「決断」するための方法論とその限界について −『武器としての決断思考』 瀧本哲史 著

武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)

※同日23:30分に一部修正済み。

久しぶりに、「ビジネス本然」としたビジネス本、について。
前回は違って、とりあえず読み通すのは簡単な本、でもある。

本書の著者紹介を読んでいて、その昔「東大法学部をでて東大の法学研究科で修士号をとった人がいたら、それほど優秀な人ではない」という話を聞いたことを思い出した。

どういうことか?

かつて東大法学部では、学部で優秀だった人をそのまま助手(現在の制度では助教)に採用していたそうだ。
「学費納めて大学院に通いなさい」などと言っていては、優秀な人材が引き抜かれてしまうから。

で、著者紹介によれば、著者の瀧本氏は「東京大学法学部を卒業後、大学院をスキップしてただちに助手に採用されるも、自分の人生を自分で決断できるような生き方をするという観点から、マッキンゼーに転職」した方だそうな。
で、いろいろな会社の「軍事顧問」(多分コンサルティングのこと)やら、投資やらをしている人らしい。
エリートさんやね。

そんな著者は、今、京大の客員准教授として、教養課程の学生相手に「意思決定の授業」を行っているそうな。
で、その内容をまとめましたよ、というのがこの本。
帯には「東大×京大×マッキンゼー 最強の授業」というアオリ文句が踊っている。

「決断思考」という、若干目新しいようなタイトルがついているけれど、要は、いわゆる「ディベート」の世界での方法論を著者なりに昇華させたもの、らしい。
その意味ではまあ、ものすごく新しい内容があるわけではないけれど、学生向けの講義が元になっているだけあって、分かりやすいといえば分かりやすい。

本書の冒頭、なぜこれから「決断思考」が必要なのか、というフリがあるのだが、ここに出てくるエピソードが、ちょっと面白い。

著者は京大で「起業論」も教えているのだが、履修者の内訳をみると医学部の学生が40%と、最も多かったそうである。
で、理由を聞いてみると、返ってきた答えは
「この国では、医者になったって幸せになれない」「もう昔のように、医者=金持ち、という時代でもない」・・・。
皆さん、頭がいいし、ちゃんと将来のことをきちんと考えているんだね。
「とりあえず大学はいって大きな会社にはいっておけば・・・」などという常識に支配されていた、アタクシらの時代の大学生なんざ・・・と、昔話はやめておこう。
いや、京大医学部みたいな優秀な学生がいなかっただけかな。

医者っても、勤務医なんか夜勤をはさんで24時間連続勤務とか、ハンパない忙しさのわりに給料はそれなり・・・と大変だったりするらしいからな。
親を継いだ開業医は結構らくして稼いでたするわりに。
もちろん社会全体からみれば「恵まれた階層」だろうが、それはそれ、その中でも歴然とした格差や競争があったりする。

で、そんな厳しい時代をゲリラとして生き抜くために、武器としての決断思考を持ちましょう・・・という話になるわけだが。

著者は「知識ではなく考え方を学ぶ」ことが重要だとして、こんな話をする。
「最近、丸の内のビジネスマンが『早朝ドラッガー勉強会』を開いている光景を何度か目撃しましたが、ドラッガーの『マネジメント』をみんなで穴の開くほど読み込んだところで、マネジメント能力が上がるなんてことはありえません。
〈中略〉『知識(資格)』を、なんらかの『判断』、そして『行動』につなげられなければ、なんの意味もないのです」
ま、読むこと、知ること自体にも「意味」があるとは思うけど、でも、概ねおっしゃることはよく分かる。

以下、「決断思考」の中から独断と偏見でポイントを引いておく。

・正解ではなく「いまの最善解」を導き出すべし。何が正しいかなんてよく分からない。教科書に出てくる科学理論ですら現状における最善解に過ぎないのだから、違う視点や複数の視点をぶつけ合うことで、とりあえず、結論を出すしかない。

・ブレないこと、それ自体に意味はない。ブレない生き方は、ヘタをすれば思考停止の生き方になる。

・漠然とした問題は具体的にブレークダウンして考える。できるだけ論題は二者択一になるように設定する。一番良いのは「具体的に行動するべきか否か」といった論題にすること。

・どちらの結論にするかは「メリット」「デメリット」を比較すればよい。

・「裏を取る」のではなく「逆を取る」、つまり反対意見を集めて検討する。情報や意見が正しいかどうか確認しようとして、同じ意見や主張の人をみつけても意味はない。

・どんな人も「ポジショントーク(=自分の立場から話すこと)」しかできない。(たとえば結婚している人は、それを否定すると自分の人生を否定してしまうことになるので、「結婚はいいもんだよ。お前も早くしたほうがいい」というのが一般的)

・人に意見を聞くときは、結論より理由(根拠)、一般論より例外を聞いたほうがいい。

・判定は「質×量×確率」で考える。

他にも、メリットを論証するのに必要な3条件(内因性・重要性・解決性)とデメリットの論証に必要な3条件(発生過程、深刻性、固有性)とか、推論における「演繹・帰納・因果関係」という3つのタイプと、そこに入り込みがちな詭弁について、とか、色々とまとめられているが、まあロジカルシンキングやらディベートの分野で似たようなことをいっている類書はたくさんあるかな? という感じか。

(余談ながら、「因果関係」の詭弁については、“後光”に騙されないために ― 『なぜビジネス書は間違うのか』 フィル・ローゼンツワイク著 - 洛中乱読乱写日記以前に日記でとりあげた『ビジネス書はなぜ間違うのか』でも大きく取り上げられている。『ビジョナリー・カンパニー』のような世界的なベストセラーにも、この手の詭弁は潜んでいる。)

正直、この手の本は、もはや本屋の棚に溢れている。
受験の参考書と一緒で、いくつか目をとおしたら、「お気に入り」を一冊さがすのがいいのだろうな、多分。
その「お気に入り」を探す作業そのものにも価値がある、ということを含めて。

なお、本書にも触れられているが、「競技」としてのディベートにおいて、「賛成」「反対」どちらの立場をとるかというのはくじ引きやじゃんけんで決める。
だからディベートの技術というのは、あくまでも技術であって、「ディベートの技術が上手い人」というのは「賛成、反対、どちらにも言いくるめられる人」でもある。

そして、いみじくも著者が言うように、何が正しいかなんて分からないのだから、ディベートと、それに基づく決断の技術を積み上げたところで、最後は価値観やら思想やら信念やら先人の知恵やら、色々なものの力を借りなきゃいけない場面というのは、必ず出てくるだろう。
もちろん、この本はあくまで、技術論の本なのだから、そこまで射程に入っていなくても文句はないのだが、きちんと終わりのほうに「最後は判定する個人の『主観』が入ってくる」という押さえが入っている。
「価値観や哲学の問題には自分自身で決着をつけるしかない」のである。

あ、別に技術論を否定してるわけじゃないんですよ。
まずは技術を徹底的につかって検討したり、解決できる部分は解決することが必要なのは言うまでもない。
信念やら価値観やらが先行して、ろくな検討もなければ相手の聞く耳も持たない、なんてのは、最悪、である。

そして、日本では、そういう議論の仕方が横行している・・・と思うのは、気のせいでしょうか?