「市場経済」の故郷はどこだ −『江戸商人の経営』 鈴木浩三 著

このブログの中の人は、今は京都に在住・在勤なわけだが、前職で働いていた一時期、大阪の堂島から中之島を見下ろすあたりの事務所に出勤していたことがあった。

堂島というのは、江戸時代には「堂島米会所」があったところで、全国から船に載せられて集められた年貢米が取引された場所である。
世界最初の整備された商品先物取引市場、というのは、ここに成立していたもので、大川から大阪湾、そして全国へとつながる海路は、当時の経済の生命線でもあった。
だから事務所の窓から景色を見下ろすと、かつて“天下の台所”といわれた大坂(江戸時代は“大阪”じゃなくて“大坂”。一応気を使ってみた)の街に思いをはせることが出来たのである。
ただし、前職の社長(ベンチャーだったので社長との距離は近かった)は、さほど興味はなかったようではあるけれど。

今、世界を席巻している“市場経済”というのは欧米から流れ込んできたものだと、私たちは考えがちだ。
でも、それは間違いで、実は、江戸時代というのは、もちろん今のものとはだいぶ違うけれど、日本独自の市場経済のようなものが、かなり高度に発展していた・・・というのが、大体、今の日本経済史の常識、なのだそうである。

で、そんな江戸経済の諸相を、東京都庁に務めながら経営学の博士号を取った在野の研究者である著者が書いたのが、この本。

江戸商人の経営

江戸商人の経営

学術書ではないけれど、わりあいカチッと、索引ふくめて302頁にわたって綴られた本で、必ずしも読みやすくはない。
ということは、簡単に全体を紹介しやすい本ではない、ということなので、独断と偏見で、面白かったなあと思ったところを中心に書いていく。

江戸時代の日本において、最大の産業は農業で、“米本位制”、つまり農民から税金=米を徴収することで、経済の基本が成り立っていたわけだが、世の中が安定してくるにしたがって、商業や手工業が発展し、貨幣経済が発達してくる。

そして、米を貨幣に換える場所、として、大坂の堂島が中心地になるわけだ。

江戸時代の幕開けにあたり、徳川家康通貨発行権を掌握することで、全国的に貨幣経済は統一されていくのだが、そこで面白いのは“金”“銀”“銭(=銅)”の3つが、並立して流通していたこと。
で、銭(銭形平次が投げてるのはこれ)は全国的に通用したが、東(江戸)は金が中心、西(京・大坂)は銀が中心。
また、吉原の払いや初鰹のような高級品は金、日用品は銅でなければ取引できなかった、というのも面白い。
で、金、銀、銭、それぞれの間で変動相場制が成立していたのだそうな。
つまり「金高銀安」とか「銀高金安」なんてのがあり得たのである。

江戸の市場経済においての最大の商流は、全国の産地→「商品集積地」としての大坂→「大消費地」としての江戸、が中心。
これに、「製造・技術開発拠点」である京都と、唯一の貿易港である長崎が主要な経済拠点。
京都の「伝統工芸」は、当時は「最先端の技術」なのである。
(江戸、大坂、京都、長崎は、当然ながらすべて幕府の直轄地になっていた)

大坂と江戸の商人の間では、江戸商人から大坂商人への代金支払いと、大坂商人から江戸にある各藩の大名屋敷への貸付、という2つのお金の流れについて、実際の現金を江戸→大坂→江戸と動かすのではなく、江戸商人から江戸の大名屋敷へ直接現金を動かし、間にたった大坂商人は為替で相殺させて決済する、なんていう取引も行われており、そのために両替商が大きな力をもっていた・・・と、この説明だと上手く伝わらないかもしれないが、ようするに、ある種の「金融技術」も充分発達していたようである。

こうした「経済インフラ」の整備を背景に、いち早く集めた情報を元に、先物取引とか、為替取引とか、タイミングと時期を見計らった商品の移動とか、そういった「市場主義的」な動きで財をなしていた商人も沢山いた。

これは本書に直接言及されていることではないのだが、当時、大坂の市場で成立した米の価格というのは重要な経済情報で、旗やのろしを使った通信で、全国に伝達されていたという。
Wikiediaで、「旗振り通信」という項目を見ると、「岡山まで15分、広島まで27分で通信できたといわれている」などと書かれている。
これはすごいな。「儲ける」ための情報がいち早くほしい、というニーズは現代と全くかわらない。
江戸までは、途中、箱根の山を飛脚で伝える必要があったので、8時間ほどかかったようだけれど。

そして、江戸、大坂、京都、長崎、それぞれの都市の機能分担を背景に「江戸店(えどだな)持ち、京商人(きょうあきんど)」とといわれるように、「本店は京(や伊勢や近江や大坂)、江戸には販売拠点」といった展開をする商人も多く出現したのだという。
三越(三井越後屋)なんてのもその一つだ。

