安易に「日本語は特殊」とか言いたくないけど−『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著

日本人は特殊だとか、日本語は特別だとか、そういうことは安易に言わないほうが良い、と個人的には思っている。
だけれど、この本を読むと、やはり、日本語、そして日本語で育った人間というのは、それなりの特性を持っているのだろうなあ、と思わざるを得ない。

この本は、けして、それが主たるテーマではないのだけれど。

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

著者はディスレクシア難読症・識字障害などと訳される)研究の専門家。
そして、ディスレクシアである息子をもつ母親でもある。

ディスレクシアとは、知的能力や一般的な理解能力に障害がないのに、文字を読むという能力に困難を覚える障害である。
トム・クルーズがカミングアウトしたことでも有名な障害だ。
この人は台本を文字で読んで覚えることができないので、基本的に、全て誰かに吹き込んでもらって、耳から覚えているのだと聞いたことがある。
本書によれば、アインシュタインエジソンピカソロダンも、多かれ少なかれ、ディスレクシアの症状を持っていたという。

なぜうまく文字や文章を読めない人たちがいるのかという問いをとく事は、すなわち、人はなぜ、どのように文字を読むことが出来るのか、という問いをとく事でもある。

著者は言語学脳科学認知心理学、考古学など、さまざまな分野の知見を動員して、この壮大な問いに挑んで見せるのである。

正直、読みやすい本とは言い難い。いや、翻訳書にしては読みやすいと思うし、著者の「分かりやすく伝えよう」という熱意も十分に伝わるのだけど、なにぶん、中身が濃すぎ。

全体の構成は
PART 1 脳はどのようにして読み方を学んだか?
PART 2 脳は成長につれてどのように読み方を学ぶか?
PART 3 脳が読み方を学習できない場合
の3部に分かれる。

Part1第1章の冒頭に、著者はこのように記す。

私たちは決して、生まれながらにして文字を読めたわけではない。人類が文字を読むことを発見したのはたかだが数千年前なのである。ところが、この発明によって、私たちの脳の構造そのものが組み直されて、考え方に広がりが生まれ、それが人類の知能の進化を一変させた。

現代でも文字のない文化というものもあるし、不幸にして文字を学ぶ機会がもてない人たちというのも、まだこの世界には大勢いる。
だから「生まれながらにして文字を読めたわけではない」ということは、すっと頭に入ってくるだろう。
だが、文字の発明によって「私たちの脳の構造そのものが組み直され」た、ということは、あまり考えたことはないのではなかろうか?

現代の脳科学の理解によれば、文字を読む、という能力を身に付けるためには、生物としての人間が本来持っている脳の中に、新しい回路を接続することが必要なのだそうだ。

現在、文字の起源は1万年程度の昔にさかのぼれるらしい。
それは、モノを何らかのシンボルであらわし、そのシンボルを音と結びつけるという働きをする単純なものだが、現代の研究では「単なる円や線」を見たときには、脳の後頭部にある、視覚をつかさどる部分しか活性化されない。
ところが、これが、何らかの意味をもつシンボルだと解釈するときには、ニューロンの活動が活発になり、視覚をつかさどる部分に隣接する側頭や頭頂の部分まで活性化する。
これは、すなわち、脳に新しい接続が生まれたことを意味する。

やがて一つのモノを一つのシンボルで表すだけでなく、アルファベット文化圏で言えば、単語を音に分解し、一方で音をシンボルで表し、そのシンボルの組み合わせで単語を作り・・・と文字文化の発展とともに、脳に必要な回路は増えていったと推測されている。
その過程を検証するのが、本書のPart1、である。
(ただし、漢字文化圏では若干この過程は異なるわけだが。)

こうして人類が文字文化と、それに対応するための脳を作り上げるために費やした数千年という時間を、現在の子供たちは、数年のうちに追体験することになる。
そのとき、実際には何が起こっているのか。
つまり、子供が文字を習得し、文章を読めるようになるためには、なにが起こっているのかを解説するのがPART2。
ここでは、実際に、流暢に文字を読めるようになった脳のなかでは、なにが起こっているのかを、50ミリ〜100ミリ秒(0.1〜0.05秒)の単位で解析して見せたりもする。

そしてPART3では、「文字や文章が読めない人」がなぜある一定数存在するのかという疑問を解き明かし・・・と、この本の中身の濃さは伝わっただろうか?

