だから、人は(自分も)あてにならないというべき、か? ― 『錯覚の科学』クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ著

コンプガチャ」なる不思議な言葉が世間を賑わしているらしい。
そうか、「コンプリート・ガチャ」の略で「コンプガチャ」なのか・・・と、そんなことを今更ながら知るぐらい、このブログの中の人は、携帯のソーシャルゲームの事情に疎いわけだ。
で、このところの報道などを見ていると、なんていうか、これって、ある種の人の錯覚というか、判断力の錯誤みたいなものを活用した仕掛けなのだなあ、と感心したのである。

そして、以前に読んだこの本をぱらぱらと再読してみる気になったわけで。

錯覚の科学

錯覚の科学

本の話に入る前に、コンプガチャについて少しばかり。
すでにいろんな報道やらブログやらで書かれていることなので、「いまさら」感はあるのだが。

携帯ゲームの中で、少額をはらって「ガチャ」っとカードだかアイテムだかを引く。
すると、その中に一定の割合で、「レア」なカードを引くことができる。
で、この「レア」なカードが何種類かあるので、それを完全に集める(コンプリートする)と、引き換えに激レアなアイテムと交換できる。
これつまり「コンプガチャ」。

さて、ここで問題。レアなカードは10種類あります。
で、一回「ガチャ」っとするときに、レアなカードのうちどれか一つが出てくる確率は10%とします。
レアなカード10枚すべてそろえるためには、何回くらい「ガチャ」っとしたらいいんでしょうか?

「どれでもいいから1枚レアなカードを引く」確率は、10%だから、10回引けば1枚は「レア」だという話になる。
これって、それなりの確率だ。まあ5〜6回目くらいで「レア」にいきつく人も多いわけだな。
だから、最初の1枚は、結構すぐ手に入ってしまう。

ところが、この手の仕組みでは、最後の一枚がなかなか手に入らないことが多い。

そりゃそうなのだ。
「最初の1枚」は「10枚のうち、どれでもいい」けど、最後の1枚は「ある特定の1枚」でなきゃいけない。(すでに他の9枚は手元にあるのだから、当然そうなる)。
「10枚のうちのどれか」が出る確率が10%なのだから、そのうち「特定の1枚」が出る確率は、さらにその10分の1で、1%になってしまう。
つまり、最初は「結構簡単」と思っていたはずのゲームが、最後のほうになると「かなり大変」なことになっているのだ。

これ、最初の1枚が10%、次の1枚が9%、と、段階的に確率が減っていくことがポイントだろう。
最初の2〜3枚は、そこまで苦労しないでも集まってしまうのだ。
で、「あ、オレ、けっこう運が強いんじゃね?」とか思っちゃう人が、多分、そこそこの割合でいるのである。

そして、ゲームは進む。
そりゃ、後半になれば、なかなか集めるのが大変になってくるのは、なんとなくはわかる。
でも、それなりに調子よく半分くらい集まったわけだし、ここまで、お金も使っちゃっているし、あと5枚、なんとか・・・とか思ったる人も多かったはずだ。

こういう人、多分、最初のうちは「10枚引けば、なんか目当てのカードが手に入る」というゲームだったものが、おしまいには「100枚ひかないと、お目当てが手に入らない」ゲームに変貌しているとは、気づいていないんではないか。
下手すると「ああ、おれ前半は調子よかったのになあ。後半は運を使い果たしちゃったか」とか思ってそうである。

そういうことではない。

原理的に「前半は簡単、後半は加速度的に難しくなる」ゲームなのだ。
だが、「レアカードどれかが出る確率は10%!」とか言われると、その辺が見えにくくなる。

このブログの中の人だって、こうやって部外者として見ているから、なんか冷静なことを言っている風ではあるけれど、実際、中に巻き込まれたら、そうそう落ち着いていられるかどうか。
いや、怖い怖い。
人間というのは、ことほど左様に、「錯覚」する生き物なのである。

で、ようやく本書の話にもどるのだが、ここでいう「錯覚」というのは、いわゆる「同じ長さのはずなのに、違って見える」とか、そういう「視覚」(いわゆる「目の錯覚」)の話だけではない。
人間の認知とか記憶とか、そういったもの全部の「錯誤」のことである。

著者らは「見えないゴリラ」と題した実験で、かの「イグ・ノーベル賞」も受賞した気鋭の心理学者。
実はこの本も、原題は『The invisible gorilla』である。

