表面的な議論に流されないために ― 『名著で読み解く 日本人はどのように仕事をしてきたか』 海老原嗣生・荻野伸介著

終身雇用が崩れて、日本人の働き方が変わってきたとか、大学生の就職が大変だとか、派遣やアルバイトなど、若者が非正規労働を強いられて苦労しているとか、不景気が続き、労働者に長時間労働が強いられる中でワークライフバランスをどう確保していくか、とか、「働き方」に関する議論というのが、ここ何年も喧しく続けられている、ような気がする。

まあ、あれですね。
景気が良くて、なんだかんだいって年々給料があがっていくような状況にあれば、みんな多少のことは文句言わずに働くんでしょうが、なにせ20年近くも経済が停滞してれば、みんなあれやこれや言いたくなるわけで。

で、そうした議論の中には、過去の経緯も知らず、本質を見ない表面的なモノも多いんじゃないの?
もちっと、これまでの歴史的経緯や、過去の議論をきちんと踏まえようよ・・・と、そんなことを訴えかけてくる本を見つけました。

日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)

日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

共著者のうち、海老原嗣生氏は『「若者はかわいそう」論のウソ』など、興味深い著書をいくつも書かれているので、ご存知の方もいるかもしれない。

本書は、日本の企業における人事のあり方に影響をあげた本を、時代ごとに13冊とりあげ、それぞれの本のダイジェストとその時代背景をまとめた本である。
ダイジェストに加え、全ての本について「それぞれの本の著者への手紙」と「著者からの返信」をつけるという形で、それぞれの内容と課題を浮かび上がらせるという手法が、なかなか面白い。

ご参考までに、とりあげられている本と初版の発行年を記せば、以下の通り。
『日本の経営』ジェームス・アベグレン 1958年
能力主義管理』日本経営者団体連盟 1969年
『職能資格制度』楠田丘 1974年
『日本の熟練』小池和男 1981年
『人本主義』伊丹敬之 1987年
『心理学的経営』大沢武志 1993年
『日本の雇用』島田晴雄 1994年
『知的創造企業』野中郁次郎・竹内弘高 1996年
『人材マネジメント論』高橋俊介 1998年
『雇用改革の時代』八代尚宏 1999年
コンピテンシー人事』太田隆次 2000年
『定年破壊』清家篤 2000年
『新しい労働者社会』濱口桂一郎 2009年 

どうですか? この分野を専門としている方には先刻ご承知の本、なんでしょうかね?
このブログの中の人は、あまり読んでませんが(汗)

あ、あと『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を取り上げないわけ、なんて一説もあって、逆説的な形で、この本にも触れてます。

巻末の参考文献表も含めて310ページ。
活字のポイントを落としたコラムも入っていて、新書にしては内容の濃い本である。
よって、全体をうまくまとめるのは難しいので(ちょっと言い訳)、いくつか個人的に興味深かった部分を以下に記すことにする。

著者によれば、日本の給料の仕組みには、世界でも希な部分があるという。

それは、こんな質問をするとすぐにわかるのです。
「ある外国語教室があったとします。この外国語教室は英語もドイツ語も教えています。ここに二人の教師が在籍しています。講師Aさんは英語しか話せないアメリカ人。講師Bさんは同じアメリカ人ですが、英語同様にドイツ語も話せる人。さて、どちらの方が時給が高いでしょうか?」

日本人の感覚だと、「英独の両方ができるBさんの時給が高い」となる。

だが、たとえBさんが2か国語ができたとしても、両方をいっぺんに使うことはありえない。同時に教えることはできないですからね。
で、AさんもBさんも「同じ英語の授業」を担当している限りは、時給は同じてなければおかしい・・・。
と、これが「職務主義」で、海外ではこちらの考え方のほうが主流だという。

日本では「給料は、その人のもっている能力により決まる」という要素が強く、1か国語しかできない人より2か国語ができる方が、給料が高いのを当然と考える傾向が強いのだ。
これが「能力主義」。
よくいう「職能資格制度」というときの「能」ですね。

なぜ、こういう仕組みができたのか、その仕組みを作り上げた社会的要因や理論的背景は、どういうことだったのか? ということは、本書を通読すれば、一応はわかる仕組みになっている。
そして、その仕組みが、近年、どのように行き詰まりを見せ、どういう方向に変えるべきと考えられているのか、という議論も。

