「やりたいことはなんですか?」って、案外難しい質問かもしれない ―『どうする? 日本企業』三品和広著

もはや、「失われた10年」だとか「20年」だとかという言葉は、耳にタコもイカもてんこ盛りになるくらいのモンで、いっそウニやイクラやマグロも持ってきて海鮮丼でも作ったらいいんじゃないかというくらいだけれど、その実、その間に何が起こっていたのかというのは、まだまだ冷静に分析されていないのかもしれない。

そこで問題。
日本の主要な製造業369社の売上高は、この「10年」ないし「20年」の間に、どのように変化したでしょうか?

この問の答えは、この本の第一章に書いてあります。

どうする? 日本企業

どうする? 日本企業

著者の推計によれば、物価上昇率を加味した「実質ベース」で計算すると、この「失われた時代」にも、日本の主要製造業369社の売上高は、基本的に上昇のトレンドにあるのだそうな。
いや、この10年とか15年とかの話ではなくて、1960年(高度成長期の始まった年)以降、基本的に上昇し続けている。

案外、世間的に、こういうことって共有されてないんじゃないだろうか?

成長戦略という、誰が聞いてもマイナス要素のない(ように思われる)言葉があって、「消費税を上げる前に、政府は成長戦略を考えろ!」という議論はよく聞くわけだけれども、少なくとも「売上高」という指標で見る限り、日本の製造業は「成長」を続けているところが多いのだ。

察しのよい方はお気づきだと思うが、これは売上高が伸びているのに儲かっていない、という話なのであって、それって、どんどん忙しくなっているのに、それが利益につながっていないという、簡単に言えば「貧乏暇なし」な最悪な状態に陥っていますよ、ということだ。
先にあげた369社というのは、1960年から上場している古参企業の話なのだけれど、これに1960年〜1980年に上場したメーカー301社を加えても、基本的な傾向は変わらないのだそうな。

これらの数値を、グラフを交えて分析した後、著者は言う。

このグラフを見ていると、日本の企業が「成長の奴隷」になってしまったのではないかと思えてきます。まるで脅迫観念に取り憑かれたように成長、成長とまくし立て、売上げは伸ばし続けてきたものの、その陰で利益を度外視したツケがたまりにたまって、閉塞感を打破できない状況に追い込まれてしまったのではないでしょうか。第一次産業に「豊作貧乏」という言葉がありますが、日本を蝕む疾病は第二次産業、なかでも製造業における「豊作貧乏」だと言い切ってよいでしょう。

このような現状認識の元、本書の第2章〜第5章で、著者は「どうする?日本企業」という問いに対して、世間一般で出てきそうな「模範解答」を4つ挙げ、それを否定してみせる。
その4つとは イノベーション、品質、多角化、国際化。

それぞれ、
・「世界初のクオーツ腕時計」という、世界の時計産業を揺るがしたイノベーションを成し遂げながら、スイスの逆襲にあってみる陰もなくなったセイコー・グループ
・工業化によって安定した品質のピアノを大量生産し、一度は世界の覇権をにぎるかに見えて、今、同じことを実現しようとしている中国企業に追いまくられているヤマハ
・住宅、ビジネスホテル、温水プールからテーマパーク(スペースワールド)、果ては「きのこ栽培」にまで多角化の幅を広げて、結局、さしたる成果が出なかった新日鉄
といった実例を挙げながら、そうした「解答」が、もはや無効であることを示していく。

国際化については「かつて、日本がいかに自国の産業を守るために、外資の進出を防いできたか」という歴史を振り返る。
そして、もはや先進国として「自国の企業の保護」が許されない立場にたっている一方で、新興国が、当面は日本がとってきた「防御戦略」を、当然のごとくマネて来るだろうと説く。

では、著者の解答はなんなのか?
知りたい方は、本書第6章を・・・といってしまうと、出版社の回し者みたいになってしまうので〈笑) ごく簡単に。

資本主義は社会に貢献する企業に対して利益という報償を出す制度であり、極論すれば、企業に期待される社会貢献は2種類しかありません。一つはすでにあるモノやサービスを今より安く提供すること。もう一つはいまだ世の中で買うことのできないモノやサービスを買えるようにすること、この2種類です。
〈中略〉
そこで旗色を鮮明にして、「自社のやりたい仕事」を精密に定めることこそ、経営戦略の第一歩となるのです。それは、集団が合議で決めることではありません。卓越した個人の心の叫びにしたがうものなのです。

この最後の部分は、少し説明が必要だろうか?

著者は、かねてから、日本企業が1970年代以降、強い個性を持った卓越したリーダーをあまり産まなくなり、合議制が幅を利かすようになったことが、日本企業を弱体化させた理由としてあげている。
簡単に言えば、話し合いで物事を決めるプロセスの中で、管理職として優秀な人の最後のゴールが、企業のトップになっているけど、それで、強烈なリーダーシップなんて生まれないんじゃね? というようなことだ。

「やりたいこと」が無ければ、とりあえず「成長」という名の数字を追いかけることが、「やりたいこと」に取って代わってしまう。
でも、「成長」というのは、やりたいことを追いかけていった結果ついてくるものであって、それ自体を「やりたい」と思う人は、多分少ないだろうな、という気はするな。

本書の中でも、(もはや語りつくされた感はあるが)「やりたいことを強烈に持っていたリーダー」として、スティーブ・ジョブズについて言及されている。ジョブズの「やりたいこと」に共感できる人のみが集ったアップルという会社の強さを、ほかの企業はどれだけもっているのだろうか? ということであろう。

つまり「ウチの会社って、何がしたいんだろう?」という問に、答えが出てこないようじゃダメですよ、ということか。
まあ、このブログの中の人も「会社員」なわけだが、ウチの会社の場合は・・・まあ、ここに書くのはやめておきます〈笑)

にしても、ここのところ、この日記、ビジネス書を取上げるエントリーが続いてますねぇ。次週はどうなりますか。