痛快娯楽劇と経済小説の間――ドラマ『半沢直樹』と原作について

ほぼ3ヶ月ほどブログを休んだわけだが、まあ、ゆるゆると復活していこうと思うので、よろしくお願いいたしたく。

先日、とあることを検索しようとして「は」と入力したら、それだけでgoogle先生が検索候補として「半沢直樹」という単語を挙げてきた。
まあ、それぐらいの「ブーム」なわけである。

最近は「振り返ればテレビ東京」といわれるTBSも異様な盛り上がりぶりで、それには、こんな背景もあるらしい。

これまでの一般劇(※NHK大河&朝の連続テレビ小説除く1977年9月26日以降に放送された番組)歴代視聴率TOP3を振り返ってみると、1位は『積木くずし・親と子の200日戦争』(1983年 TBS系)最終話の45.3%、2位が『ビューティフルライフ』(2000年 TBS系)最終話の41.3%、そして3位に『熱中時代』(1979年)、『家政婦のミタ』(2011年 共に日本テレビ系)の40.0%となっている。 

ORYCON STYLE 『半沢直樹』は名実共に“伝説のドラマ”となるのか!?
http://www.oricon.co.jp/news/movie/2028847/full/

これで、『半沢直樹』が40%越えとなれば、歴代3位をTBSが完全に独占というわけで、そりゃあ盛り上がろうというわけである。

で、現在、書店にいくと、このドラマの原作本が平積みとなっている。

オレたちバブル入行組 (文春文庫)

オレたちバブル入行組 (文春文庫)

オレたち花のバブル組 (文春文庫)

オレたち花のバブル組 (文春文庫)

ドラマでいえば『オレたち〜』が5話までの大阪編、『花の〜』が伊勢島ホテルが登場する東京編、となる。

なぜこのドラマがこれほどヒットしたのか?というのは、すでにいろんなところに論じられているけれど、まずは、原作がしっかりしているということが言えるだろう。
そして、配役。
たとえば「A●Bの何某」やら、「ジャ●ーズの何某」を売り出そうとか、次代の事務所のホープに育てようという剛●ちゃんを主役にねじ込むとか、そういう「背後の事情」ではない、原作のキャラクターを的確に演じられる俳優を起用しようという強い意思が感じられる。

黒崎検査官は、原作でも「オネエ言葉」で話し、こんな人物と描写されている。

金融庁検査官の黒崎俊一は、鼻持ちならないエリート臭をぷんぷんさせ、集まった銀行員を小馬鹿にしたような目で見つめていた。育ちがいいのは見てもわかる。だが同時に、心のどこかがひん曲がっていることも見ただけで分かった。<中略>
明るい色のスーツを着て行員たちを前にしている姿はどこか置物のようでもあり、世間知らずのお坊ちゃまがそのまま大人になったような童顔である。

『オレたち花のバブル組』 第4章 金融庁の嫌な奴

この役に、片岡愛之助を連れてきたのは物凄い慧眼だ。
若いころは女形もやっていた上方歌舞伎のホープにとって、あの手の演技は「お手の物」だろうと思う。

なお、原作の「大阪編」では、国税庁は登場するものの、黒崎はまだでてこない。
原作者も、その時点ではまだ、このキャラクターを造形できていなかったのだろう。
ドラマでは、これを、半沢のライバルとして一貫した登場人物に仕立て上げている。

このように、より劇的に仕上げるために細部に設定を変えているところはいくつもあって、ドラマの大阪編で壇蜜が演じた「東田の愛人の美樹」は、あんなに重要な役回りではない。
東田の隠し口座の情報を半沢に渡すのは彼女ではないし。

妻の花のキャラクターも手が加えられていて、原作の半沢夫妻は、あんなに「甘い」感じではない。

かつて大学の後輩だったときにはしおらしかったのに、いつのまにか偉そうになり、いまや子供を人質にして、半沢のことより自分たちの都合を優先させる女である。半沢が出世して高給を維持し、「あなたのご主人すごいわね」といわれればそれで満足という、浅い考えも透けて見えるから腹が立つ。

『オレたちバブル入行組』 第2章 バブル入行組

まあ、全般にこんな感じで、原作の半沢にとっては、家も必ずしも安らぎの場所ではなく、家で安らげないからこそますます外に出て行って派手に戦うような、ちょっとハードボイルドな男なのだ。
いやあ、男はつらいねえ。

そのほかにも、羽根専務が男性だったり、設定変更の中でも最大の「違い」は、父親と大和田との関係である。
原作では、半沢の父親は健在で、たしかにかつて銀行に散々な目に合わされたことがあるものの、そのとき担当だった銀行員は「大和田」ではなく「佐々木」。
原作では、佐々木は、同期の出世頭だった近藤をメンタル不調に追いやった秋葉原支店長でもあった、という設定で、こいつに対する復讐、そして「衆人環視の場で土下座させる」という話は、ドラマで言うところの大阪編で完結してしまっている。

この設定の違いは何を意味するのか。

ドラマ『半沢直樹』の魅力として、劇画的な演出と、時代劇を思わせるような勧善懲悪のストーリー、ということが、あちらこちらでいわれているが、「大和田常務は半沢の父を死に追いやった悪人である」という設定こそが、このドラマを「時代劇」のフォーマットに落とし込んだ最大のものだろうと思う。
この設定を付け加えることで、「あだ討ち」という側面が加わる。
こうなるともう、時代劇どころか、歌舞伎のフォーマットだ。
そりゃ、片岡愛之助市川中車、じゃなかった、香川照之の、テレビドラマとしてはやや規格外の「大きな芝居」がはまるわけである。

