第一人者の本 ― 『失敗学のすすめ』 畑村洋太郎 著

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗学のすすめ (講談社文庫)

学者でもコンサルタントでも評論家でも、専門家として「第一人者」になるための早道は「自分で新しい分野を作ってしまうこと」だという説がある。

ま、分野自体が新しければ、他にやっている人はいないんだから当然だ。

その場合の「第1」は、「No 1」ではなくて「only 1」なわけで、そして、僕らは、世界で一つだけの花になるわけである。

そんなわけで、福島原発事故調査・検討委員会の畑村洋太郎先生は、日本における「失敗学」の第一人者。

その入門的な著作が、今回のお題、『失敗学のすすめ』である。

だいぶ有名な本だが、実はちゃんと通して読んだことがなかったので、通読。

畑村センセ、もともとは東大の機械工学の先生。
機械工学というのは「リクツどおり設計したのに、機械が動かない」とか、「ちょっとした失敗でやらかした」というのが多い分野らしい。

そんな中で「失敗学」というコンセプトを提唱し始めましたよ、と。
で、その基本的な概説書がこれ、ということになるのか。

単行本が最初に出たのが2000年。

「ヒヤリ」としたり「ハッ」としたり、すんでのところで大失敗を免れたことをあらわす「ヒヤリハット」なんて言葉が、普及(というほど普及はしてないのか?)し始めたのは、この人の功績かもしれない。

「学」というからには、まず失敗とは何か、とか失敗にはどんな種類があるか、という「定義」から入る。

とりあえず著者のいう失敗の定義とは「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」「人間か関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない、予期せぬ結果が生まれること」。

まあ、極めて当たり前ではあるが、ポイントはやはり「人間が関わって」とういうところ、である。

では、これをどういう風に分類するかというと、著者は「失敗には階層性がある」という切り口で腑分けしてみせる。

失敗には「個々人に責任のある失敗」(個人の不注意、無知など)を底辺に、組織運営不良、企業運営不良、行政・政治の怠慢、社会システム不適合、と、段々と上の階層へと原因が移っていく、というのである。

で、個々からちょっと切り離されたところに、「未知との遭遇」というのを定義する。
これはつまり「それまで知られていなかった要因による失敗」である。
これは、ある意味防ぎようが無く、そこから新しい知見を得て、次に生かすことしか出来ない。
そして、それが「進歩」ということでもある。

以下、失敗を防ぐためにどうしたらいいか、というお話が続くのだが、これが、率直に言ってしまうと、ものすごく斬新な知見があるわけではない。

結局、失敗を防ぐ、というのは「基本的」で「当たり前」なことが徹底できるかどうか、ということなのであろう。

もちろん、それはこの本が「意味が無い」「つまらない」ということではないのだが。

ちょっと考えさせられてしまったのが、「失敗情報は伝わりにくく、時間がたつと減退する」という問題を取り上げていく中で、著者が「津波常襲地帯といわれる三陸海岸を歩いた時」のことが取り上げられていることだ。

三陸地方では、津波について「ここより下に家を建てるな」といった類の石碑が、少なくないという。

だが、「それでもなお、一部の地域では便利さゆえに海岸縁に住み続けています。 『失敗は人に伝わりにくい』『失敗は伝達されていく中で減退していく』という、失敗情報の持つ性質がはっきりとうかがえます」と。
また、JOC臨界事故をはじめ、原子力関連に触れた記述も散見される。

繰り返すが、最初に出版されたのは2000年。う〜む。

あと、興味深かったのは「客観的な失敗の記述は案外役に立たない」ということかな?

第三者が客観冷静に事実関係を調べて原因を究明する、よりも、当事者がその瞬間、何を考え、どう行動したのかを共有しなければ、失敗についての理解や再発防止に役に立つ、というのだ。

ただ、そこで障害になるのは、とくに日本の場合は「原因究明」と「責任追求」が一緒くたになってしまうことだ。
こうなると、当事者はなかなか「真相」が話しにくい。
これは、日本が失敗を許容しいない社会である、ということとも密接な関係があるのだが、そこは、もっと肝要にならなければ、と著者は説く。

アメリカなどでは、司法取引によって、責任追及を緩める替わりに真相を引き出す、ということも行われているようで、日本でも考えてもよい、というのが著者の主張。
司法取引、というと、どうも「汚い」というイメージを持つ人も多いが、アメリカの刑法の場合、司法取引に応じると、容疑者の「黙秘権」が認められなくなり、ウソをつけば「偽証罪」、証言を今日比すると「証言拒否罪」にとわれるので、それはそれで厳しいのである。

これはアタクシの個人的な考えなのだが、どうも日本人は「あなたのことは好きだけど、でもあなたの意見や行動には賛成できない」という議論が、苦手な気がする。
こちらは「あなたの意見」を否定しているだけなのに、「あなたという人間」を否定しているかのように、とる人が多いような気がするのだ。

これは、やりにくい。

で、失敗を許容しない社会、というのも、このことと一脈通じるような気がする。

それがなんなのか? どうしてそうなのか? というのは、もう少し考えてみたい気がするが。
誰か、参考になるような本、知りませんか?

そのほか、失敗を全体から理解する方法とか、失敗を生かすシス。テムづくり、といった項目もあるのだが、いわゆる発想法やら組織論の本に取り上げられている話題を「失敗」という切り口で語りなおしたような感もあり。
とはいえ、一読の価値はあるのは、確かだ。