モノを作らない“ものづくり企業”について ―― 『アップル帝国の正体』 後藤直義・森川潤 著

ドコモがついにiPhoneを扱い始め、なんか新しい機種もではじめて、世間はいろいろ賑やからしいです。
“らしいです”というのは、このブログの中の人が、数ヶ月前にやっとガラケーandroidスマホに変えたばかりで、とくにアップルの製品に興味のないボンクラさからなのですが。
なんというか、一連の騒動、「AKB総選挙」と同じくらい、どこかの“向こう側”で起こっているような感じがしてまうわけです。

しかし、そうはいっても(いや、むしろ、そうだからこそ?)アップルという会社の何が、そんなに世間を騒がせるのか、というのは、関心がそそられる。
で、スティーブ・ジョブズの凄さとか、iPodやら、iPadやらの製品の素晴らしさについては、興味がなくても目に飛び込んでくるくらい、やたらと語られているけれど、“アップルという会社自体”の凄さや特異性については、まだまだ語られていない気がする。
(お前が目にしていないだけだ、といわれると、返す言葉がないけれど)。

で、その辺を、とくに日本企業との関係や対比を軸に、分かりやすく語っているなあ、と思ったのが、この本なわけです。

アップル帝国の正体

アップル帝国の正体

著者は共に週刊ダイヤモンドの記者。
内容の一部は同誌の連載に負っているわけだが、さらに自費での取材もすすめて一冊にまとめたらしい。
だから版元が文芸春秋なのか。

さて、アップルという会社は、iPhoneiPadMacBook Airといったデバイスを販売する会社である。
そういう意味では「メーカー」に分類されるのかもしれないが、しかし、今のアップルは自らはモノは作らない、ということは良く知られている。
個々の部品は、日本メーカーをはじめとする、世界の最先端技術をもったサプライヤーから買い集め、組み立ては中国や台湾のメーカーが行っている。

本書の第一章は、かつて「世界の亀山モデル」としてテレビ市場を席巻したシャープの亀山工場のエピソードから始まる。
シャープの亀山第一工場は、アップル向けの液晶パネルを独占的に供給するという契約を結んでいる。

アップルから毎月送られてくる生産計画をもとに、せっせとiPhone用の液晶パネルを作っては、iPhone本体を組み立てている中国に輸出していた。
 アップルからの注文が来なければ、その分、生産ラインを止めることになる。いくら他のメーカーから注文があっても、この工場で生産することは許されていないのだ。

工場内には、“Property of Apple Operation(アップルの固定資産)”というシールが張られた製造装置が並び、シャープ社員が入ることを禁じられた部屋がアップル社員に用意され、工場をコントロールしているという。

もちろん、それは、経営不振に陥ったシャープの窮余の一策だったわけだが、しかし・・・。

アップルは冷徹に「仮にシャープが倒産した場合にも、iPhone用の生産ラインには一切迷惑をかけるな」と繰り返し主張していた。
 沈みゆくシャープに手を差し伸べて、年間3兆円をゆうに越える純利益という「甘い果実」を分け合うつもりなど、アップルには全くなかったのだ。

初代iPodの光り輝く背面のシルバーが、日本の燕三条地区の職人による金属加工技術で磨き上げられていたことは、よく知られたエピソードである。
つまり、彼ら、世界中を駆け回って、自らのビジョンを具現化するためのサプライヤーを血眼で捜しているのだ。

本書によれば、iPhoneのカメラが飛躍的に進歩したのはソニーの技術の賜物だし、半導体東芝エルピーダメモリ、部品では村田製作所やTDK、京セラに日東電工といった、日本の名門企業がアップルのサプライヤーとして名を連ねる。
これら日本企業は「わが社の技術がiPhoneに使われている!」と喧伝したいところだろうが、そうはいかない。

アップルの取引企業は、「有力な取引先でさえ、アップルに納めていることを口外することは許されない」と話す。NDA(秘密保持契約)を結ばされており、巨額の違約金が発生するという文面にサインをさせられ、“口封じ”にあっているからだ。<中略>
彼らの強さの本質が浮かび上がってくる。それは、ちまたで言われている「美しいデザイン」や「魔法」といった言葉とはかけ離れた、ビジネスに賭けるすさまじい執念だ。
 アップルの取引先は、神経質なまでの秘密保持契約を結ばされる一方で、逆に、アップルには“丸裸”にされてしまう。

こうした「ビジネスへの執念」は、もちろんサプライヤーだけではなく、家電量販店や携帯キャリアにも向けられる。もちろん、iTunesを通してかかわりを持つ、音楽業界に対しても。

