普通の物差しでは測れない男について ―― 『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』青木理著

出色のノンフィクションである。

「選挙は第4次産業」。
徳之島を中心に、奄美群島地区では昔から言われていたことらしく、実際、このブログの中の人も、20年くらい前に、同地出身の人に「実際まあ、そういわれてるよね」という話を聞いたことがある。
まあ、同地が日本屈指の金権選挙区であることは、昔から「知っている人は知っている」類の話だったわけである。

それが、なんで今になって事件化しているのかは、それなりの背景と理由があるわけだけれども、そういうことも含めて、徳之島の産んだ日本最大の民間医療グループ「徳洲会」の創設者にして、異色の政治家にして、ある種天才的な経営者、徳田虎雄という人に迫ったノンフィクションが今回のお題。
いや、この本、単なる〝悪い政治家”の人物ノンフィクションというカテゴリーに押し込めてしまっては、ちょっともったいない。
なんだか、考えさせられることが多いのである。

元々の単行本の初版は2011年。だから、この本は、一連の選挙違反事件を主要な題材にしているわけではないし、その背景を解明することを目的としているわけではない。
文庫版には17ページほどの加筆がなされ、事件の背景には触れられているけれども、あくまでも、日本一の〝病院帝国”を一代で築き上げ、そして今、ALS(筋委縮性側索硬化症)という難病に苦しみながらも「これからがじんせいのしょうぶ」と語る稀代の怪人物に迫るのが著者の意図である。

車椅子に座り、視線でプラスチックの文字盤を追いながら意思を伝える徳田虎雄氏の姿は、ニュースでご覧になった方も多かろう
ひらがなや数字、「YES」「NO」などの文字群が書かれた透明な文字盤を秘書が捧げ持ち、徳田氏は、目の動きで文字を指し示し、それを別の秘書や看護師がメモ用紙に書き取る。
そんな方法で今、徳田氏は自分の意思を周りに伝えているのである。

ALSというのは、身体を動かす神経系が壊れ、全身の筋肉が縮んでいく難病である。
車いすの天才物理学者、スティーブン・ホーキング博士と同じ病気だ。
原因はいまだ解明されていない。
ということは、治療法が存在しないということである。

徳田氏はすでに呼吸をつかさどる筋肉が機能しないため、のどを切開して人工呼吸器をつけている。
全身の筋肉が萎縮していくなかで、目を動かす筋肉が最後まで機能するため、視線を使ったコミュニケーションが、徳田氏と外界をつなぐ唯一の手段となっている。
そして、この病気では、脳の機能は最後まで正常でありつづける。
意識は全く正常でありながら、人が生きていくために最低限必要な機能さえ次々と奪われていく。
なんとも壮絶な病気なのである。

そんな状態にあっても、徳田氏は自らつくりあげた〝帝国”に君臨しつづけている。
グループ内の病院の会議室にはテレビカメラが設置され、つねに徳田氏のもとに中継できるようになっている。
そして、徳田氏は、視線を通して著者にこう語るのだ。

<ぜんしんの きんにくは よわつてしまつても あたまは せいじようで さえわたつている げんきだつた ときより むしろ ぶんかてき せいかつかも>

本書はまず、現在の徳田氏を理解するための背景として、ALSとはどのような病気なのか、そして、人がALSになったとき、その家族がどれほどの苦悩に見舞われるか、ということを語るところから始まる。
介護に疲れた家族が無理心中を図り・・・という不幸な事件も後を絶たない病気なのだ。

ALSの患者と家族は、ある段階で「人工呼吸器をつけるか否か」という決断を迫られる。
呼吸をつかさどる筋肉が侵されていく以上、人工呼吸器をつけなければ早番、生命の危機を迎えるタイミングが訪れるわけだが、人工呼吸器をつけることで「病気そのものが改善する」わけではない。
したがって、それは「治療」という意味での医療行為ではなく、人工呼吸器をつけるか否かは、患者の意思に任される。
しかし、実際のところは、患者一人の意思で決められる問題ではなく、家族への負担や経済事情や、その他もろもろの事情を勘案して決断せざるをえない・・・。

無論、徳洲会のトップである徳田氏は、自らの設立した病院の最高級の病室で、大勢の看護師の手厚い介護をうけて、経営の指揮をとっているわけだが。

徳田氏が医師を目指したきっかけは、弟が3歳で亡くなったことだという。
たとえば、現代の都市部であれば普通に助かっていたであろう、ちょっとした脱水症状。
しかし、戦後すぐの徳之島では、医者にかかることさえままならなかった。

