権力と組織が腐っていく様子は、内視鏡で観察できないのかなあとか思ってみた ― 『解任』マイケル・ウッドフォード著

このブログの中の人も、なんだかんだいってそれなりの年齢なので、同世代の知人・友人と「人間ドックで胃カメラ飲んだ」云々などという話題で盛り上がってしまうことがある。
自分自身は、まだ飲んだことはないのだけれど。

胃カメラ内視鏡)というのは、戦後の「ものづくりニッポン」が発明した製品の1つで、東大病院の医師たちが民間企業の技術者と取り組んだ開発の物語は、NHKの『プロジェクトX』でも取上げられたし、吉村昭の小説『光る壁画』の題材にもなっているらしい。

すでにお分かりの方も多いと思うが、その企業とは「オリンパス」である。

なにせ、こう世の中で事件が多いと、すでに、例の不祥事のことなど興味がなくなってしまった人も多いと思うが、つい2日前の20日には、同社の臨時株主総会が開かれたわけで、そのタイミングをとらまえて発行された本が、今回のお題である。

解任

解任

事件の概要はご存知な方も多いだろうし、本としては、いわゆる「事件の当事者の回想」なので、ごちゃごちゃした解説といったものは不要だろう。
それに、緊迫した当事者のやりとりを簡潔にまとめてしまっても、面白さ(という言葉が適切かどうかよくわからないが)は伝わらないだろうし、ミステリーの種明かしをするのにも似た、なんとも味気ないことになりそうなのだ。
だから、今日のブログは、個人的に関心を引かれた部分にフォーカスしておく。

本書でご本人も語っておられることなのだが、まだまだ「外国人社長」というものが珍しい日本企業において、ウッドフォード氏は、とくに珍しい経歴をもった人であった。
21歳でオリンパス傘下の医療機器会社・オーキッドに入社以来、30年を勤め上げた「叩き上げ社長」なのである。
MBAだのなんだのという華やかな経歴があるわけでもなく、資本の力で送り込まれたわけでもないのだ。

このブログの中の人は、この事件のニュースを見るたびに、いつも疑問に思うことがあった。
なぜ、菊川元社長は、ウッドフォード氏を後継社長に指名したのか?ということである。

もちろん、デジタルカメラ市場で苦戦していたオリンパスにとって、医療事業出身で、欧州や米国の事業の業績向上に極めて優れた手腕を発揮した経営者であるウッドフォード氏を社長にするのは、理にかなった選択だろうが、問題はそういうことではない。

長年、ごく一部の上層部のみが全体像を把握してきた会計不正。
その秘密を永遠に保ち続けるためには「子飼いの日本人」を後継者にしても良さそうなものだが、菊川氏はそうしなかった。

ウッドフォード氏は、本書の中で、こう分析している。

菊川の判断は正しかったと思います。外国人社長を社長に抜擢して、医療事業を主力にして更なるグローバル化を推進することで、オリンパスの収益は大幅に増加した可能性があります。〈中略〉もし、『FACTA』の記事が無ければ、私はいまも菊川と二人三脚で会社の改革に取り組んでいたはずです。

菊川の唯一の誤算が『FACTA』と内部告発者でした。彼はまさかジャイラスや国内三社の件が露見するとは考えていなかったのでしょう。オリンパスはテレビや新聞、雑誌の大スポンサーですし、都合の悪い記事は排除できる自信があったのかもしれません。メディア出身者を社外取締役にも迎えていました。だからこそ、菊川は私を社長に指名できたのでしょう。彼は私の性格をよく知っていました。私が不正を見過ごすことは期待していなかったはずです。あるいは万が一露呈しても、私を懐柔できると思っていたのでしょうか。そうであれば、彼の目は権力欲で曇っていたと言わざると得ません。

権力欲のせいなのかどうか、ウッドフォード氏から見た菊川氏は、いささか不可解な人物に見えていたようである。

私は社長に就任して、これまで以上に多くの時間を菊川と東京で過ごすようになった結果、彼に『ジキル博士とハイド氏』のような二面性があることに気づくようになっていました。明るく寛大で、説得力があり、人を魅了する度量がある一方、頑迷で、傲慢で、見栄っ張りなところがありました。<中略>
ネクタイの高価さを自慢し、禁煙のはずの会議室でひとり悠々とタバコをくゆらせていました。反対意見には耳を貸さず、異を唱えるものは遠くに追いやられました。10年も大企業のトップに君臨して、誰も彼には向かわなかったのですから、権力に汚染されてしまうのが当然なのでしょうか?