日本では、キャリアによる携帯販売方法の特殊性もあって、iPhoneが高級品でステータス・シンボルであるという意識は薄いけれども、海外では、明らかに「iPhoneを使う層」と「Android」を使う層では、明らかに分かれる国が多いという。
そのブランド力を維持するためにも、かれらの「ビジネスの執念」はもちろん発揮されている。
そうして出来上がったのが、ブランドショップと見まがうような「アップルストア」の存在である。

実際、アップルストアの店舗床面積1平方メートル(約30センチ四方)あたりの年間売上高は圧倒的で、4406米ドル(約35万円)に達する。ジュエリー大手の「ティファニー」の3070ドル(約24万円)をしのぎ、バックなど高級比較メーカーの「コーチ」の1776ドル(約14万円)の2倍以上になる。

そして、アップルの製品というのは、極めて利益率がたかいのである。

調査会社IHSアイサプライによると、12年9月に発売されたiPhone5(アンロック版)の部品原価は16GBモデルで199ドル(約1万8000円)。これに対して、販売価格は649ドル(約5万8000円)。為替相場の変動はあるものの、日本での販売価格を比較してみても、アップルは販売利益のほぼ全てを「独り占め」していることがわかる。

アップルがこれだけの力を持てる源泉は、なにか。
なんといってもそれは、世界で年間1億台以上も、一つの機種のスマートフォンを売り切るという製品の力だ。
それが、サプライヤーに対しては強力なバイイング・パワーとなるし、キャリアや販売店を額ずかせる力にもなる。

卓抜した製品コンセプトを作ったうえで、自らモノを製造するのではなく、ぬきんでた製品を製造する「仕組み」をつくる。
アップルの強さを簡単にまとめると、こんなところになるだろうか。

若き日のジョブズは、いい商品を自社工場で完璧に作りさえすれば、お客さんが喜んで買ってくれると思っていた。<中略>
ところが、ジョブズはアップルに復帰後、そのような考えを大胆に改める。<中略>
しかも、ただ製造を丸投げしたのではない。時には自社でカネを負担してまで、中国の巨大工場に最先端の製造設備を導入させ、その生産ラインから独占的に供給を受けることで、他社が簡単にまねできないものづくりのシステムを築いていったのだ。
 このような、強大な外部サービスと高度に連携することで、アップルは常に世界最高の加工・製造技術を、きわめて安いコストで利用できるようになっていった。


さて、そんなアップルのライバルとは、今、どんな企業だろうか。
著者は、「グーグル」と「アマゾン」の名を挙げる。
たしかに、前者のネクサス、後者のキンドルは、おそらく今、iPadのライバル製品として筆頭に挙げられるだろう。

だが、これらのライバルはまた、appleとは全くビジネスモデルが異なる。

googleは、その収益の大半を、検索サイトに付随した広告でたたき出す。
そして、広告の価値を高めるためには、できるだけ、多くの人に検索サイトを使ってもらう必要がある。
そのために、デバイスを売るわけだ。
そして、amazonにとってkindleは「電子書籍やオンラインショッピングの商品を買ってもらうためのデバイス」である。
つまり、2社とも、モノを売ることで利益を出す必要がない。

IHSアイサプライの分析によると、キンドルファイアに使われている部品コストと組立費用を足し合わせると合計209.63ドルになる。つまり単純に計算すれば、端末を店頭で1台売るごとに、小幅ながらも赤字が出てしまう計算になる。

これは、「ものづくりの仕組みを変える」ことで戦いを勝ち上がってきたアップルにとって、また違った戦いを強いられる事態だろう。

ジョブズ亡き後、どんどんフツーの会社になりつつあるといわれるアップルが、そこでどんな戦いを繰り広げるのか。
アップルが“新しいテレビ”に取り組んでいるという話は以前からささやかれていて、本書でもとりあげられているのだが。

一つだけいえるのは、iPhoneを越えるヒット製品が出ない限りは、アップルに対しては「ジョブズがいたなら……」という風評がいつまでもつきまとうことだ。そして画期的な製品に結びつかなければ、こうした新たな努力も、過去の栄光を知る人には「迷走」と映ってしまう。ジョブズが築いた栄華はいまや、アップルにとっては“呪縛”になりかねないところまで来ている。

そして、日本のメーカーが、単なるアップルのサプライヤー=植民地にとどまっているとするならば、それは帝国の没落とともに、没落していくことになるのではないか・・・そう考えると、ちょっと背筋の寒い話ではある。