徳之島は、かつて薩摩藩琉球王国のどちらからも差別的な扱いを受け、戦後の一時期は米国の統治下で極めて貧しい状態に置かれた地域である。
現在も、島民の平均所得は「内地」の半分程度、らしい。
それでいて、合計特殊出生率は全国トップクラス。
地元のタクシー運転手に言わせれば「(子作り以外に)なにもやることがない」から、だそうだが。

そんな環境から飛び出して大阪大学の医学部を卒業し、巨大医療グループを一代で築き上げたとなれば、大層な「立身出世物語」である。

これは、著者も「意外」と評しているのだが、徳洲会が次々と病院を設立し始めたころ、マスコミを中心に世間はかなり好意的に見守っていたらしい。
「生命(いのち)だけは平等だ」というスローガンのもと、僻地医療の充実と「年中無休・24時間営業」「急患は断らない」「患者様からの贈り物は受け取らない」といった方針を掲げ、日本医師会の方針に従わずに快進撃を続ける徳洲会グループは、〝医療改革の旗手”とみられていた。
1979年の週刊ポストの記事を本書から孫引きしてみる。

理事長・徳田虎雄氏のことを〝医療界の中内功”というのだそうな。権威と規制の商圏(!!)にアグラをかいてきた開業医の縄張りに「急患拒まず、夜間いとわず、お金はなるべく使わせず……」と結構ずくめのキャッチフレーズで殴り込みをかける「ホスピタル・チーム」の急進撃である。<中略>おびえる医師会は“患者人質戦法”で抵抗するが、庶民の軍配は言わずと知れた方向に上がる。
中内功の“功”の右側は、原文では“力”ではなく“刀”)

当時の日本医師会は、「けんか太郎」「武見天皇」とも呼ばれ、25年にわたって会長を務めた武見太郎のもと、絶大な政治力を持っていた。
そして、自ら目指す医療改革を実現するためには政治力が必要だ!・・・というわけで政界に進出した、というのが、徳田氏側の公式見解である。

“公式見解”と書いたのは、はたしてそれが、「本当の理由なのか」というのが、完全には納得しきれなかったのである。
これは、全くの個人的な感想なのだが、徳田氏の計り知れないエネルギーを発露させる場所が、単なる「医療改革」の範疇には収まりきらなかったのではなかったのではないか、という印象がぬぐえない。

実際、大学の同級生の、このような証言もある。

徳田の阪大医学部時代の同級生、多田羅浩三との対話に戻ろう。<中略>
――なるほど。ところで、学生時代に徳田さんは、自ら理想とする医療について語ってたんですが?
「語ってない」
――語ってないんですか? 離島に病院を作るとか、僻地でもきちんと医療を受けられる社会体制を作るんだとか、それは徳田さんが常々訴えてきたことだったと思うんですが……。
「それがウソだとは思わんけどね。だけど、(あとから)とってつけたような話だと、僕は思う」

真相はともかく、徳田氏は病院経営で蓄えた膨大な資産をもとに、壮絶な選挙をやってのける。

そもそも、徳田という男、世俗の善悪を超越し、自分の目的のためにはいつの間にかすべてを正当化して、しかも周りの人々を自らの論理に従わせてしまう独特のエネルギーを持っているようだ。

徳洲会グループの事務総長に就いた能宗克行がこんな話を教えてくれたことがある。
「運転していると理事長(=徳田氏。引用者注)からはしょっちゅう怒鳴られましてね。『親の死に目に会えるかどうかっていう時に信号を守るやつがどこにいるんだっ』って。理事長にしてみれば、一人でも多くの生命を守るための病院建設はそれほどの重要時だってことなんですが、一般の方には理解されないでしょうねえ(苦笑)」

もともと、徳之島というのは、小学校の運動会の順位が賭けの対象になるほど、バクチ好きの土地柄らしい。
そして、莫大な補助金に支えられた土建業が島の重要な産業の一つ。
そんな土壌に、莫大な資金をばらまき、なんとしても当選したい男があらわれれば、そりゃもう、大変なことになっていたらしい。
選挙管理委員長が選挙違反の片棒を担ぎ、逮捕されそうになると徳洲会病院に入院して緊急手術をさせて逮捕を免れるというのは、ほとんどドタバタ喜劇の世界だが、実際、その辺の描写は、「不正が行われている現場」というより、どこか不思議なユーモアすら漂う。
その辺の感覚は、実際に読んでいただければわかると思うけれど。

