浜の真砂は尽きるとも、世に○○のタネは・・・ ― 『陰謀史観』秦郁彦 著

どうやら、このブログの中の人は、陰謀論というやつに興味があるらしい。
気が付くと、何冊かその種の本を持っている。

といっても、別に世界はユダヤとロックフェラーとフリーメイソンに牛耳られていて、民主党は“特ア”に操られた売国奴の集団で・・・などと、ここで主張するつもりはない。

むしろ逆、というか、陰謀論の生まれる構造みたいなものに興味があるのだ。

そういえば、3.11以降、ネットにはデマや陰謀論が活発になって、中には、「東北の地震は、地震兵器によるものだ」と主張する地方議員がでてきたり、「au(KDDI)がiPhoneの発売を決めたのは、東電か株の一部を持つKDDIが、反原発自然エネルギーの事業化に熱心な孫正義ソフトバンクを追い込むためだ」とかいう話がツイッターに出回ったり、想像力の極北に位置するような説がいろいろ出てきていた。

今日取り上げる本に出てくる言葉を借りれば、「世に陰謀のタネはつきまじ」ということだろうか。

まあ、ここまで極端な話になれば、生温かく見守ることで、一種の“娯楽”として受け入れることもできる
だが、たとえばそれが、ある一定の社会的地位のある人たちによって体系化され、それなりに社会的にインパクトを持つとなれば、看過するにはいかない・・・というのが、多分、著者がこの本を書いた動機の一つなんだろうな、と(勝手に)想像してみたりしたわけである。

というわけで、今回のお題はこの本。
陰謀史観 (新潮新書)
もう、タイトル、「まんま」ですね。
著者の秦郁彦氏は、実証的な現代史研究家として著名な方だから、ご存じの人も多いだろう。従軍慰安婦問題などでもおなじみの論客である。

陰謀史観とはなにか。
広辞苑で「陰謀」と「史観」という言葉を引くと、次のように書かれているそうだ。

陰謀 ひそかにたくらむはかりごと
史観 歴史的世界の構造やその発展についての一つの体系的な見方

ま、当たり前といえば当たり前の定義だが(ま、辞書に奇をてらったことを書かれても困るけれど)、「体系的」というのがポイントだろう。
そう、けっこう体系的なのだ。世の中に流布する陰謀説というのは。

そんな中で、本書で著者が論じるのは、

(1)前期の「ひそかに」、「はかりごと」、「体系的」の三条件を満たしていること。
(2)昭和期を中心とする日本近代史の流れにくり返し出没して、定説ないし通説の修正を迫るもの。
(3)それなりの信奉者を集め、影響力を発揮している。

 具体的には、明治維新日露戦争張作霖爆殺、第二次世界大戦東京裁判や占領政策まつわるものなどなど。
それらを、歴史な流れに沿って順々に解説したうえで、本書の後半で著者がとりあげるのは、「田母神論文」だ。

当時、自衛隊航空幕僚長だった田母神俊雄氏が、某ホテルグループの懸賞論文に応募、その内容が物議を醸し、田頼神氏は職を解かれ、その後、言論人として活躍するようになった経緯は、ご記憶の方も多かろう。

著者に言わせれば、田頼神論文の評価は次のようになる。

受け売りが多いとはいえ、諸説をかき集めて一堂に並べたのはユニークな着想といえよう。とかく陰謀論を唱える人士はある特定のテーマにのめりこむ傾向があり、相互の交流は乏しく体系化ないし集大成を試みる人は少なかった。

まあ体系的に並べて見せて一定のインパクトを見せたところで、その要素一つ一つが間違っていれば、当然「すべてが間違い」になる。
どこがどのように間違っているか、個別の立証は本書にあたってもらうとして、問題は、それが、知識人を含め、それなりの支持者を得てしまったことだろう。
著者は『国家の品格』『日本人の誇り』などの著者、藤原正彦氏などを、その例として挙げているわけだが。

本書の最終章では、こうした陰謀史観の構造を、著者が簡明に分解してみせる。
著者に言わせれば、陰謀史観における“担い手”は、2種類に分けられる。
一つはコミンテルンコミュニスト・インターナショナル)CIA、KGBなどなどの国家機関ないし準国家機関。
これは、それなりに記録が残されていたりするので、真実が明らかにされることも多い。
もちろん、いろいろな工作は現実に行われているのだが、たいていは「陰謀論者」がいうように自由自在に世界史を動かしているわけでではない。

で、もう一つは、ユダヤ、フリーメーソン、国際金融資本などの非国家組織。こちらはたいてい記録などなく、陰謀と成果の因果関係すら、判然としない場合も少なくない。

そして、これらの陰謀史観には、おしなべて「因果関係の単純明快な説明」「飛躍するトリック」「結果から逆行して原因を探り出す」「無責任と無節操」といった特徴を持つという。
「すべては“ヤツら”が悪い」という説明、単純で分かりやすいですからね。

そして、歴史というのは、そんなに単純でわかりやすいものではない。
つまり、そういうことなのだろう、と思うわけです、つまり。