“万歳”にみる“伝統”の虚構性と変容について ― 『ミカドの肖像』(猪瀬直樹著)をてがかりに

万歳三唱という習慣があって、たとえば現代では政治家の人なんかがお好きで、衆議院の解散が宣言されたときとか、当選したときなんかによくやっている。

ニュースなんかを見ていると、たとえば韓国なんかでも「万歳(マンセー)」を叫んでたりするわけで、なにもしらなければ「ああ、これは東アジアのあちらこちらにある習慣なのかな?」とか思ってしまう人もいたりするわけだ。

もちろん、この「万歳」という言葉は、日本の戦争の歴史と深く結びついているものであって、いろいろと難しい議論になりがちなわけだけれど、そもそも「万歳三唱」っていつごろから、どういうふうに始まったのだろう? という話が、この本に出てくる。

ミカドの肖像 (小学館文庫)

ミカドの肖像 (小学館文庫)

(↑上の画像や写真はamazonにリンクしています)

著者は、あの猪瀬氏、つまり現東京都知事だが、この本は猪瀬氏のいわゆる「出世作」である。
「ミカド=天皇」にまつわるもろもろの隠されたエピソード、たとえば、西武グループによるプリンスホテル軽井沢の開発とか、日本におけるゴルフの普及と天皇との関係とか、日本ではあまり知られていないオペレッタ「ミカド」の欧米における影響力とか、明治天皇の「御真影」が、実はお雇い外国人であるイタリア人版画家によって作られた版画だったとか、日本人/日本社会の間に隠されている天皇制という存在の幅の広さと、私たちが漠然と思っているのとは異なる実相を丹念に暴きだした労作だ。

どちらかというと、多様な方向性から対象を照らし出すことを目指したような本なので、一本の真っ直ぐなロジックを貫き通した構成にはなっておらず、「こういう内容で、つまりこういうことを言ってるんですよ」と要約して紹介することは難しい。
だが、とにかく歴史やノンフィクションが好きな方であれば、無類に面白本であることは保証する。
文庫版で解説含めると全886頁というボリュームに、それほど怯える必要はない。
元が週刊誌連載ということもあって、割合読みやすいし。

で、この本の後半に、「万歳」という習慣の起源について、こんなことが書かれている。

ハーバード大学講師板坂元によると「万歳三唱」のあの独特のスタイルは日本の伝統ではなく明治維新後に欧米の習慣をまねることからうまれたものだという。欧米のスリー・チアーズが元であり、チア(cheer)はチアガールのチアで、英米では「ヒップ・ヒップ・フレー」という掛け声を三回繰り返した。

当時の新聞記事を調べると「(憲法発布の)祝典に『万歳』の発生の評議、西洋流になんと趣向したいもの」(中外商業、明治22年2月8日付)という見出しがあり、「彼の英国に於て、ホウレー、ホウレー、ホウレー(筆者注――フレー、フレーのことか)と称して、陛下の万歳を祝するがごとく、何とか発声して奉祝の意を表」しているのを参考にすべく協議していると書かれているので、スリー・チアーズ説は肯定してよいだろう。<中略>
日本人の伝統的儀式スタイルと思われていた万歳三唱も、「御真影」と同じように“輸入品”だったのである。

万歳、という言葉自体は古くからあって、万歳=一万年=永遠ということから、長寿を祝福する意味で使われていたらしいが、現在我々が知るような「万歳三唱」のスタイルは、明治憲法を発布するころに、イギリスのをまねして作られたものだということである。
万世一系、2600年を越えるという伝統(主催者側発表)からみると、それほど歴史の古いものではない。

さて、そうして生み出された「万歳三唱」は、日本による統治を経ることで、韓国にも伝わる習俗となり、そして今、「日本帝国主義」を批判する韓国の人たちが、「独島万歳」を叫んでいたりする。
叫んでいる人たちが、どの程度、そのことを意識しているかは分らないが。
(というより、多分、意識はしていないのだろうが)。

本書には、たとえば「富士山、松、海」で象徴されるような「日本的な景色」というのも、明治時代に絵葉書が発売されることによって、初めて定着したものであることとか、その他いろいろなエピソードが出てくる。

我々が「日本の伝統」と考えているものの中で、明治時代に急ごしらえで作られたものは、想像以上に多い。
それらは、開国と明治維新を経て、「欧米と同じような、国民国家を作らなければいけない」という必要性にせまられるなかで、次々と生み出されたものだろう。
これは本書に出てくる例ではないし、挙げると話がまた微妙になるかもしれないが、「国旗としての日の丸」「君が代のメロディー」なんてのも、その一つだろう。
古典落語にも歌舞伎にも、祇園祭にも、「日の丸」も「君が代」もでてはこない。
国旗、国歌というのがそもそも、西洋が生んだ「国民国家」、つまり国家というのは国境線で区切られた一つの領土内の住民を構成員として統合するものである、という理念のもとに、その統合のためのツールとして生まれた要素が強いものなのだろう。


世界は国境線で区切られていて、それぞれに国民がいて、それぞれに国旗や国家があって・・・という状態を、僕等は当たり前と思っているけれど、実はそれは西洋で「国民国家」「主権国家」という制度が生まれてから作られたものだ。
そして、とくに、そういう制度を西洋から「輸入」せざるをえなかった国々(明治時代の日本も、もちろんそうだ)では、急ごしらえで、そうした「国家」を成立させるためのツールを整備する必要があった。
それは、憲法とか統治機構とか国境線とか、そういう「ハード」の部分だけではなくて、国民を心情的に統合するための「ソフト」の部分も含まれるものであっただろう。

つまり、万歳三唱というのも、そういうソフトだったのだ。おそらくは。
つまり仮装された虚構の伝統、ということもできる。

そして、それは、当初に作り出された意図を超えて伝播していく。
だから「日本帝国主義」に抗議する人たちが、「大日本帝国」を統合するために作られたはずの動作をするようなことにもなっていく。
新たに「国民国家」の団結のツールとして、当初の意味を剥奪された上で再利用されていくわけだ。


こうした「繰り返し」はいつまで続くのだろう?と、ふと思うことがある。
ある国の伝統、と呼ばれているものが、じつは、結構な近代になってから、意図的に作られたものであるのならば、それを「伝統」というだけの理由で守り続ける理由もない、ということにはなる。
もちろん守るべきもの、あるいは、自然と残っていくもの、というものはあるわけだけれども。

・・・というわけで、いつもとちょっと違うスタイルのエントリーになりましたね。
タグの最初が「雑記」となっているのは、つまりそういうことで。