有利な条件を引き出すための「リアル」について ― 『武器としての交渉思考』瀧本哲史著

以前、このブログで勝間和代女史の新刊(『「有名人になる」ということ』)をとりあげたが、そのなかで、「2011年に出版した著書が、思ったほど売れなかった」というエピソードが出てくる。
勝間女史の自己分析によれば、「わたしと同じように、何らかの概念的なものを言語化し、かつ、生き方に迷っているロスジェネを中心とした世代に、ものの考え方、生き方指南をする、そのマーケットが存在するということにライバルが気付き始めると、どんどんライバルが参入して」来たのだそうで、そのライバルの一人が、ブログ「自分の頭で考えよう」などで著名なちきりん女史、もう一人が、今回取り上げる、この本の著者なのだそうである。

武器としての交渉思考 (星海社新書)

武器としての交渉思考 (星海社新書)

ま、この人の前著(そして、勝間女史の開拓したマーケットを奪い取った本でもある)『武器としての決断思考』についても、このブログで取り上げているので、著者の紹介めいたことは、そちらに譲るとして、内容の話に入る。

冒頭で著者は「ガイダンス」と称して、「なぜ、いま『交渉』について学ぶ必要があるのか」について語る。

根底にあるのは、著者のいうところの「王様と家来モデル」、つまり、かつてはうまく機能していたような、上司やら、先輩やら、指導者やら、上に立つ人間が「このように振るまえ」と秩序を強要し、下にいるものは基本的に上に反論することなく従っていくというモデルが、現在の状況の変化に対応できなくなっているという認識だ。
そういう時代には、互いに合意しながら、新しい秩序やルールを作り出していく必要がある。
そこで求められるのが「交渉のスキルである」という論法だ。

もう一つ、興味深いのは、とくに若い世代が社会を変革しようと考えたときに、なぜ交渉のノウハウが必要なのか? という問いに対する著者の考え方だ。

社会が大きく動くとき、その担い手になるのは、やはり若い世代である。ただし、若い世代だけで世の中を変えることはできない。
なぜなら、金も権力も、もっと上の世代が握っているのが常だから。

著者によれば、30代で明治維新の中心となった志士たちには、彼らに可能性を感じた「大人たち」がいたし、20代の毛沢東に活躍の場を提供したのは、中国共産党の初代トップの陳独秀だった。
スティーブ・ジョブズやザッカ―バーグにも、彼らに「出資」という形で支援をした人たちがいたし、ホリエモンが逮捕され、ライブドアという会社も消滅したのに対して、楽天の三木谷氏が着実に会社を成長させ続けているのは財界エスタブリッシュの支援を巧みに取り付けることができたから。

というわけで

本当に世の中を動かそうと思うのであれば、いまの社会で権力や財力を握っている人たちを見方につけて、彼らの協力を取り付けることが絶対に必要になってくる。

というのが著者の考え方である。
そして、そこで、できるだけうまいこと有利な形で「協力」を取り付けるために必須なのが、交渉の力、というわけだ。

他にも、どんどん単純な仕事が社会からなくなっていく中で、「今後、付加価値を持つビジネスはすべて交渉をともなうものになる」とか、「交渉にはロマン(=大きなビジョン)とソロバン(=コスト計算)の両方が大切になる」とか、「交渉の技術」そのものに入る前段の部分で、興味深い記述の多い本なのだが、そこばかり語っていても先に進まないので割愛。

さて、具体論としては

・交渉の意思決定者は相手と自分
・「僕が可哀そうだからなんとかして」では交渉にならない
・パイを「奪いあう」のではなく、パイという前提を見直したり、パイ自体を大きくしようと努力することが大事
・交渉は「利害の調整」が最大のポイント

などなど、当たり前のようでいて、意外と見失いがちな点がいろいろと出てくるのだが、この本の最大の売りは「バトナ」という考え方を整理していることだろう(と、著者は言っている。この考え方を理解するだけでも「この本の値段は十分ペイする」そうである)。

バトナ(BATONA)とは “Best Alternative to a Negotiated Agreement”の略。
簡単に言えば「相手に合意する以外の選択肢で、もっともよいもの」のことである。