江戸時代というのは、幕府の統括の上に、各藩の地方分権が成立していたわけだから、各藩ごとに財政事情があり、それぞれに特産品の生産競争や、他藩との競争もあった。
大名も各藩を「経営」しなければいけないから、特産品の生産には力を入れる。
また、鎖国とはいえ、長崎を通した貿易には莫大な利権がある。
大商人は、そうした各地の差を上手く利用しながら、商売をしていたのである。

著者によれば、江戸時代の市場経済システムを成立させた要因として「3つの要素のベストミックス」があった、という。

一つは地域差と多様性。
地域ごとの特産品が生まれることで、それを取引しようという動機が生まれるし、比較優位による分業も生まれる。

次に、制度的枠組み。
江戸幕府(公儀)の成立を背景に、統一した貨幣制度や、市場取引ルールの整備が進んだ。これがないと、市場取引なんてできない。

そして、水運網の整備。
なにしろ商品を運べなければ、市場が成立しないのだ。
菱垣廻船、樽廻船といった流通組織についても、本書に言及されている。

こうした時代を象徴するものとして本書に取り上げられている、紅花をめぐる争いは興味深い。

紅花は、和服の染料や化粧品の材料として重宝されていたのだが、その産地は出羽国村山郡を中心とした最上川流域(現在の山形県)だった。
これを、現地で“花餅”とよばれる半加工品にして、最上川の水運で日本海側に輸送。
さらに小浜や敦賀に船で運ばれ、京都の加工業者に持ち込まれる。
そこで染料や、それを使った繊維製品、化粧品に加工されて、江戸に出荷されていたのである。

そして、原料の産地である山形、加工地である京都、消費地である江戸、それぞれが流通と価格の主導権争いをめぐって、色々な動きがあったことを、本書は記していく。
問屋をつくったり、潰させたり、金融を通じて生産地まで支配しようとしたり。

やがて、山形から紅花生産のノウハウを上手いこと探り出して、埼玉近辺で生産を始める江戸の業者がでてきたり、でも京都ブランドが重要だから、埼玉でつくった紅花を京都まで送ったり、コストを考えて加工も江戸でやるようにするんだけど、こっそり京都ブランドつけちゃったり。
まあ、いつの時代でも、このあたり、商売人の考えることは一緒のようではある。

それにしても江戸時代、埼玉が紅花産地だったとは知らなかったなあ。。。

ほかにも、官民関係とか(幕府と商人の癒着と賄賂なんていう負の側面と、意外なほど都市計画などにも民間の力が使われていた側面も含め)、江戸時代の「M&A」のありようなどなど、トピックは尽きず、江戸時代の市場経済が、おそらくは多くの人が思っている以上に、発達していることがわかる。

話が前後するが、著書は、本書のプロローグでこんな風に記している。
「『アングロサクソンの市場原理』が成立するどころか、いまだアメリカがイギリスの植民地だった時代から、わが国では商工業者=企業の競争が繰り広げられ、固有の市場経済システムと競争が存在していたこと、すなわち、江戸時代の競争と市場の実際が、この本を読み進めるうちにイメージされよう」。
つまり、そういうことなのである。

ま、この手の話を持ち出して、「だから日本は偉いのだ!」という満足感に浸るだけの安易なナショナリズムは、あまり生産的ではないとは思うけれど、そういう事実自体を全く知らないというのもまた、もったいない気がする。

それを知った上で、それをどう昇華させるのか? なんて、そんな難しい問いに答えが出せれば、こんなところでブログ書いてる場合ではないのだがな。

本書を読んでから考えたことなのだが、江戸時代に「市場主義経済」は発達していたけれど「資本主義」や「自由主義」は存在しないのだな。
当然ながら、士農工商という身分制度の枠内での話だし、株式会社という枠組みはない。
資本と経営の分離なんてもってのほかだろう。
商売というのも、結局のところ「家」の継承だし。
「株」はあるけれど、それは営業権のことで、今で言えば「相撲の親方株」みたいなものか。
そして本書によれば、「株」を取得し、「株仲間」といわれる、同業者の組織に参加するにあたっては、商人は、一定の品格やらなにやらが問われたという。
この辺は、「稼げばいい」って言うのとは違う、美学とか「公」への意識を感じるな。
(もっともそれは、裏面で「業界の独占」や「既得権の保持」につながるものだったわけだけれども)

江戸時代の市場経済をそのまま現代に持ち込むのは、もちろん無理無体な話なんだけれど、でも260年近く平和が続いた、世界史上でも稀有な時代にはぐくまれたビジネスの論理と倫理。
なんかもうちょっと、学ぶことはあるのかもしれない・・・と、なんだか話が大きくなりすぎて収拾つかなくなってしまった(汗)。

なお、著者には、こうした江戸時代関連の著作がいくつかあって、中には 江戸のお金の物語 (日経プレミアシリーズ) なんていう本もある。
未読だが、どうやら、とりあえず肩肘張らずに読み物として読むには、こちらの方が良さそうです。