず」
「いや、長城の上を飛ぶのは数十秒の計算だから、識別するのは難しい」
「長城を識別できるように、宇宙飛行士を訓練しよう」
「宇宙飛行が行われている間に、長城のサーチライトをあてて、識別しやすくしよう」
「高性能のデジカメがあれば、宇宙から長城の写真が取れるはずだ」
と、なんとか「宇宙から長城が見える」ことを成立させよう、という動きも、中国国内にはあるらしい。

そこまでして宇宙から長城を見なきゃいけないのか? といえば、「いけない」と思っている人も中国には多い、ということだろう

一方で、最近では「新たな長城伝説」が構築されつつあると著者は言う。

「<長城は見える>というデタラメを言ったアメリカ人宇宙飛行士」と「<長城は見えない>と、勇気をもって、科学的態度で、これを否定した中国人宇宙飛行士、楊利偉」という、きれいな対の構造。すなわち、「アメリカ人の宇宙飛行士がでっちあげたデタラメははなしを、中国人の宇宙飛行士が勇気をもって正した」という、すぐれて愛国的な、あらたな長城神話の登場です。

なるほどねえ。

なお、日本人も、この「長城神話」はけっしてキライではないらしく、2006年(楊利偉中佐が「長城は見えなかった」と発言した後!)のNHKの番組『探検ロマン世界遺産 万里の長城』で、「宇宙からも見える建築があります。中国、万里の長城です」などとナレーションが流れたりもしているらしい。
著者はこう語っている。

すでに中国では、国家の威信と民族のメンツをかけた長城騒動がおきていたというのに、こんなにおもしろい現象には無関心、あるいは無知のままで、それから二年もの歳月を経た時期に、「宇宙から見える万里の長城」と放映したわけです。日中関係の本質は、領土問題や毒入り餃子で騒ぐことではなく、この辺りに見えているような気がいたします。
 いずれにしても、中国の長城騒動のずっとあとになっても、おとなりの日本に行けば、まだまだ月から長城をみることができたのでした。
 そのような文言の群れは、わがニッポンの、「中国の歴史」に対する狭溢な「ロマン」主義を形成するのに、格好の材料になっているのでしょう。2011年現在も、中国旅行を扱っている多くの旅行会社では、万里の長城ツアーの宣伝文句には、「宇宙から見える」や「月から見える」が好んで使われているようです。

人は往々にして、真実よりも、面白い話やロマンのある話に惹かれる。
月(宇宙)から見える万里の長城、なんていうロマンチックな物語は、なかなか人の心からは消えない、ということか。

そして、中国にとっての「長城」というのは、なにせ国家の威信がかかっているから、科学的に「月から見える」が否定されたとしても、また新たな伝説はどんどん生み出されていくのだろう。

最近、長城は「どんどん長く」なっているのだという。
塹壕などの遺跡が発見され、それを「長城の一部である」と主張することによって、総延長が伸びているのだそうだ。

世界遺産にも登録され、世界中の要人をもてなす場となり(だいたい海外のVIPが中国いくと、万里の長城の上で記念撮影をしていたりする)、イベント会場になり。。。
著者は、いずれ電飾が施され、本来よりも長く大きく復元された長城が、ホントに「宇宙から見える」日が来るかもしれない、と、冗談めかして(いや、めかして、というより、完全な冗談として)語っていますが、どうですかねぇ(笑)

今の中国の勢いが、そのまま持続すれば、そんな日が来ないとも限らないのかなあ。

そして、そんな「伝説」の構築に手をかしたのが、ヨーロッパ人のアジアに対する憧れや、宇宙に対する探究心であったりするところが面白い。その辺、このブログでは省略してしまった部分に多く記載されているので、興味ある方は是非、原本にあたっていただければと思うが、いずれにしろ、人は「真実」のエネルギーだけでは、なかなか動かないものであるらしい。