CMってやっぱり、その企業の姿勢とか、作り手の思いがでてくるものなんだろうなあ、という話 ― 『愛されるアイデアのつくり方』 鹿毛康司著

気が付くと頭の片隅に深く入り込んでしまった歌とかフレーズ、あるいはメロディーというのは、誰しも一つや二つ持っているものだろうと思う。

なぜ、入り込んでしまうのかといえば、一つには「繰り返し聞かされたから」というのがあって、テレビのCMなんて、その典型だ。

たとえば、日本人の大半が「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは・・・」と歌えてしまうのは、幼き頃からの繰り返し視聴による効果だろう。
このブログの中の人の友人に、長年憧れだったアフリカに初めて行って野生のライオンを見たときに、頭の中で「ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ライオンだ〜」という歌が鳴ったと言い張っている男がいるが、きっとソイツが「アフリカへの憧れ」を持った原点には、某サファリパークのCMがあったに違いない。
もっとも、この男、多少話を膨らます癖があるので、それがどこまで本当なのかは確かめようがないが。
なにせ、当人の頭の中だけの話だから。

では、繰り返し聞いていれば、どんなメロディーでも覚えるかといえば、決してそんなことはなく、たとえば、現在放映中の大河ドラマ平清盛』のテーマなんかは、現代音楽っぽい要素が強いせいか、このブログの中の人なんぞは、ほぼ毎週きいても、覚えてしまう気遣いはない。
あのドラマ、視聴率あがってないそうだが、案外、そういうところにも原因があるんじゃないだろうか?

なんだか話がそれた。

「ら〜ら ら〜ららら ららら〜 しょ〜 しゅ〜 りき〜♪」 というメロディも、この1年くらいの間に、すっかりいろいろな人の頭の中に入り込んでしまったのではないだろうか?

で、このメロディーの生みの親が書いたのが、この本である。

愛されるアイデアのつくり方

愛されるアイデアのつくり方

(↑「最近まで気づきませんでした」というお声をいただいたので、念のため注記しておきますが、画像または書名をクリックするとamazonのページに飛びます)

著者はエステーの「特命宣伝部長」。
サラリーマンで“特命”とついた管理職というと、某広告代理店で「特命係長」を務めている只野仁氏が全国的に有名だが、エステーにもこんな役職の方がいらっしゃるのである。

で、エステーといえば、もちろん「消臭力」をはじめ、「消臭プラグ」「ムシューダ」などなど、「なんだか、おもろいCMやる会社」として認識している人も多かろう。

著者によれば、エステーは、CMでお馴染みの・・・といわれる大手企業に比べれば、決して潤沢な広告費が使える会社ではない。

にも関わらず、多くの人の頭に見事に入り込むCMを作り続ける同社の、広告部門の責任者が「アイデアのつくり方」を公開してくれるとなれば、さっそく真似してみたらいいんじゃないか・・・というほど、世の中は甘くない。
本書には、「アイデアの法則」が都合11ほど載せられているが、それはたとえば
・「戦略」なきところに、アイデアなし
とか
・必ず現場にいって五感で確認する
とか
・「お客様が常に正しい」と考える
とか、まあ、こういってしまうとなんだが、「まあ、よく言われていること」であったりして、ものすごく斬新であったり、即効性のあるノウハウというわけではないのだ。
そもそも、この本、ノウハウやスキルや、研究の結果うまれた普遍的な枠組みとかを伝授する内容ではなくて、著者がどのように広告と向き合い、顧客と向き合い、仕事と向き合ってきたかという軌跡をつづったような本なのだ。

著者は、もともと雪印で営業改革やマーケティングを専門としてきた経歴を持つ。
そして、例の「不祥事」の時に、被害者・マスコミ対応の最前線に立ち、社員有志7人で「雪印体質を変革する会」を結成した人物なのだ。
著者の言葉を借りれば、会社を「完全否定」され「存在価値がない」とまで言われる状況に追い込まれる中で、「社員一同」の名義で謝罪広告を打つなどの対応をとるなど、「修羅場」を潜り抜けた人だからこそ、次のような言葉が出てくるのだろう。

企業人は、絶対にお客と同じ視線をもつことはできない――。
逆説的かもしれない。
しかし、自らの無力を自覚するからこそ、なんとかお客様の「目線」に少しでも合わせられるように努力をするのだ。その謙虚な気持ちをもつことこそが、せめて僕らにできることなのだ。

ストーリーが連続仕立てになっていたり、「CMの制作が間に合いませんでした」と告知したり、意表をつくCMが、どういう経緯や考え方のもので生まれていったのか。
そういった内容については、安易に要約しても全く面白くないと思われるので、そういう野暮なことはしないが、それぞれが、なかなかに興味深いストーリーであるのは確か。

震災直後に流された、あの、少年(ミゲルくん)が朗々と歌うCMの原点になったアイデアは、著者が、震災直後、企業としてどういうCMを流すべきか考え続けていたときに、トイレのドアを開けた瞬間に思いついたものだという。
ここにも「安易に真似すべき法則などない」ことがよく表れてますねw
著者の経験と思いが、こういう瞬間をもたらしたと考えたほうがよさそうです。

そして、本書の中で、記述は少ないが個人的に印象にのこったのは、トップの存在についてである。
ミゲルくんのCMを制作に至る過程で、鈴木喬社長(現会長)との間で、こんなやり取りがあったという。

社長は開口一番こう言った。
「ACって、あれはなんだ」
僕は内心、わが意を得たりの思いだった。ひとしきりACについて説明したあと、思い切って提案した。
「今こういう時期だからこそ、CMをやるべきだと考えています。CMをつくってもいいでしょうか?」
一瞬の間があった。そして、社長は自分に言い聞かせるかのように言った。
「こういう時こそ志を見せるってことだな」

また、著者が制作の指揮をとったCMが、意図せざるところで問題となり、放映中止になった時には、こんなことを言ったという。

「わかった。お前は反省するな。お前はギリギリのボールを投げて、これまで成功してきたんだ。反省したら、もうボールが投げられなくなる。いいな?」

う〜ん。
やはり愛されるアイデアや、人の心にのこるCMなんていうものは、安易な法則や技術論にのっとって作れるというものではなさそうである。