もう一つの大国のビジネスについて ― 『インド・ウエイ 飛躍の経営』 シテンドラ・シン他 著

インドが“実はIT大国である”という認識をもたれるようになったのは、いつの頃からだろう?

 実は、このブログの中の人は、90年代半ばにインドに行ったことがあるのだが、当時はまだまだ“IT”という言葉自体がそれほどメジャーではなかったし、(IT革命なんて言葉が日本で持てはやされるのは、そのすぐ後だった)、経済的にはインドに注目する人なんて、ごくごくわずかだったような気がする。

それを裏付けるように、その頃、日本からインドに直行する航空便は、エア・インディア一社だけ。
日系の航空会社は、91年の湾岸戦争の影響で、インド・アラビア半島経由の、いわゆる「南回りヨーロッパ線」を停止して以来、インドになんて飛行機を飛ばしていなかった。

インドといえば、精神世界に関心がある人とか、自分探しをしたい大学生が目指す国、という感じだったろうか。
自分探しでとりあえず海外に行く・・・ってのも、まだバブルの余韻が残っていた90年代っぽいが。

そんなインドも、いまや着々と世界経済のプレイヤーとして頭角を現しているわけである。
ジャガーやランドローバーも、インド資本の会社だ。

日本では、とにかく大国化する中国の話題がたくさん入ってくるけれど、インドの会社ってどうなってるんじゃい? というところで、今回のお題はこの本。

インド・ウェイ 飛躍の経営

インド・ウェイ 飛躍の経営

著者はみな、インド出身ないしインド系で、米ペンシルバニア大ウォートン校という名門ビジネススクールで教鞭をとる経営学者、らしい。
この人たちが、成長著しいインド企業の躍進の秘密に迫りましたよ、というのが本書のウリである。

具体的には100人以上の、インドを代表する企業の幹部にインタビューするなどして、インドの会社が、どんな考え方で経営をしているのかを分析しようというわけだ。


その前提知識として、そもそもインド企業が何をきっかけに発展してきたのか、という流れも解説されているのだが、そのキーワードは一言で言えば「規制緩和」のようだ。

1947年に英国からの政治的独立を果たしてから40年以上もの間、ライセンス・ラジ(licence raj)と呼ばれる投資や産業、輸入の許認可制度によって、あらゆるビジネスの実践と決定においてカフカ的ともいえる歪曲して出口の無いプロセスが設定されていた。ボンベイの人力車夫は、自分が購入したっ人力車しか使用してはいけなかった。

銀行や主要な産業はほとんど国営で、そうした政策がとられた背景には、インドを国の指導によって大国にしようという考え方や、欧米から搾取され続けた歴史ゆえに、外資の自由な経済活動を規制しようとしたことなど、いろいろな背景があるようだが、そうした政策は90年代に破綻する。
重要な貿易相手国だったソ連が崩壊したあと、湾岸戦争により原油が輸入できなくなってエネルギー価格が高騰し、「あと数日で外貨が尽きる」というところまで追い込まれていたという。

かくして、91年、大きく自由化へと舵を切ったインドは、次第に経済的な発展を始めるわけだ。
(このブログの中の人が見たインドは、自由化直後だったというわけだ)。

さて、そんなインド企業のマネジメントが持つ特徴とは何か。
著者らは、それを、「インドウェイの原則」として、以下の4つにまとめている。

①従業員とのホリスティック・エンゲージメント
従業員の士気の維持や企業文化の構築が、成功のための不可欠な義務であり、基盤である。
人は「削減可能なコスト」ではなく、「開発されるべき資産」である。
「従業員第一主義」「従業員は家族である」といった意識が強く、採用や人材開発に力を入れる。

②ジュガードの精神
ジュガードとは、ヒンズー語で「応急措置」のこと。
モノも資本も足りない中で、ありあわせの古い部品をかき集めてなんとか製品を作ってしまうような環境から、機知や機転を研ぎ澄ます必要に迫られて生まれた精神。
08年にタタが10万ルピー(当時のレートで2500ドル)の車を製品化したのも、そうした精神ゆえである。

③創造的な価値提案。
巨大で競争が激しい一方で、資力に乏しい企業は、必然的に、創造的に価値提案をする必要がある。
貧しい農村で女性に化粧品を買ってもらうにはどんな仕組みが必要か? 銀行を使ったことの無い人に預金をさせるには?
コールセンターのアウトソーシング(インドを躍進させた産業の一つ)の大手、バーティ・エアテルは、自社の基幹システムともいうべき電話回線やITのシステムを欧米企業に「リバース・アウトソーシング」してしまい、その結果、さらに躍進した。
こうした、欧米企業の従来の発想からでてこないビジネス形態による価値提案が、インド企業の強みである。


