「経営」と「経営学」の間 ― 『世界の経営学者はいま何を考えているのか』入山章栄著

気がつくと、だいぶ更新がとどこってしまって、当ブログをご愛読いただいている方には、まことに持って申し訳ない。・・・って、そんな人がいるのかどうか分らないが。

間があいた分を取り戻す・・・というわけでもないが、前置きはさておいて、本の紹介に入ることにする。

世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア

世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

ひところのブームは去ったとはいえ、日本で経営学といえば、なんといっても「ピーター・ドラッカー」だったりするわけだが、本書で著者は、まず、その「誤解」を解くところから話を始める。

これは確信を持って言いますが、アメリカの経営学の最前線にいるほぼすべての経営学者は、ドラッカーの本をほとんど読んでいません。<中略>
私が確実に言えることは、アメリカのビジネススクールの教授の大半は、ドラッカーの本を「学問としての経営学の本」とは認識していないし、研究においてもドラッカーの影響は受けていない、ということです。

上記の引用の前では、ドラッカーについて「言うまでもなく『経営学の父』とさえ呼ばれる大思想家です」と書かれている。
そう、ドラッカーは、厳密な意味での「学者」ではなく「思想家」なのだろう。
ご本人は、自身の仕事を「社会生態学」と称していたらしいけれど。

著書を読まれたことのある方には分ると思うのだけれど、ドラッカーの本というのは、カッチリしたデータや厳密な科学的分析の上に抽出された「理論」を提示するといった類のものではない。
その意味で「偉大な思想家」なのであろう。

そして、アメリカを先頭に、世界の経営学者が目指しているのは、ドラッカーのような「思想」を説くことではなく、経営学を、他の科学のような学問にすることなんですよ。というわけで、そのお仕事=理論の一端をご紹介しましょう・・・というのが、この本の眼目である。

著者によれば、「理論の構築」を重視するアメリカ流経営学に比べて、日本の経営学者は、一社または数社の企業を丹念に徹底的に分析する「ケーススタディ」を仕事の中心にしていることが多いという。
これは、抽象思考がニガテとも言われる日本人の性に合っているのかもしれないが、それでは「理論」は構築できない。

というわけで、本書の中心部、全349頁中240頁あまりは、現在探求されている経営学の理論が分りやすく紹介されている。
すでに、かの有名な「その内容のいちいちは、「興味ある方は本書に当たってください」なわけだが、一つだけ興味深いものを。
国際経営学の世界で用いられる指標に、マーストリヒト大学名誉教授のホフステットが1980年に提示した「ホフステット指数」というものがある。
これは、世界中のIBMの従業員11万人に質問表をおくって、国民性に4つの次元があることを示したものである。
ちなみに、その次元とは以下のとおり。
●Individualism=Collectivism:個人を重んじるか、集団を重んじるか。(個人主義集団主義か)
●Power Distance:権力に不平等であることを受け入れているかどうか。
●Uncertainty Avoidance:不確実性を避けがちな傾向があるかどうか。
●Masculinity:男らしさ=競争や自己主張を重んじるかどうか。

なお、この指数はその後も改訂が進められ、現在は「Long Term Orientation:長期的視野を持つかどうか」と「Rentraint=Indulgence:自己抑制的かどうか」という次元が追加されているそうだ。
(ちなみに、この指標については http://geerthofstede.nl/ で解説されている)

さて、この指標によると、日本人の個人主義指数は69か国中32位だそうな。
これを高いとみるか低いと見るかは、意見が分かれるところだろうが、著者が言うように、一般に思われているほど「集団主義」の傾向が強いわけではない、とは言えるだろう。
もっとも、アメリカの1位を筆頭に、欧米各国には個人的指数が強い国が多いそうだから、そういった国々と比べれば、十分集団主義的なのだろうが。

この指標をつかって、日本と他の国との「距離」を計算すると、日本に近いのは、ポーランドハンガリー、イタリアなどで、遠いのはオランダやスウェーデンなのだそうだ。
で、韓国や中国と日本の間にも結構距離がある。(ドイツやメキシコのほうが日本に近い)。

・・・と、ここまで読んで気づかれた方もいるだろうが、これって「経営学」なのか? という疑問もわく。
そう、経営学というのは「固有の理論」が少ないので、いろいろと他の学問や統計的手法から、いろいろな手法を借りてこなければいけないのだ。
その主な源流は、経済学、認知心理学社会学の3つなのだそうである。、
これは、経営学というものの歴史が浅いことと関係している。
そりゃそうだろう。
経営学が対象とする「企業」というものの歴史が、他の学問分野に比べれば、ずっと浅いのだから。

さて、こんな感じで「理論」を追いかけているアメリカ経営学だが、著者はその問題点も指摘する。
とにかく論文でより新しく、面白い理論を追いかけ続けることで、多種多様な理論が乱立し(著者は「サファリ化」という言葉を使っているが)、実際の経営と乖離し「実用性」を置いてきぼりにしていくことである。
本書で言う「経営学」は、たとえば「マーケティング」「会計」「ファイナンス」とは別個のものとしてとらえられているのだが、そうした「実学系」の分野と比較するとき、経営学の理論偏重は際立っているという。
そして、膨大なデータで平均的な傾向から理論を分析すれば、「一般的な傾向」は分るかもしれないが、往々にして、「優れた企業」というのは、そういう「一般的な傾向」からは外れているからこそ「優れている」のではないか、という疑問が湧いてくる。

そうして疑問に対してはまた、経営学への「複雑系」の適用とか、いろいろな試みがされているらしいけれど。

まあ、ものすごく大雑把なまとめ方をしてしまえば、経営学というのは、会社経営という個々の現象にたいする「物理法則」みたいなものを目指しているのだろうと思う。
で、たとえば、そういう「法則」をそのまま使っても、たとえば「重力の法則」をしっていてもすぐ飛行機を作ったりロケットを飛ばしたりできるわけではないわけで、そこには「物理学」に対して「工学(エンジニアリング)」が必要になる。
もっとも、まだまだ、経営学は「法則」を作るところにまでは全く達していないわけで、そもそも、それが可能なのかもよく分らないが。

というわけで、この本、知的なフロンティアの一端を垣間見るには面白いけれど、「明日すぐ役立つ」様なものを期待すると、完璧に裏切られます。
それでも、なんとなく面白そう、と思った人だけ読めばいい本なのかと。

なんだか、ほめてるんだかなんだか分らない結論になってしまったな。
いえ、面白いと思いますよ。興味ある方には・・・って、当たり前な話ではあるのだが。