写真は真実を写すのか ―― 『キャパの十字架』 沢木耕太郎著

「戦場カメラマン」というと今の日本では、ちょっと前までテレビによく出ていた“あの人”を思い浮かべてしまうのかもしれないけれど、世界で史上もっとも有名な戦場カメラマン、といえば、今年生誕100年を迎えた「ロバート・キャパ」ということになるのだろうか。

ロバート・キャパの名が世に出るきっかけとなった「崩れ落ちる兵士」という写真を、どこかで目にしたことがある人は多いと思う。
スペイン内戦で、共和国側の兵士が撃たれたその瞬間を捉えた傑作として、世界中に広まった写真だ。、
(見たことのない、または、どの写真か分らない人のために、wikipediaの画像へのリンクはこちら

この、写真をめぐる“真実”を、めぐるノンフィクションがこの本。
文芸春秋』の1月号に、この本の元になった原稿が掲載されたばかりだし、NHKでも2月に関連の番組が放映されたから、いろいろとご存知の方もいるかもしれないが。
(なお、一応「謎解き」系の本なので、ネタバレが困るという方は、以下お読みにならないようにお願いします)

キャパの十字架

キャパの十字架

(↑上の画像や写真はamazonにリンクしています)

キャパの「崩れ落ちる兵士」には、長らく「真贋論争」が続いてきた。
著者の言葉を借りれば、こういうことだ。

――あの写真は本当に撃たれたところを撮ったものだろうか?
それは、ひとりの戦場カメラマンがあのように見事に兵士が撃たれる瞬間を撮ることができるものだろうかという常識的な感覚に裏打ちされた疑問、違和感だった。

「崩れ落ちる兵士」には、ネガが残されていない。
そして、キャパ自身も、この写真については多くを語らなかった。
そのことが、ことの真相をますます分らなくしていったのである。

本書は、その「謎解き」が大部を占める。
写真そのものを緻密に検証するだけでなく、スペインの現地を訪ね歩き、実際の撮影された場所を突き止めたり、パリの図書館に、この写真の初出の雑誌を捜し歩いたり・・・と、多くの仮説と検証を重ねる歩みは、それはそれで、読み応えはある。

「この写真は、キャパが兵士にポーズをとってもらって撮影したものである」という説を発表したスペインの大学教授の話は、何か、この写真が「伝説化」してしまった理由の一端を示しているようで、興味深い。

「私の考えはスペインの代表的なメディアにはまったく無視されてしまいました。外国にはあなたのように何千キロも離れたところから尋ねてくれる人がいるのにね。キャパの写真がポーズを撮ってもらったものだなんていう説は、スペイン人には受け入れがたいものなんです。やはり、あの写真はピカソの『ゲルニカ』と並ぶ、スペイン戦争のイコンですから」
 イコン、聖なる画像だから、と。

著者の到達した結論は、まとめると、次のようなものだ。

この写真は、戦場で撃たれた兵士を撮ったものでなく、演習中の兵士が偶然の出来事(足を滑らせるなど)によって倒れ掛かった瞬間を捕らえたものであり、そして、この写真は、キャパ本人ではなく、このとき行動を共にしていた女性写真家・ゲルダ・タローである・・・。


というわけで、謎解きには一応の結論が出るわけだが、もちろん本書の内容はそれに尽きるものではない。
ロバート・キャパはどのような人物で、なぜ、この写真について嘘をついたのか。
ゲルダ・タローとはなにものなのか。

それについて、本書の内容を詳しく書くのは控えることにする。
このブログの中の人が下手にまとめるよりも、沢木耕太郎の文章で呼んでいただいたほうが、数億倍も面白いと思うので。

簡単に言えば、こういう話です。

ユダヤ人系ハンガリー人として生まれたエンドレ・フリードマンは、ドイツで写真を学んでいた。
そしてパリで写真家としての成功を目指しているうちに、一人の年上の女性と出会う。
女は、フリードマンの、いわばマネージメントの役割を引き受け、彼が成功するためのさまざまなアイデアを考える。
やがて二人は、共に戦場カメラマンとしての道を目指すようになり、ゲルダは、マネジメントという裏方ではなく、一人の写真家として頭角を現していく・・・。

ロバート・キャパというのは、無名の写真家エンドレ・フリードマンを売り出すために、アメリカ風に作られた「アーチスト名」であった。
同じくゲルダ・タローというのも、「作られた」名前であり、タローという姓は、当時パリにいた画家・岡本太郎からとったものだという。
活動の初期には、ゲルダがとった写真も、「ロバート・キャパ」名義で発表されていた。