そう考えると、これまた原作にはなかった「半沢と近藤が体育会剣道部出身」という設定が加えられているのも、合点がいく。
彼らは「武士」なのだ。
(そして、この「剣道部出身」という設定だからこそ、何箇所か「立ち回り」のシーンが設定できたわけだ。大阪編最後の東田を追い込む立ち回りなんかは、時代劇のクライマックスそのまま、ともいえる)。

では、「あだ討ち」という動機に支えられているわけではない、原作の半沢が戦い続ける意味は何なのか。

原作はタイトルに「バブル」という言葉が繰り返し使われていることからも分かるように、「バブル」とはなんだったのか、そしてバブル崩壊によって銀行はどう変質したのか、そして銀行とは本来どうあるべきなのか、という問題意識に支えられた経済小説としての側面も色濃く持っている。

シリーズ第1作『オレたちバブル入行組』の冒頭は、バブル期の超買い手市場の就職戦線の描写から始まる。
人材を確保するために、内定の決まった大学生に「拘束」と称し、カネを渡してディズニーランドに遊びに行かせていたという、今となっては何かのおとぎ話としか思えないような時代。
その時代、銀行に就職するということはつまり「一生を保証されること」だと信じられていたわけだが、もちろん、そんな時代がいつまでも続かなかったことは周知の通り。

銀行はもはや特別な組織ではなく、儲からなければ当然のようにつぶれるフツーの会社になった。銀行が頼りになったのはせいぜいバブルまで、困ったときに助けてくれない銀行は、とっくに実体的な地位を低下させ、企業にとって数ある周辺企業のひとつに過ぎなくなっている。

『オレたちバブル入行組』 第4章 非護送船団

そんなフツーの会社になった銀行で、半沢が目指すものは何なのか。

正直なところ、半沢は、銀行という組織にほとほと嫌気が差していた。古色蒼然とした官僚体質。見かけをとりつくろうばかりで、根本的な改革はまったくといっていいほど進まぬ事なかれ主義。<中略>
もうどうしようもないな、と思う。
だから、オレが変えてやる――そう半沢は思った。
営業第二部の次長職は、そのための発射台として申し分ない。手段はどうあれ、出世しなければこれほどつまらない組織もない。それが銀行だ。<中略>
いまや銀行は世の中に存在する様々な業態のひとつである。見る影もなく凋落した銀行という組織に、かつての栄光を重ねることは無意味だが、まったく逆の意味でこの組織を自らの手で動かし、変えてみたいという半沢の思いはかえって募った。

『オレたちバブル入行組』 終章 嘘と新型ネジ

どうやら、原作の半沢は、武士というよりはもう少しドライな野心家のようでもある。


さて、そんなこんなで、ドラマのほうもとりあえずの幕は閉じたわけだが、ちと最後の「対大和田」のシーンのドラマティックに焦点を当てすぎて、やや、最後が説明不足のキライがありますね。
それに、原作のほうがほろ苦くも味わい深い。

結局、行内融和を掲げる中野渡頭取が、大和田がコテンパンにやられたことに反感を持つ勢力の不満を抑えるために、半沢は出向させられたわけだが、原作では、人事部長の伊藤と営業二部長の内藤が、半沢にその辺の説明をすることになっている。

「まあ君も知っての通り、当行もいろいろあるのでね、やはり行内融和を考えるとそうしたほうがよかろうということで、いま内藤部長とも意見が一致した」
「君は本当によくやってくれた、半沢」
半沢の視線にさらされ、苦りきった内藤が声を絞り出した。「だが、政治力の点で私も少々力が及ばないところがあったようだ。すまない」
<中略>
「戻ってこい、半沢」
伊藤を遮って、内藤がいった。「いや、オレが必ずお前を引き戻す。それまでおとなしくしておけ、雌伏の時だ」
おいおい。
半沢は黙って上司たちを見つめながら、胸中でつぶやいた。
あんたたちは何一つ、責任を取るわけでもないじゃないですか。全てはオレ一人におしつけようという話かよ――と。

『オレたち花のバブル組』 第8章 ディープスロートの憂鬱

そして、子会社の証券会社に出向した半沢の活躍は、自作『ロスジェネの逆襲』で描かれることになる。

ロスジェネの逆襲

ロスジェネの逆襲

ここまでの半沢は、バブル世代として「すき放題やってきた団塊世代の後始末をさせられている」という思いを心のどこかに持ってワケだが、今度は「ロスジェネ世代」、つまり「やすやすと就職したバブル世代」に恨み骨髄の世代の部下と手を携えながら、“敵”と戦っていくことになるのである。

ま、あのドラマの終わり方を見る限り、堺雅人が『リーガル・ハイ』の撮影を終え次第、続編でドラマ化されることとおもうが。

そして現在、半沢直樹は、週刊ダイヤモンド連載『銀翼のイカロス』で、複数の労働組合やプライドばかり高く当事者意識のない経営陣でメタメタになっているナショナルフラッグキャリア「帝国航空」の再建のために戦っている。
このブログの中の人は、連載をちゃんと追いかけているわけではないが、政権交代を終えたばかりで大向こうやマスコミ受けばかり気になる女性大臣(中身は、あの「口だけ」国土交通大臣、外見は、あの「仕分け担当」の女性議員がモデルというもっぱらのウワサ)に振り回されていたりするらしい。
で、ドラマの反響をみた原作者は、黒崎氏も登場させているとか。

ま、島耕作ばりに「半沢頭取」誕生までシリーズが続くのかどうか。
ゆるゆると、ウオッチしていきたい。