そして、ただ、そうした「現在の知見」を解説するだけでなく、この本にはもう一つの問題意識が貫かれている。
著者はこう記す。

現代の好奇心は止めどなくキーボードを叩き続けてコンピュータの画面に表示させる、ややもすれば浅薄な情報によって十分満たされるのか、それとも、より深く知りたいという知識欲につながるのだろうか?
(中略)
私たち二人の息子がインターネットで宿題を片付け「全部分かったよ」というのを聞くにつけ、私たちの文化における情報収集合戦を予言したソクラテスの言葉が耳について離れない。息子たちを見ていると、はるか昔に不毛に終わったソクラテスの戦いとの共通項が見えてきて、不安になる

ここで「ソクラテスの言葉」といっているのは、文字文化の初期にあたる古代ギリシャにおいて、哲学者のソクラテスが、文字文化は人間を堕落させるものとして、強く反対したことをさす。(だから、ソクラテスの「著書」というのは、存在しない。彼の思想は、全て、弟子のプラトンが記した言葉の中に出てくる)。
人の記憶力を減退させ、言葉から精気を奪い、また、自分の頭に記憶しきれない膨大な知識が書き残されたまま積み上げられることで、人が知識をうまく使いこなせなくなることを憂いて、ソクラテスは書き言葉を否定したわけだが、はたして、断片的な知識が言葉と映像と音の集合体として、間断なく流れてくるネットの存在が、人の能力にどんな変化をもたらすのか。
はたまた、文字文化で育った人間と、ネット文化で育った人間の間に、なんらかの差が現れてくるのか、という疑問と懸念である。

著者自身、この問いに結論は出ていない。
ただ、文字を読むことで脳がそれまでよりも深く思考する時間を生み出したと同時に、過去にも現代にもディスレクシアの人たちの中に、文字を読む能力に障害がある故に、逆に、脳の異なる部分に新しい回路を作り出し、常人とは異なる能力をフルに活用したと思われる人々がいる・・・という事実に、希望を見出しているようにも見える。

本書の末尾には、こう記されている。

人類が文章を超越する術をいかにして学んだかという本に、最終章はない。結末はあなた、読者の筆次第だ・・・

そう。結末はない。
そして、いま、まさに新しい章が書き継がれようとしている時代なのだろうなあ、という気がする。

・・・というところで、本稿を終えてもいいのだが、もう1点(笑)
日本語で育った人間としては、どうしても触れずにはおれない。

本書に引用されている研究によれば、中国語、日本語、欧米の言語では、それぞれの文章を読むときに、脳の使われる部位が違うらしいのである。
理由は明確で、表音文字と、表意文字のちがい。
抽象的な音を表すアルファベットと、一つ一つの文字がシンボルの発展形である漢字とでは、それを言語として脳内で解読する手続きが異なるのだ。
そして、ひらがな・カタカナと、漢字の間を行き来する日本人は、どうやら、その両方の領域を少しずつ使っているらしい。
著者は、アメリカの大学の先生なので、本書では、この辺の言及が少ないのだが、これ、すごいテーマじゃないのだろうか?

ついでにいえば、ディスレクシアというのは、英語圏で多い障害らしい。
なぜなら、英語というのは、音と文字、という面でみると、結構難しい言葉なのだ。

英語ではAおよびaという文字を、ともに単体では「エー」と読む。
これが、単語の中で他の文字と組み合わされると、例えば Beautiful, was, Bear, sat,seat,idea… といった具合で、簡単には「どう読んだらいいのか」が分からない言語なのだ。

これは、同じアルファベットを使っていても、ほとんど読み方が「ローマ字読み」のイタリア語やスペイン語、ドイツ語などに比べて、脳への負担が大きいのである。
(同じ理屈で、フランス語圏もディスレクシアの比率が高いそうだ)。
日本語は、仮名に関しては音と文字の対応が簡単なので、その辺の負担は少ないようである。

もっともディスレクシアには「単語レベルでは読めても、文をうまく理解できなかったり、文脈が構成できなかったりする」というレベルもあって、そうなると、英語圏で特に多いということにはならないらしい。

では、中国語はどうなの?というと、あまり研究が進んでいないようだ。

いずれにしろ、言語の種類によって脳の働く場所が違う、というのは、なかなか刺激的な発見ではある。
いずれ、その辺を研究した上で、効果的な外国語習得方法なんてのも、でてくるのだろうか?
そうなると、いろいろ楽になるかなあ・・・なんて安易な発想でしたね。
もちっと、高尚なテーマなのに、これ。

そうそう、題名の解説を忘れていた。
プルースト」は作家のプルースト。これは文字を読む個人的・知的な側面を象徴している。
そして「イカ」というのは、ニューロンの研究にイカが多く使われているため、文字を読む行為における、生物学的次元を象徴しているのだそうです、はい。

それにしても、実は一度読んだくらいでは、この本の本当の価値は読みきれていないというのが実際のところ。
もう少し熟読してみたい。