そして、「ロバート・キャパ」は、「崩れ落ちた兵士」という一枚の写真により、世界的な名声を得るに至り、一方で、ゲルダ・タローは、だんだんとキャパの「恋人」から「同士」になり、自らの名前で写真を発表するようになり、世界初といっていい女性戦場カメラマンとしての評価が確立しようとしている最中、1937年7月、戦場での事故でなくなる。

つまり、これが、「キャパの十字架」である。

いくら自分が仕組んだことではなかったにしろ、撃たれてもいない兵士を撃たれたかのごとく扱うことを黙って受け入れ、もしかしたら自分で撮りもしない写真を撮ったとすることまでを受け入れてしまっていたかもしれないのだ。
 それは世界中の人々を欺いているということにならないか?
 キャパが背負った負債は、フォト・ジャーナリストとして有名になればなるほど、大きくなっていったはずである。

キャパは、この負債をなんとか返済しようとすべく、戦場に赴き、数々の傑作写真をものにする。
史上最大の作戦」といわれた、ノルマンディー上陸作戦(第二次大戦での、連合軍によるヨーロッパ上陸作戦)の最前線を写真に収めることができたのは、キャパ一人だった。

戦後のキャパは「戦争写真家/ただいま失業中」という自嘲的な名刺を刷った、などと友人に話しながら、写真家として活動した。
しかし、その作品は、戦時中のものに比べて、明らかに質が落ちる、と、沢木耕太郎はいう。
そして、1954年、インドシナの戦場にカメラマンとして赴き、地雷を踏んで亡くなる。

ここで、なぜ、キャパの写真が「銃に撃たれて亡くなる瞬間の兵士」として流布されてしまったのか、本書にかかれていない部分も含めて、少し考察を。

我々は、いつしかデジカメになれてしまって、写真というのは、撮ったその場で確かめられるものという感覚になれてしまっているけれど、当時のカメラは当然、フィルムを使ったものであった。
だから、写真をとったあと「現像」という作業が必要だった。
そして、キャパは、戦場では自分で現像をすることは少なく、スペイン内戦の当時も、撮ったフィルムをそのままパリに送っていたという。
だから、自分がどんな写真を撮ったのか、自分の目で正確には確認していない。

だから、パリで現像された写真をみた編集者が、この写真を「銃で撃たれて崩れ落ちる兵士」という触れ込みで、雑誌に載せた・・・というのが、おそらく真相であろうと思われる。

20代前半の青年が、自分の意図しないところで、このようなウソに巻き込まれ、しかもそれが彼にとんでもない名声をもたらした。
ウソの源である写真は、すでにいろいろな意味を持って世界に流通し始め、どんどん“伝説”と化していく。
その十字架の重さがいかほどのものであったのか、僕等には想像するしかないけれど、ただ、それなりに浮名を流していた(その相手には、世界的な女優イングリット・バーグマンがいたりもした)にも関わらず、ゲルダへ結婚を申し込んで断られて以降、結局、家庭をもたなかったことや、平時の写真家に飽き足らず、インドシナの戦場に赴いてしまう行動に、その心情の一端が表れている気はする。

まあ、現代であれば、こんなことがあったら、その写真家はネットで袋叩きにあって社会的に抹殺されるんじゃないかとも思いますけれどもね。
そもそも、この写真、「どこで撮られたものなのか」も正確には伝わっていなかったらしいし。
現代では考えられないこと、ではある。
多分、今だったら2ちゃんねるあたりで、瞬く間に撮影された場所が特定されたりしているはずである。


なお、本書には、キャパが創設した写真家集団「マグナム」から借用した写真がいくつも収められているのだが、その際、マグナム東京支社から「マグナムは必ずしも沢木氏の本の内容を認めているわけではない」との一文を入れて欲しいという申し入れがあったそうだ。
まあ、そりゃそうですわね。

あと、あとがきに「現に私も、NHKの番組制作スタッフと、最新鋭増技術を使っての検証作業を行いつつあるところだ」という一文があるが、それが、2月に放送されたNHKスペシャルである。
実際、番組では、コンピュータによる画像解析などを駆使して、沢木説を裏付けていたのだが、番組だけ見ると、なんだか沢木耕太郎が足で稼いだことを裏付けている、というより、NHKの技術で初めて真実が明らかになった、といわんばかりの構成になっていた。
う〜ん、テレビ的演出? 
まあ、沢木耕太郎くらいになれば、NHKにも物申せるだろうから、あれはあれでよし、と判断されているのでしょうが。


なお、キャパとゲルダについては、朝日新聞横浜総局記者の伊丹和弘さんという方が簡単にまとめられていたので、ご参考まで。
https://www.facebook.com/Kazuhiro.Itami.Journal/posts/335581959879999