末端から攻めあがるということ ― 『リバース・イノベーション』  ビジャイ・ゴビンダラジャン クリス・トリンブル著

イノベーションのジレンマ』『ブルー・オーシャン戦略』を超える衝撃の戦略コンセプト!・・・とまあ、なかなかに勇ましい帯とともに、新刊ビジネス書のコーナーに最近平積みになっているのが、今回のお題である、この本である。

リバース・イノベーション

リバース・イノベーション

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

イノベーションって言葉は、最近良く見かけるし、日本企業がかつてのようなイノベーションをできてない、なんてこともよくいわれるけれど、さて、そこで、リバース?

そういえば、バカみたいに酒を飲んでトイレに駆け込む人のことを「リバースしに行った」とかいう言い回しがあったけれど(今も大学生は、そんなことしてるんですかね?)、つまりは、リバースとは「逆流」のことだ。

では、イノベーションが“逆流する”とはどういうことか?

本書は、このように説く。

簡単に言うと、途上国で最初に採用されたイノベーションのことだ。こうしたイノベーションは意外にも、重力に逆らって、川上へと逆流していくことがある。
<中略>
ほとんどのイノベーションが上流ではなく下流へと向かうことは、直感的に理解できる。富裕顧客には、最も大きく素晴らしいものを買うだけの経済的なゆとりがあり、実際、そういうものを求める。<中略>
したがって、途上国は経済と技術の両分野で富裕国に追いつこうと、少し遅れて進化のプロセスに入る、と考えるのは当然である。途上国ではイノベーションなど必要ない。懐に余裕ができたらすぐに、富裕国からほしいものをただ輸入すればよいのだと。
<中略>
しかし、それは完全な誤りだ。富裕国で有効なものが自動的に、顧客ニーズがまったく異なる新興国市場でも幅広く受け入れられるわけではない。

これすなわち、必ずしも高い技術をもち、市場も成熟した国や地域だけがイノベーションを生み出すわけではない、むしろ、末端とも言うべき土地から、限られた条件化のニーズを満たそうとする努力が、あたらしい技術や商品やサービスを生み出すこともあるのだ・・・とまあ、そんな風にまとめなおしてもあながち間違いではないだろう。

“技術大国ニッポン”が誇る、最先端の技術を詰め込んだ製品群が、かならずしも世界で売れているわけではない、という話は、ここ最近、あちらこちらで目にするけれど、その辺の「からくり」を理論化して、新興国や未成熟市場からイノベーションを生み出す方法を考えましょう、というのが、まあ基本コンセプト、といったところだろうか?

たとえば『イノベーションのジレンマ』にでてくる「破壊的イノベーション」のような、目を見張るようなコンセプトがあるわけではないけれど、現実に今、世界の市場で起こっている現象を拾って、丹念に概念化したという印象を受ける本である。

実際、実例は数多く取り入れられていて、全384ページで構成は第一部が理論編、第二部が実例編となっているが、1部は128ページまでだから、3分の1程度にすぎない。
で、その理論編にも、実例に即して説明しているわけで、つまり、「ほら、こんな風にリバース・イノベーションが現実に起こっているんですよ」という例が満載の本でもある。

第1部では、たとえば、米のGEヘルスケアによる医療用の小型超音波診断装置の例が取り上げられている。
この装置はもともと、高価で大型で、取り扱いにもそれなりの専門性が必要とされる。
これを、中国の市場で売るには、どうするか?

中国では人口の9割が、地方の資金力が乏しい医療機関で診療を受けており、医療機関に高価な機器を導入する余裕はない。
そして、医師たちも「なんでも屋」であることを求められ、一つの分野(たとえば画像診断)に専門特化することは難しい。

そこで、画像診断装置も小型化、単純化することで、GEヘルスケアは中国市場を開拓することに成功した。
それは必ずしも「最先端技術」を導入することではなくて、ある程度機能を犠牲にしたり、ソフトウエアを改良することによって成し遂げられる。

そして ―― これが重要な点なのだが ―― 中国市場に適応するために開発された超小型化の技術は、米国市場に“逆流”して、救急隊員に小型の装置を持たせたり、これまでは画像診断をおこなっていなかった小規模な診療所にもうりこむ、といった形で市場を開拓していったのである。
つまり「リバース」である。