たとえば、ある品物を売るとして、買い手が「1万円ならば買う」という買い手Aしかいなければ、「バトナ」は存在しない。
ここで、1万1000円で買ってくれるBが現れれば、Bが「バトナ」(=相手に合意する以外の選択肢で、もっともよいもの)となる。

「当たり前じゃないか」といえばその通りなのだが、でも交渉というのは、結局自分がどれだけのバトナを持っているのか、そして「自分のバトナ」と「相手のバトナ」がどのような関係にあるのか、の組み合わせで決まってくる。
そして、単純な「ものを売るか売らないか」という話ならばいいが、ここにいろんな条件が絡み合って来れば、何がバトナなのかを見極めることが、案外難しく、そして重要なことであるのも理解できよう。

この本には「例題」として、色々な状況下で、どのように対応するのが正しいのかを問う問題が出てくるのだが、なかには、それはちょっとどうなんだろう? という、取りようによっては、多少「あくどい」ものも出てくる。

たとえば、アメリカ大統領選で実際にあったという、こんな話。
ある候補のポスターが大量に刷り上がってきたその時、カメラマンから利用許諾を取っていなかったことが分かった。
このまま使用したら、莫大なライセンス料が請求されたり、損害賠償請求をさえる恐れもある。
この時、写真家にどういう交渉をしたか?
この候補の選対委員長は、写真家に電話をして、大略こんなやりとりをしたそうである。

「君の写真が、大統領候補のポスターの最終候補に残った。ただ、複数の候補が残っていて、ここで君が採用されるチャンスをつかむには、5000ドルくらいの献金が必要になる」

「5000ドルもの大金は無理です。250ドルくらいなら・・・」

「では、大統領候補を説得するから、少額でもいいから献金してほしいのと、大統領候補に『多額の献金はできないが、写真を通じてあなたを支援したい』という手紙を書いてほしい・・・」

こうして写真家は「5000ドルも寄付しなければならなかったのに、手紙と少額の寄付をするだけで、自分の写真が数百万のポスターに使われることになった。有難い話だ」と喜びましたとさ。

・・・う〜ん、どうなんですかね?(笑)
これ、アンカリング、つまり、「最初の条件提示によって、相手の認識をコントロールすること」の例として出てくるんですが、ちょっとアコギにすぎやしませんか? などと、このブログの中の人は、思ってしまうが。
まあ、国際ビジネスの最先端の交渉では、こんなこともあるのでしょうか。

著者は、交渉にチームで臨む際には、「アウトプット」、「ドレスコード」、「NGワード」の3つを必ずメンバーに確認するそうである。

アウトプットというのは、「この交渉では何を達成するのか」という目的。
ドレスコードは外見や服装のみならず、「非言語メッセージを与えるすべて」のこと。
カジュアルな雰囲気が、厳しくピリピリした雰囲気でいくのか。
著者は、こちらがあまり金を持っていると思われると困るときは、わざとヨレヨレのスーツでいくのだそうな。
で、NGワードは、たとえば「今日はコストの話はしたくないので、値段については一切こちらからは出さないように」といったことである。

まあ、ヨレヨレなスーツを用意するかどうかは別として、こういったことは、案外あいまいなまま客先に行っちゃっていることは、案外多い。
これは心しておいてよさそうだ。

全体を通して思ったのだが、交渉術とは結局、あくまでも「術」なのであって、あくまでも「ロマンとソロバン」のうちの「ロマン」をしっかり持ったうえで、「ソロバン」の部分を安定させるための「手段」と割り切ってやっていかないと、なんだが少し妙なことになりそうな気はしないでもない。

だが、理想を理想のままに終わらせないためには、「リアリズム」が必要なのだなあ、と改めて思ったりもする。
そして、この本には、現実に交渉の場をいくつも乗り切ってきた著者のリアリズムにあふれている。

ところで、話は勝間女史の本に戻るのだが、冒頭で引用した文章は、実は次のように続いている。
「他の商品と同じく、通常は追随商品のほうが改良・改正が加えられていて、先行・オリジナル商品よりも品質が良いことすらあるのです。」

ああ、確かにその通りだなあ・・・という感想を、最後に付け加えておくことにする。