経済学ってやっぱりまだ発展途上なんだと思う ― 『デフレーション―“日本の慢性病”の全貌を解明する』 吉川洋 著

それにしても、やっぱり、この2ヶ月ほどの日経平均の上昇が「アベノミクスによる日本経済復活の序章」なのか、それとも「なんとなく安倍さんのお陰で景気もよくなりそう」という期待値に基づいた「ミニバブル」なのかどうか、というのは、よく分らない。
メディアや専門家の意見も、分かれているように見える。

そこで、前回のエントリーでは、「アベノミクス万歳」な「リフレ派」の本を取り上げてみたわけだが、今回は、違った立場の本を読んでみたわけだ。

デフレーション―“日本の慢性病

デフレーション―“日本の慢性病"の全貌を解明する

(↑上の画像や写真はamazonにリンクしています)
著者は東京大学大学院経済学研究科の教授・・・だからといって、この本はあくまでも一般向けの概説書だし、必要以上に恐れる必要はない。
必要はないけれど、でもやっぱり経済学や経済用語にアレルギーがあると、読み通すのはちょっとつらいかも知れない。
ケインジアン」とか「貨幣数量説」とか「期待利子率」とか「ゼロ金利」とか「流動性のわな」とか。
あと、数式つかったクルーグマン・モデルの批判的解説とかもでてくるし。
クルーグマン・モデルとは、米の経済学者ポール・クルーグマンの作ったモデルで、ゼロ金利下でもインフレ・ターゲティングとマネーサプライの増加によりデフレから脱却できる=リフレ派の主張に理論的根拠を与えている。そういえば、クルーグマンアベノミクスを絶賛、という話はニュースにもなっていましたが)。

でも、著者もその辺は配慮して、「モデルの詳細、経済学の細かい議論に関心のない読者は3節まで飛ばしていただいても結構である」といってくれてたりするので、そこは有難く飛ばさせていただいて、理解できるところだけ読んでも、それなりに意義のある本だと思う。
というか、クルーグマン・モデルの詳細な説明とか、このブログの中の人には求めないように。

さて、本書はまず、「デフレの何が問題なのか」を論じた後、日本の「失われた20年」の経済を「デフレ」という観点から振り返り、その後、経済学の世界でデフレがどのように論じられてきたのかを検討し、著者なりの見解をのべる、という構成をとる。

では、デフレの何が問題なのか?

デフレとはモノの値段が下がることだから、庶民感情としては「悪いことじゃないんじゃないか?」という気がしないでもないし、仮に給料が下がっても、それと同じだけ物価も下がれば、「実質」の生活水準は変わらないということになる。
実際、90年代に「価格破壊」などといわれて、いろいろなものの値段が下がり始めたころには、「ありがたい」と思っていた人も多かったと記憶する。

「教科書的」にいえば、デフレの害毒は次のようなことになる。
まずは、名目金利が一定とすれば、「実質金利」が上昇する、ということ。
100万借金をしたとして、デフレでモノの値段も給料も下がっていけば、その100万の借金の「価値」は、実質、もっと高くなってしまうわけだ。
給料が上がることを見越してローン組んだら、どんどん給料下がって大変なことになった、というのも、まあ、そういうことの延長線上だろう。

そして、デフレと不良債権が重なると、経済は悪循環を始める。
著者はここで、20世紀前半の経済学者、フィッシャーの議論を引きながら、次のようにいう。

フィッシャーのいう二つの条件とは、(1)好況期に企業が過大な債務を負うこと、そして(2)その後にやってくる不況期に経済がデフレになることである。この二つの条件が重なると、経済は悪循環に陥ってしまう。
 デフレにより負債の実質的負担が大きくなると、企業は倒産・破綻に追いやられてしまう。その結果、失業率の上昇、投資の減少などを通して実態経済の悪化が深まり、物価の下落すなわちデフレはさらにひどくなる。このようなデフレと負債の開く瞬間こそは資本主義にとって最大の脅威だ、とフィッシャーや主張した

デフレそれ自体というよりも、こういった条件が重なることが問題なのであって、そして、バブル崩壊後の日本経済は、まさに、こういう状況に陥った、ということのようである。

辞任を表明した日銀の白川総裁は、デフレについて以下のように見ていた。

「物価下落は景気悪化の原因とみる」立場と、「物価下落は景気悪化の結果であり、そのかぎりにおいて望ましくはないが、物価下落が原因となって景気悪化が生じているとは考えていない」立場がある、と整理している。<中略>
日本銀行は再三第二の立場、すなわち「デフレは景気悪化の原因ではなく結果である」とする見解を表明してきた。

そして、著者に言わせると、

こうした二分法だけだと、不良債権問題への視点が抜け落ちてしまう。フィッシャーが正しく指摘したとおり、デフレは不良債権問題と組み合わさることによってマクロ経済への脅威となる。

ということである。

こうした前提を置いた上で、本書では経済学的な議論が続くのだが、著者の基本的な立場は「デフレは長期停滞の原因ではなく、結果である」(ただし、デフレがまた実体経済にも影響を与えるのは事実ではあるが)、ということと「貨幣数量説=デフレというのは通貨供給量の問題であって、じゃんじゃん通貨を流通させればデフレから脱却できる、というのは間違いである」ということである。