週刊誌『FACTA』がオリンパスの不正についての記事を掲載し始め、菊川氏とぶつかり始めた頃、ウッドフォード氏は、観光のために東京を訪れた息子のエドワードとトビーを連れてオリンパス本社に連れて行く。
「息子たちの判断力に賭けてみよう」と思ったからだ。

エドワードとトビーには菊川と話すときに敬称の「サー」をつけるように言いました。会話はとても和やかで、楽しいものでした。〈中略〉エドワードはそこに飾られていた真っ赤なフェラーリのレーシングカーの模型のことを今でもよく覚えているそうです。
面会の後、エドワードはこういいました。
「気さくでいい人に見えたけどな。あの人が悪いことをするなんて、とうてい信じられないよ」

ウッドフォード氏が9月28日、事件の全貌を把握するためにCEOへの昇格を求めた席では、こんなやりとりがあったという。

「マイケル、私のことが憎いか?」
〈中略〉
「いいえ、なぜそんなことを聞くんですか」
いま思い起こせば、その質問は彼に反抗する人間が長い間なかった証なのでしょう。菊川は反抗に慣れていなかったのです。私は、会社を正しく経営するために権限が欲しいだけです、と繰り返しました。

菊川は怒鳴りだしました。〈中略〉うわべの穏やかさは脆くも剥がれ落ち、動揺が透けて見えていました。そんな彼を見るのははじめてでした。
「そんなことはできん! そんなことは不可能だ!」
「私に向かって怒鳴らないでください。私はあなたのプードルじゃない!」
大声でそう言い返すと、菊川は無言になりました。

この後、時間を置いてもう一度話をしたときには、「菊川氏の機嫌は不自然なほど良く」なっており、ウッドフォード氏のCEO昇格を認めた。

その後、あっというまにウッドフォード氏は解任され、日本の多くのメディアが「文化の違い」による解任と報じる一方で、海外メディアには『FACTA』が報じたとおりのスキャンダルを報じ始め・・・という経緯は、皆様ご存知のとおりである。

完璧な根回しがおわった後で開催された、ウッドフォード氏解任のための取締役会。
解任された氏に、なぜか笑みを浮かべて、会社が支給した携帯電話の返却を迫る取締役。
私は菊川さんのために働いているのであって、貴方のために働いているわけではない、と言明する副社長。
不正を暴くことよりも秩序を守ることに熱心に見える、日経新聞出身の社外取締役

本書には、悪い意味で印象的な登場人物が何人か登場する。
著者の言葉を借りれば「ビジネス界の一部の、極めて保守的な人々」だ。
もちろん、そうでない人々も、大勢著者の周りには登場するわけだが。

最後にいくつか、著者のメッセージを引用しておく。

一人のセールスマンとしては、日本企業の飛びぬけた商品開発力に魅力を感じずにはいられません。日本の技術者はじつにすばらしい製品を生み出しています。日本の方々は誇りに思うべきです。しかし、技術は一流ながら、企業間のもたれあいやジャーナリズムの未熟さのせいで、低級なガバナンスや、二流の経営がはびこり、世界で戦うための力が失われているのです。

オリンパスにおきていたことは、もしかすると、日本全体におきていることかもしれない、と私は危惧しています。
〈中略〉
皆さんにはまだ日本を変えるチャンスがあると思います。
方法は簡単です。目をそらし、口をつぐむのではなく、勇気を持って立ち上がるのです。間違っていることは間違っていると声を上げるのです。