イノベーションとは必ずしも最先端の技術を活用することではない。
そして「最先端ではないイノベーション」が生まれる条件が、むしろ、新興国や未成熟国だからこそ、整っている・・・とそんな風に考えることができるかもしれない。

考えてみれば、日本のお得意の、小型・省エネ技術というのも、国土が狭く、資源に乏しく、そして、かつてはかなり貧しかったこの国が生み出したリバース・イノベーションだったのかもしれない。
少なくとも、アメリカの市場を相手にしていた自動車メーカーは、燃費の良い小型車や高性能50ccバイクは生み出せなかったわけで。


本書によれば、富裕国と途上国には5つのギャップ(「性能」「インフラ」「持続可能性」「規制」「好み」)があるという。
それは、たとえば、「性能のギャップ」について言えば、先進国ならば100%の性能に対して100%の価格、90%の性能にたいして90%の価格、という風に製品を考えるのだが、では、途上国のニーズにあわせるには、それをさらに少し落として、70%の性能にたいして70%の価格で提供すればよいのか・・・というと、そうではない。

途上国の人々はむしろ、超割安なのにそこそこ良い性能を持つ画期的な新技術を待ち望んでいる。<中略>これを実現するほど大きな設計変更は、既存品からスタートしたのでは不可能である。まったく新しい価格性能曲線に行き着く唯一の方法は、一からはじめることだ。

こうした取り組みの例として、通話とメッセージ機能、そして、電力事情の悪い地方向けに懐中電灯の機能を追加した携帯電話でインド市場の6割を獲得したノキアの例が挙げられている。

以下、本書の第一部では、こうしたリバース・イノベーションに取り組むためのマインドセット(思考様式)の持ち方や、組織やマネジメントのあり方についての議論が進む。

たとえば、こんな議論。

こんな課題を試してみてほしい。世界地図を広げて、自社にとって大きな成長機会があると思う国に大きなステッカーを、成長機会はそれ程ないと思われる国に小さなステッカーをおいてみる。次に、力を持つ経営幹部50人が物理的にいる場所に、別のステッカーを置く。
はたして、人材と機会は同じ場所にあるだろうか?まったく違うという企業がほとんどだろう。機会は新興国市場にあり、人材は本拠の近くにいる。

この状態を変えるために、重要な意思決定者を新興国市場にも配置し、個別で損益を計算し、研究開発費を増やし・・・、と議論は続く。

イノベーションが「上から下へ」流れていくとは限らず、「リバース(逆流)」に大きな可能性があるとするならば、当然議論はそうなっていくんだけれど、そうなると「富裕国」にある本拠地(本社)の役割ってなんだろうか? という疑問もわく。

かつて「日本は人件費が高くなっていく。だから付加価値の高い研究開発や基幹技術に関する部門を日本に残して、あとは海外で・・・」という議論があったが(というか、今もあるが)、それじゃ対応できませんよ、といっているようにも見える。

まあ、技術だけではない、ブランドイメージとか企業文化とか、そういったものは、確固たる本拠地がないと発信ができないのかな? という気もするし、漠然とした言い方になるのだが、やはり「アメリカの会社っぽさ」「フランスの会社っぽさ」「日本の会社っぽさ」みたいなものは、企業の目に見えない価値として、案外大きなものという気がするので、そういったところで「本拠地」の存在意義というのは出てくるのだろうか?
やはり、確固たる「本拠地」があってこそ、その企業の企業らしさ(かっこよくいえば「アイデンティティー」ということになるのか?)も、生まれてくるのだろうし。


とはいえ、企業の本質が「営利を追求する組織」であり(それは、良い悪い、の問題ではなく、定義上そうなる)、営利を追求する機会が、地球単位で刻々と動いている以上、多国籍企業が、それを追いかけていくのは当然の話ではある。
となれば、「本拠地」がどうあれ、実態としての企業の組織や人員の配置は、どんどんと「機会」の存在するところに拡散していくのだろうな。
となると、問題は、個々人がその動きについていけるだろうか? と、まあ、その辺りにあるような気もしてきた。

・・・なんだか、イノベーションの話からはだいぶずれてきてしまったけれど。

果たして、リバース・イノベーションという言葉、定着するのか、バズワードで終わるのでしょうか?
まだ、その辺はなんともわからないけれど、とりあえず、実例も多いし、当面は話題になりそうな本、ではありました。