では、先進国のなかで、唯一日本でデフレが続いているのはなぜなのか?
途中の経済学的な議論は省略して、結論に急いで見ると、著者は、「名目賃金」に注目する。
日本の名目賃金は、失われた20年の間に低下を続けた。
その理由の一端は、日本の雇用慣行の変化にある、ということである。

かつて「終身雇用」といわれた日本の大企業における「雇用」も根本的に変わった。本格的なリストラが行われる中、「雇用か賃金化」という選択に直面した労働者は、名目賃金の低下を受け入れた。名目賃金は「デフレ期待」によって下がったのではない。1990年代後半、大企業を中心に、高度経済成長期に確立された旧来の雇用システムが崩壊したことにより、名目賃金は下がり始めたのである。そして、名目賃金の低下がデフレを定着させた

欧米と比較すると、日本の名目賃金は、景気や企業業績を反映して伸縮的に動く傾向にあるのだそうだ。その替わり、就業者数の変化は少ない。この辺は、不景気と入っても欧米に比べれば失業率が低い、といったところでも、なんとなく感じ取れるところではある。

景気が悪くなったときに、賃金より雇用を守る。
そのためにじりじりとみんなの給料が下がり、その結果全体がデフレ傾向になって、それがやがて経済全体を、さらに停滞に導いていく。
これが事実とすれば、いわゆる「合成の誤謬」が存在しているようである。

なお、「人口が減少したこと」にデフレの原因を求める説については、著者は次のように否定している。

労働人口の減少が経済成長にマイナスの影響を与えるのは事実だ。ただし、その影響は「数量的」には一部(あるいは多く?)の人が想像するよりはるかに小さい。
 先進国の経済成長は、働き手の頭数で決まるのではなく、「一人当たりの所得」の上昇を通して成長してきたのである。<中略>
「生産年齢人口」もまた、「人口」と同じく経済成長にとって主役とはいえない。<中略>
人口の減少がそれ自体として経済・社会的問題であることは、その通りだ。しかしそれは、1990年代から始まった日本経済の長期停滞の原因ではない。ましてや、「デフレの正体」ではない。

そして、デフレそれ自体は「景気停滞の結果」ではあるけれど、それがさらに経済にあたえた悪影響として、著者は「デフレ・バイアス」について指摘する。

日本の企業は、物価の下落が続くなかで、製品の価格を下げるための「プロセス・イノベーション」(少しでもモノを安く作って売るために、プロセスを改善する)に注力してきた。

その結果、日本の経済の将来にとってより大きな役割を果たす「プロダクト・イノベーション」がいつしかおろそかになってしまったのではないだろうか。たとえば、流通業にとって真に重要なのは、高齢化社会にふさわしい新しい流通を確立すべく「第二次流通革命」を行うことだ。しかし、デフレは、ゼロ・サムの下での「1円競争」に企業を追い込んでしまった。
 経済の成長にとって最も重要なのは、新しいモノやサービスを生み出す需要創出型のイノベーションである。<中略>
デフレは、日本企業のイノベーションに対して、そうした「プロダクトイノベーション」からコストカットのための「プロセスイノベーション」へと仕向けるバイアスを生み出した。これこそが、15年のデフレが日本経済に及ぼした最大の害悪なのではないだろうか

というわけで、結局のところ、金融政策によって貨幣流通量を潤沢にすれば問題は解決する、といったほど、単純ではないし、結局のところ、需要を創出するようなイノベーションがなければ経済は回復しない、というのが著者の見方ということである(って、ものすごい大雑把なまとめだが。一方で、著者自信が明確ですっきりした回答を与えきっていないのも事実である)。

そして、個人的には「経済停滞の原因は日銀の政策の失敗なのであって、そこを改めれば、解決する」という分りやすい説明よりも、こちらのほうがしっくりとくる。
なんというか、喩えは悪いかもしれないが、「日銀が全て悪い」という議論は、「○○人が全て悪い」みたいな陰謀論的発想のギリギリ一歩手前、という感じもするし。

なお、このブログでは、途中の「経済学的議論」は全くはしょってしまったけれど、デフレをめぐる経済学の議論や学説史、さらに、その混迷ぶりを「ケインジアン」の立場から批判的に検討する内容になっている。
一方で、著者自身も、明快な「正解」を提示しているとも言い切れない印象を受ける(って随分上から目線だが)。
つまり、まだまだ経済学は、本当に経済を解明できるだけの力をもっていない、ということなのだろう。
まあ、その辺、きちっと論じられるほどの知識も、このブログの中の人には、ないわけだけれど、興味と知識がある人はぜひ、詳細に読み込んで論じて欲しいなあ、と思う。

最後に、ちょっとだけ、気がついたことが一つ。
途中で、次のような文章が出てくる。

「ゼロ金利」下では、各銀行は必要が生じたときは保有している短期再建の流動資産をほとんど「資本損失」あるいは「売却損」(capital loss)をこうむることなく売却して日銀当座預金に変えることができるのであるから

短期再建? これ、多分「短期債権」ですよね?
まあ、漢字の変換なんて、このブログもしょっちゅうやらかしているので、人様のミスを指摘するのもなんなんだが。

ちなみに手元にあるのは第2版。どうやら初版がでた後でも気づかなかったものらしい。