社会科学を現実(?)に適用するということ ―『ゾンビ襲来』 ダニエル・ドレズナー著

ホラー映画をもっともっと見る習慣があったら、面白かったんだろうなあ、この本。

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

原題は「Theories of International Politics and Zombies」。
『国際政治およびゾンビの理論』といったところか。
邦題は、ややインパクト重視って感じで、もっと冷めたユーモアが感じられる落ち着いた題名のほうが、この本の本質にふさわしいのではないか、という気もする。

著者のダニエル・ドレズナーは、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院(フレッチャースクール)の教授を務める著名な国際政治学者(らしい)。
アメリカの外交政策に強い影響力をもち、「ロックフェラーの陰謀」などを信じる人たちの間ではよく標的になる「外交問題評議会」のメンバーでもある。
一方で「ゾンビ研究学会」の諮問委員。

で、国際政治とゾンビにどのような関係があるというのか。
本書の問題意識意は次のようなものだ。

もし、死者が墓場から甦り、生者を貪り喰うようになるとしたら、さまざまな理論は、何が起こると予想するだろうか。また、その予想は、どの程度、妥当なものとなるだろうか(それとも、理論自体もゾンビ化してしまうのだろうか…。)
 まじめな読者は、このような疑問を単なる空想として一蹴するかもしれない。しかし、食屍鬼は、ポピュラー・カルチャーの中では、あまりにも当然のものである。映画、ポップス、ゲーム、書籍などの別を問わず、このジャンルは明らかに昇り調子にある。<中略>控えめに見積もっても、すべてのゾンビ映画のうちの3分の1以上が、過去10年の間に封切られている

そして、2001年秋の炭疽菌攻撃や、911のテロが、人々の関心をより強めているという見方もあるという。

にもかかわらず、社会科学者によるゾンビ研究に遅れをとっており、著者はそのことに危機感を持つ。

政策立案の観点からも、食屍鬼に関していっそうの研究がなされることは正当化される。近年において有力な意思決定者が示したように、発生確率のきわめて低い出来事であっても、それが実際に起こった際に予見される結果が深刻なものであるなら、大げさな政策的対応を誘発し得る。たとえば、先の副大統領、リチャード・チェイニーは、たとえ1%でもテロ攻撃の可能性があるなら、極端な手段の行使が正当化されると信じていた。

もし現実にゾンビの発生が起これば、テロに勝るとも劣らない、きわめて悲惨な結果が起こりうる。
人類に与える“実存的恐怖”の大きさは核テロをも上回るだろう。
であれば、ゾンビ襲来に対して社会科学がなにができるのか、真摯に考える必要がある! とまあ、そんなところが著者の主張である。

かくして、著者は「ゾンビとは何か」を定義し、ゾンビの起源や発生メカニズム、能力などについて考察したあと、国際政治の理論や思想が、ゾンビ発生にたいして、どのような理論や対応策を考えうるかを考察していく。

まず、定義について。

一国の安全保障という観点からレレヴァントな、ゾンビに関する想定は以下の3つである。
1.ゾンビは、人肉に対する欲望を抱く。彼らは、他のゾンビを食さない。
2.ゾンビは、脳を破壊しない限り、殺すことができない。
3.ゾンビに噛まれた人間は、ゾンビになること避けられない。
すべての現代的なゾンビに関するナラティブは、これらのルールに合致する。

(余談ながら、「レレヴァント」とか「ナラティヴ」って、学術書とかだと訳さないんですかね? 前者は「妥当な」、後者はまあ、平たく訳せば「語られ方」くらいですか・・・。)

なぜ死者がゾンビになるのかの起源については、多種多様で明確な「これ」というものはない。
しかも、ゾンビによる攻撃はこれまで存在したことがないため、予防策や先制攻撃をとることは事実上不可能に近い。
したがって、国際政治学や国際関係論では、これらを「独立変数」としてあつかい、「ゾンビが発生した場合にどのようなことが起こりえるか、そして、どのような対応をとるべきか」に議論を集中させることになる。

以下、著者は国際関係論における「レアルポリティーク(現実政治)の理論」や「リベラリズムの理論」あるいは「新保守主義ネオコン)の思想」などにのっとった時、ゾンビの発生によりどのような現象が起こり、国際政治に何が起こりえるかと予想できるかを考察していくのである。

