渡邉美樹氏のサクセスストーリーに注目が集まり始めた頃 ―― 高杉良著『青年社長』について

このところ、一部週刊誌とネット界隈で、やたらとこの本の主人公のお名前を拝見するような気がするので、さっと読み返してみようかと思ったわけである。
主人公の名は 渡邉美樹。

青年社長〈上〉 (角川文庫)

青年社長〈上〉 (角川文庫)

参院選比例代表候補者としてその名が報道されて以来、ワタミのブラックぶりがどうだどか、氏が理事長を勤める「郁文館夢学園」で反省文100枚を強制して退学者続出とか、株主総会の召集通知や宅配サービスの顧客への挨拶状に選挙出馬の挨拶を載せるのは公職選挙法的にどうなのかとか、株主総会と、その後に開かれる『ワタミ感謝祭』なるイベントが、なんかちょっと独特だとか、まあ、いろいろネタが出てくる、出てくる。
(個人的には、両国国技館で行われていたという『ワタミ感謝祭』の総合司会が宝田明、ゲストが北村弁護士だった、という話がちょっとツボ。
宝田明にとっては「営業」、北村弁護士の場合はもうちょっと複雑な「お付き合い」の要素が含まれていると思われるが、なんていうか、マス・メディアには出てこない芸能界事情が垣間見える気がする)

これだけ「悪評」が溢れていると、多少は、渡邉氏の「良さ」を喧伝する人はでてこないものかと思わないでもないが。
いや、いるところにはいるのか。
ワタミ感謝祭』の会場とか。

いや、かつては、そうではなかった。
当然といえば当然で、なにしろ一代であれだけの企業グループを築いた成功者なのだから、ビジネス書業界が放っておくわけがない。
「成功者に学ぶ」のが大好きなビジネス書読者というのは、常に一定数が確保されていて、加えてご本人も「自己顕示」がお好きな方のようだから、そこには幸福な需要と供給の関係があったはずである。

本書の単行本の初版は1999年。
ワタミフードサービスが上場した翌年である。
この本のクライマックスも、株式上場。
創業14年にして上場を果たした、あの居酒屋「ワタミ」の創業者のサクセスストーリを広く知らしめたのがこの本・・・といってもいいかもしれない。

一部でささやかれている「本人が高杉良に直談判して書いてもらった」というウワサの真偽は知らないけれど、基本的には、渡邉氏がいかに凄い経営者かを褒め称える内容である。
この作者の経済小説の中には、企業や組織の問題点や腐敗を題材にしたものも多いけれど、けっしてそういう内容ではない。

もちろん、あくまでも小説なので、全てが真実というわけではなかろうが、しかし出来事の時系列や、資料で確認できる事実関係については、ほぼ真実と考えてよかろう。

(なお、あまり詳しく書くわけには行かないが、このブログの中の人は、「高杉良の小説のモデル」となった企業に勤めていたことがある。しかも、その企業の「不祥事」を題材にした方で・・・。
末端の平社員だったので、不祥事の全体像など知る由もなかったし、その小説で描かれた不祥事の「解釈」が真実なのかどうかを判定する材料も持たないのだが、一部「モデル」を知っている人物のキャラクター付けなどは、ああ、外部から取材して、この程度までは書けるものなのだなあ、と、思った。
当時の上司は、「あんなもの荒唐無稽だ」といっていたけれど)

10歳で母と死別し、その後、父の経営する会社が倒産するという、少年のうちになかなかにヘビーな体験をもった美樹少年は、小学校の卒業アルバムに「社長になる」という夢を記す。
そして、明治大学商学部を卒業後、ミロク経営で「貸借対照表」の読み方を学び、半年で退社。
開業資金を貯めるため、佐川急便のセールスドライバーに転職する。
物語は、その面接のシーンから始まる。

「明治の商科をでて、佐川急便で宅配便のSD(セールスドライバー)をやるのはどうしてなの。SDもサラリーマンだけど」
「お金が欲しいからです。月収43万円は魅力があります」
「高額な月収に見合って、SDの仕事はきついよ」
「覚悟してます。体力には自身があります」

大卒に勤まるものか、といわれながらも、一日20時間近い激務をこなし、無事、1年間で300万の開業資金を貯める所から、このサクセスストーリーは展開していくわけだが、ここで、以前読んだときには考えなかったことがふと頭によぎった。

本書で読む限り、当時の佐川急便SDの労働環境というのは、とんでもない。
一日20時間の勤務は当たり前。
休日は月に二日。
今、名のある大手企業がこんなことをしたら大変だろう。

ただし。
学歴も問わず、身元保証人も事実上必要もなく、破格の高給を提示していた。
月収43万円。
今から30年前の話である。
(まあ、額面なので、手取りは36〜7万円だが、それにしても、中卒でそんな給料を提示してくる会社はそんなにあるまい)

だからこそ、渡邉氏も「夢を実現するための1年間」をここで過ごしたわけだが、はたして、今、氏の経営する会社は、そんな「若者の夢の実現」を後押しする場になっているのだろうか。
いや、それは「お金」という形でなくても一向かまわないだろうが。

本書の最終章は、渡邉氏が全社員に向けて、メッセージを書くところで終わる。

他社を意識するな。われわれの敵はわれわれ自身であり、昨日のワタミフードサービスに勝ち続けるのみである。素晴らしい人材が集まっている。社会的信用も高まっている。いまこそチャンスなのである! 天狗になっている暇などない。“天狗になってたまるか”。
 経営目的の広く深い達成のためのチャンスを無駄にしてはならない。いまこそ謙虚に神様が応援したくなるような、ひたすら努力あるのみである。わたしの思いが君の心に届くことを祈る。

殴りつけるように一気呵成に書き終えて、渡邉は「天狗になってたまるか」と、大きな声でひとりごちだ。