本書の中には、大勢の人の“徳田評”がでてくるが、なかでも白眉なのは、かつて徳田虎雄の結成した「自由連合」に所属し、衆議院に籍を置いたことがある経済人類学者・栗本慎一郎の人物評だろう。
(栗本信一郎って、わかるかどうかで世代の指標になりそうだが)。

「私も結構、いろいろな人間にあってきたけど、あんな人は一人しかいない。<中略>とにかく純粋に変わってるんだよ(苦笑)。ふつうあんなに純粋に人は生きられない。逆に言えば、だからまっすぐに進めるんだ。そんなトラさんに異様な魅力を感じる人はたくさんいますよ」
<中略>
「明らかに汚いし、僕としてはマズいんじゃないかと思うことはいくつもありましたけど、誤解を恐れずに言えば、根が純粋なんです。純粋に生きる中で、純粋じゃないように見える行動をするから、話が混乱する」
――選挙違反とか、買収とか……。
「悪事をするのに、純粋もくそもないんだけど、それでも純粋なんです。目の前を金が動いても、汚く見えないんだ。これは付き合ってみないと分からないな……。もし泥棒だとしたら、純粋な泥棒。あるいは『汚くないウンコ』みたいな感じがした。」

そして、徳田氏は「天才的な経営者」としての側面も併せ持つ。

WBS(ホールビジネス・セキュリタイゼーション)という資金調達の手法がある。
今後ビジネスが生み出すキャッシュフローを含めて、事業の生み出す価値を丸ごと証券化して資金を調達するという手法だそうで(これ以上の説明は勘弁してください)、ソフトバンクボーダフォンを買収するときに活用して有名になった手法だが、徳洲会のほうが、ソフトバンクより先に活用しているのである。
この資金調達に関係したファンドマネージャーはこう語っている。

「政治家や医師としての徳田氏はよく知らないけれど、企業経営やビジネス的な面で見れば、なにやら動物的な勘を持っているというか、一種の天才じゃないかと思いますよ」

なんとも普通の物差しでは図り切れない幅をもった人物なのである。
徳洲会にかかわる人物の中に、社民党民主党の議員から、地域医療や海外の医療援助の専門家、批判を浴びながらも病気腎移植を決行した医師など、あまりにも多彩な人々が含まれていることも、その証左なのだろう。
そして、徳之島という、日本の地域格差や過疎の問題を象徴するような地域に総合病院を設立し、地域医療に莫大な貢献をしてきたのが、この男であるのも、まぎれもない事実なのだ。
それは本来、「政治」の解決すべき問題なのだろうが。
そして、「政治学の教科書」的に判断すれば、徳田虎雄の政治活動というのは、「正しい民主主義」を否定する唾棄すべきもの、なのだが。


そんな徳田虎雄率いる徳洲会が窮地に陥っているのは、30年以上にわたって徳洲会を支えてきた大番頭である事務総長が解任され、マスコミや検察の側に寝返ったからである。
なぜ、解任されたのか。
全身不随になったトップの名代としてグループ経営の最前線に立つ事務総長に対し、徳田の妻や子供たちが疑いの目を持ち始めたからだ。
徳田の威を借りて、好き放題をやっているのではないか?

事務総長の立場からすれば、子供たちの方が私腹を肥やしている・・・という話になる。
まあ、ありがちな「莫大な財産と権力をめぐった、番頭と子供たちの争い」であって、2時間サスペンスドラマだと、盗み聞きしていた家政婦が真実を暴いてしまいそうな話でもあるのだが(ってネタが古いか)。

この元事務総長の名は、能宗克行という。先の、信号無視のエピソード引用に登場した人物である。

一連の事件で、すでに徳田氏の妻も娘も、そして能宗元事務総長も逮捕されている。
はたして、今、どんな思いを胸に抱いているのだろうか。
そして、徳洲会の膨大な資金力にたかってきた政治家たちも。

それはもちろん現都知事だけではないはずだ。
もし、すべてを明らかにしてしまえば、日本の政治が一時機能不全におちいるのではないか、と思うのだが、どうだろうか。