たとえば、レアルポリティークの考え方では、国家は、それぞれ自国の利益をなによりも優先して行動すると考える。
だから、国際機関による協調や規制には懐疑的で、

彼らリアリストにとって、アンデッド(=ゾンビ 引用者注)は過去にも存在した伝染病や災害の繰り返しに過ぎない。<中略> 現代の研究によるなら、より大きな富を有し、より強大な社会の方が、相対的に弱く、貧しい国家よりも自然災害をうまく乗り切ることができる。リアリストは、ゾンビの感染拡大が、これらと異なった結果をもたらすと予想する理由はないと考える

そして、場合によってはゾンビに支配されるようになった国と、そうでない国との間で力の均衡や不干渉を旨とする同盟関係が構築されえることも予想されるという。

一方で、リベラリズムは、国際協調を重視する考え方であるが、リベラリストは、ゾンビと人類が協力がほぼ不可能であることを認めている。
そうである以上、ゾンビを、マネーロンダリングや食物媒介疾患のような、グローバル化における「負の公共財」とみなすことになる。
そこで、その拡散を防ぐために、国際機関が創設されることになるだろう。
たとえば、世界ゾンビ機構(WZO)のような。

さらに、リベラリズムは、国際政治におけるNGOの役割を重視するが、その中には、ゾンビの側に立って、ゾンビの権利擁護を目的とする団体の出現も予想される。

「ゾンビの平等」を主張するNGOは、現時点で少なくとも一つは存在している。それは「アンデッドの権利と平等に関する英国市民連(CURE)である。さらに強力なアクティビスト・グループ、たとえば、ゾンビ・ライツ・ウォッチ、国境なきゾンビ、ゾンビエイド、ゾンビの倫理的扱いを求める人々の会などは、世界ゾンビ基幹がゾンビの抹殺を達成するにあたって困難を生じさせることになるだろう

だが、これらのことが多少のコストとなっても、国際協力によってゾンビに対処すべきというのが、基本的なリベラリズムの立場といってよいだろう。

ネオコンの思想にのっとると、ゾンビに対してどのような対応をとるのが正しいのだろうか?

ネオコンは、ゾンビが世界政治の他のいかなるアクターと変わらないとするリアリストの主張を嘲笑い、また、グローバルガバナンスの諸制度によってゾンビに対処できるというリベラルの主張をも嘲笑う。人類による覇権の持続を確かなものにするために、この学派は代わりに攻撃的で軍事化された対応を推奨する。食肢鬼が向かってくるのを待っているよりも、ネオコンは、アンデッドに対して先制攻撃を仕掛ける政策オプションを推奨するのだ

・・・ほかにも、国際政治学における「構成主義的アプローチ」による立場による見方とか、国内政治や官僚制の影響、心理学的アプローチなど(いずれも国際政治理論の世界でもちいられるアプローチ)の立場からいろいろ書かれているけれど、それは割愛。(興味ある方は、本読んでください!)

これらのアプローチでゾンビ問題を分析した後、著者は最終章で、現代の国際関係論の欠点について述べる。

ほとんどの国際関係理論は国家中心主義的だが、国家間の紛争は、もはやそれ程重要な脅威ではない。<中略> テロリストもハッカーも、広大な領土は所有していないので、彼等に対する報復は困難となる。地震や噴火のような自然災害には、病原菌の媒介物や氷河の融解などのように、われわれが「主体」として観念するようなものは存在しない

そこで、新たな脅威に対応するためにより詳細な研究が必要になるのだが、とりあえずは、既存の理論が不完全ながらも有益な分析ツールを提供しており、「どのモデルを、いつ国際政治に適用するのかという事に関するる判断力は、科学というよりは、もはやアートの領域の問題なのだ」。

まあ、経営学なんかもそうだろうけれど、社会科学というのは、現実を説明する一つのツールにしか過ぎないし、理論や法則があったとしても、それは自然科学のような厳密なものではない。
それは便利なツールで、そのツールをどうつかうのかは、使い手の技能(アート)に依存するのだと、つまり、そういうことのようである。

・・・というわけで、この本、もちろん、ある種のジョークなのだが、国際政治学の理論と、その現実への適用(といっても、ゾンビの発生は現実ではないけれども)とはどういうことかの「実践」をやって見せている本です・・・という解説が正しいだろうか?

なお邦訳は本文149ページに対して、48ページにわたって「国際政治学」「ゾンビ学」双方の詳細に渡る訳者の解説が付され、登場する理論に関する基本書から、日本の国会において『ゾンビ』という言葉が使われた例の一覧、ゾンビに関する基本文献やサイトまで、著者に劣らず、訳者(法哲学と国際政治学を専攻する大学の先生)もマニアックなようである。

にしても、あれだね。
頭のいい人のジョークは、理解するまでにちと時間がかかる。
ふと、そんな感想を持ちました。