本書全体を貫いているのは、表面的に今の事象をみるのではなく、過去の議論を知ることの大切さだ。

例えば、コラムに引用されている次のような議論。

労務管理制度も年功序列的な制度から職能に応じた労務管理制度へと進化していくであろう。それは年功序列制度がややもすると若くして能力のある者の不満意識を生み出す面があるとともに、大過なく企業に勤めれば俸給も上昇してゆくことから創意に欠ける労働力を生み出す面があるが、技術革新時代の経済発展を担う基幹労働力として総合的判断に富む労働力が要求されるようになるからである。<中略>
年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世代に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」

これ、いつごろの議論に見えるだろうか?
最後の一文は、なんだかバラマキと悪名高い民主党の「こども手当」を思い起こすかもしれないが、これが、1960年、池田勇人政権での、かの「所得倍増計画」に出てくる議論なのである。

就職難や引きこもり、フリーターなどの問題については、こんな風にも語られている。

儲けが減った企業が、社員を酷使したため、就労継続困難人たちで、引きこもりが増えた、とも言われました。<中略>
70年代・80年代に「猛烈社会」「エコノミックアニマル」と呼ばれ、軍隊帰りの古参社会に厳しく怒鳴られていたころは、本当に今より楽な仕事だったのでしょうか?<中略>
当時は完全二日制などほど遠く<中略>、経営倫理もCSR(企業の社会的責任)も、社会にはその概念すらなく、驚くほど酷い労働問題が新聞を賑わせていました。それでも、心を病んだり引きこもる人の数が問題になっていません。なぜでしょうか?<中略>
 その当時は、自営業+農業+小規模(家族経営)法人での就業比率が3割程度ありました。会社が嫌になって実家に帰っても、無職ではなく、彼らがやるべき仕事がそこにあったのです。<中略>
こうした産業構造の変化が、人々の心にも影響を与えている気がしてならないのです。


こんな記述もある。

現在の雇用に関する論客の話す内容。年功制・年齢給を批判の的とし、同様に新卒一括採用を悪しき習慣とする言説が幅を利かせています。城茂幸さん、勝間和代さん、湯浅誠さん、茂木健一郎さん……。<中略>
その中身をよく見ると、清家さんのこの『定年破壊』か、4章でも取り上げた島田春雄さんの『日本の雇用』が種本となっているように思えて仕方がないのです。


そういえば、このブログでも過去に、アベグレンの『日本の経営』について取り上げたことがあるが、本書によれば、あの本、当時の日本でも一部の大企業、しかも製造業に議論が限られており、必ずしも当時の日本企業の経営や雇用の在り方を本当の意味で明らかにしたとは言えないようだ。
しかも、アメリカとの比較考証をおざなりにした、けっこう粗雑な本、ということになるらしい。

それでも、この本は大きな影響を持ち、多くの日本企業は、この本が示唆していた方向に動いた。

その理由は、発売当時の日本社会は、ここに書いている方向に顔を向けたかった。そこで語られた言葉を待っていたからではないか、と思っています。

なるほどねえ。
ま、日本には日本の経営のやり方がある、って訴えた本でもあるしな。


で、日本人は働き方は、これからどうなっていくのか。
そして、どうするべきなのか。
本書の末尾は、こんな風に結ばれている。

たとえば、労働力不足を解消するためには、高齢者の積極活用、女性の本格的な社会進出(今は、圧倒的多数が非正規です)などが喫緊の課題。そうしてギリギリまで人口減少をカバーしたとしても、まだ人が足りなかったらどうすればいいか?
 2012年から生産年齢人口は年間100万人近いペースで減少を始めます。80〜90年代の失敗を繰り返さないように、今のうちに真剣にこの国の新しい「働き方」を考えていくべき時ではないでしょうか?

俗耳に入りやすい議論だと、ついつい「不景気で若者に仕事がない」という問題が語られがちだが、この国がこれから抱える「働き方」の問題は、そんなところにはない、というのが、著者らしい。

で、その辺を考えるには、せめて、前記の13冊くらいや読んでおくといいのかなあ、とは思うけれど、これはなかなか、ハードルが高そうではありますなあ。。。