④高遠な使命と目的

企業としての成功と同時に、家族の繁栄、地域の進歩、そして国家の発展にも誇りを持つ。企業経営者の役割として、「利益をあげて株主にそれを還元すること」だけを重視することはない。

アメリカのカチっとした経営書を邦訳するときにありがちなのだが、本書もけっして読みやすい本ではない。
たとえば、こんな感じの文体。

インド企業の人材マネジメント・アプローチは、つまるところ3つのプラクティスに要約される。
第一は、従業員の現在の仕事と社内昇進の双方のための投資に関すること。第二は、HCLの事例で見たように従業員のエンパワーメントを中心にする―すなわち彼ら自身で意思決定し、問題を解決する権限と自立性を与えること。第三は、会社の利益という観点から活動できる組織文化を創造し管理すること。これはビジネスリーダーが最も積極的に取り組んでいることである。

インド企業が「高遠な使命と目的」を掲げられる理由の一端として、インドの証券市場がまだまだ発展途上で金融資本主義が幅を利かせていない一方で、同族企業が多いため、目先の利益を上げることに囚われない長期的視野の経営が出来ている、という要因があるようだ。
経営者の最大の仕事は、株主に利益を還元することであり、そのために4半期ごとの数字が極めて重視され、そこで良い成績を上げた経営者には、莫大な金銭的インセンティブが与えられる・・・そんな、リーマンショックの遠因ともいえる「アメリカ的経営」に対抗するものとして、「インド・ウェイ」を持ち上げようという意図も、本書には色濃く見えている。

個人的には、この仕組みがうまくいくかどうかは、「同族の経営者の資質」に大きく依存しているのではないか、という気もするけれど。
D王製紙のカジノ王子みたいなのがトップにつくと、うまくいかないんじゃないだろうか。

さて、そんなわけでインド企業は大きく発展しているわけだが、インドの社会経済的状況は、まだまだ厳しいのも事実だ。

インド企業の驚くべき成功にもかかわらず、多くのインド人が貧困に窮しており、三億以上の人たちが1日1ドル以下で過ごしている。幼児期の死亡率は依然として高く、1000人の出生に対して57人が死亡する(米国では7人だ)。インドの中間層は急激に増えており、田舎の生活から離れ、新しい格差を生み出している。

3億って、それだけで日本の人口の2倍以上なワケで、まったくもって日本の、なんだかんだいって、のほほんとした日常からは想像しがたい環境ではある。
そんな中で生まれた「インド・ウェイ」は、どれだけの普遍性を持つのか。
本書では、「トヨタ生産方式」を例にあげながら、こんな風に語る。

戦後の日本では資本が希少だったため、トヨタは部品在庫を最小化することを求められ、それがすべてのバッファーを無駄と見るような、いまや有名な創業原則へとつながってのである。<中略>
日本で発明された、トヨタの柔軟な生産方式は世界中の自動車メーカーが採用した。フォードからポルシェに至るまでが製品の品質を改善し、かつコストを下げるために有用であることを証明してきた。同様に、インドのビジネス方式はインドのエグゼクティブが自由と成長の時代に直面した困難な課題を解決する上で必要不可欠な、いわば論理的な手法として出現したものだ。しかし、それは、必ずしもインドのコンテクストに限定されるものではない。インド・ウェイが持つビジョンと価値観、試行錯誤方式、そして適応力からなる独特の組み合わせは、広範な思考と個人的な復元力に報酬を与える成長市場が存在し続ける限り、企業を創造しリードするものに適用可能なのだ。

ビジネス書の世界には、「こういう方法を採用したから、成功した」という法則を解明しようとして、いつのまにか「成功した企業がこういう方法をしていたから、この方法が正しいのに違いない」と、因果関係が逆転し、結果としてなにかを間違えてしまう現象が、しばしば起こる。
(その辺の話題は、以前に取上げた『ビジネス書はなぜ間違うのか』という本に詳しい)。

かつて80年代、日本企業が世界を席巻し始めた頃、「日本的経営」はなんても正しいと持ち上げられ、その後、「失われた20年」が訪れると、今度は、なんでもかんでも日本企業のやっていることは間違っている、とのたまう人が出てきた(ような気がする)。
だが、その中で、トヨタ生産方式のように、様々な形で発展を続け、「スタンダード」となったものもある。

インド・ウェイも、いつの日か、そうした審判を受ける日がくるのかどうか。
ま、インドの国内市場の広大さと、今後まだまだ発展できそうな可能性をみると、そんな日が来るのはかなり先、という気がするけれど。

なお、この本、訳注・監訳者解説・原注・インタビューを受けたインドのビジネスリーダーの一覧、といった付録部分だけで90ページある。
それだけかっちりした本だってことである。