その実験はどういうものか、というと、そこで使われた映像が、you tubeで公開されている。興味があって、多少英語に心得のある方は是非ご覧いただきたい。


以下、ネタバレをしてしまうが、このビデオ、複数の人が輪になってバスケットボールをパスしている映像が映るので、そのパスの数を数えるように指示される。

ところが、映像中に、ゴリラのキグルミをきた人物が登場して、輪の真ん中で胸をたたくしぐさをするのである。

そして――これが、結構驚くべき話なのだが――ビデオを見た人の約半数は、ゴリラの存在に気付かないのだそうだ。
その比率は、かのハーバード大学の学生であっても、世間一般のフツ―の人々であっても、ほぼ変わらない。
「パスを数える」というタスクに集中すると、他のことが見えなくなるのである。
著者は、かつて、米軍の潜水艦が、日本の練習船えひめ丸」に衝突したとき、船長が、通常に考えれば見落とすはずのないのに、えひめ丸の存在を見落としてしまった原因を、この種の錯覚に求めている。

本書では、この実験のエピソードを皮切りに、人間の知覚が、いかに「頼りないもの」であり、人がいかに「本当のこと」を見抜けない存在であるかを暴いていく。

大統領選挙中のヒラリー・クリントン(現国務長官)が、体験したこともない戦場体験を語ってしまったり、警察から全幅の信頼をおかれていた被害者の目撃証言が結果として虚偽だったり、語られるエピソードは、どれもけっこうなインパクトだ。

本書の各章には「注意の錯覚」「記憶の錯覚」「自信の錯覚」「知識の錯覚」「原因の錯覚」「可能性の錯覚」という副題がつけられている。

どれも興味深いのだが、「自信の錯覚」というのが、実際の仕事の現場でも注意が必要・・・という意味も含めて、とくに興味を魅かれたところだろうか。

これは簡単に言えば「人は、自信にあふれた態度を取っている人を『実力や知識がある』と錯覚する。だが、その人に本当に実力があるかどうかと、自信にあふれた態度をとっていることとの相関関係は、世間の人が思っている以上に低く、また、人は自分の実力を過大評価しがちである」ということである。

詳細は省くが、著者らの研究によれば

自分の能力に対する裏付けのない確信は、性別や国籍を超えている。全国調査を見ると、アメリカ人の63%が、自分の知能を平均より上だと考えている。不思議はないかもしれないが、男性は女性より自分の知能に自信を持っており、71%が自分は平均より頭がいいと判断していた。だが、女性も半数以上(57%)が自分の知能を平均以上と考えている。この自信の強さは、傲慢なアメリカ人にかぎらない

以下、カナダやスウェーデンでも似たようなものだ、という話が続く。
あれだな、日本人は「対面調査」をすると、謙虚に答えそうだが、匿名の記名式調査で、「だれが答えたかがわからないようにする」ことに注意をはらった調査をすれば、アメリカ人と同じような結果がでそうな気がするなw

で、この「自分の能力に対する裏付けのない自信」というのは、「能力の低い人ほど強い自信を示す」傾向が強いのだという。

たとえば、実力によるレーティングがかなり精密に出るチェスプレイヤーへのアンケートなどでも、その辺は明らかに実証されているそうだ。
で、実力がある人ほど、自分の実力を冷静に分析して、裏付けのある自信を示すようになるのだそうだ。

う〜む。

一方で人は「自信をもった態度を示す人」を信用する傾向があるので、「実力がないのに自信を示す人」がグループを支配してしまうという現象もおこり、この辺が「世に無能なリーダーがはびこる理由」でもあるらしい。
どうですか? 皆さんの周りにそんな現象はありますでしょうか?

他にも本書には、「知識の錯覚」がリーマンショックを生み出した構造とか、サブリミナルや自己啓発、「モーツアルトを聞くと頭がよくなる」といった言説に潜む錯覚とか、興味深い話が尽きない。
著者の筆致がユーモラスなので、けっこう「笑えるネタ」風にも書かれているけれど、でも、一方で、結構深刻な話でもあるのだが。

最終章では、「脳トレ」も俎上にあげられている。簡単に言えば、ま、あれやってもボケは防げないんじゃね?という話なのだが、どうですかね。
一時のブームは過ぎましたけど、まだやっている人いるのかな?
効果はあったんですかね?

そして本書の最後のほうにはこんなことが書いてある。

意外に思えるかもしれないが、あなたの知的能力を長く保つ最良の方法は、認知能力を鍛えることとほとんど関係がないようだ。脳を直接鍛える方法より体を鍛える方法(特に有酸素運動)のほうが、効果がありそうだ。
〈中略〉
週に数回、適度な速さで30分以上歩くだけでいい。それで行動管理能力が向上し、健康な脳が維持される。任天堂は脳を鍛えなさいと訴えているが、椅子に腰かけて脳トレ・パズルをすることより、自宅の周辺を何度軽く方がはるかに効果が高そうだ。

なるほどね。
このブログの中の人も、本読んで、PC向かってブログ書くのも大概にして、とりあえず散歩にでも出たほうがよさそうである。
むろん、ケータイでゲームばっかりやってるのも、あまり知的能力を保つにはよろしくなさそうなわけではあるが。(冒頭の話題を思い出して、あわててまとめに結び付けてみた)。