プロフェッショナリズムということ ― 『たくらむ技術』 加地倫三著

この本の著者名をみて、ピンとこられた人は、それなりに地上波テレビのバラエティ番組をご覧になっている人だろう。

その、あのテレ朝の加持プロデューサーである。
年末の『アメトーーク! 5時間スペシャル』 をごらんになっていれば、この人が最終盤で江頭2:50に絡まれていたシーンを思い出していただける事と思う。

たくらむ技術 (新潮新書)

たくらむ技術 (新潮新書)

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

アメトーークという番組がなぜ人気があるのかといえば、いろいろな切り口から語れるのだろうが、本書をよむと、極めて誠実かつ力をいれて作られていることが、その理由の一つなのだろうなあと思えてくる。
たとえば。

スタジオバラエティ番組では、収録時に複数のカメラを切り替えていくため、スイッチング(カット割)を同時進行で行います。たとえば2時間収録していれば、手物に残る素材も2時間分になります。<中略>
 でも、僕の番組では、全てのカメラで映像を全部撮っておいて、撮影が終わった後で編集することにしています。出演者たちの細かい笑いまで絶対に撮りこぼさないためです。
 ただし、通常9台のカメラで収録しているので、「収録時間」の9倍が「撮影VTR時間」になります。仮に2時間の収録だとすると、18時間分のVTRが残ることになる。これを1時間(実際は正味46分55秒)の番組に編集していくのは、やはり大変な作業になります。<中略>「アメトーーク!」は1回でおよそ1200カット(ちなみに「ロンドンハーツ」のばあい、およそ1500〜1800カット)。2秒半に1回、カットを変える計算です

あるエピソードが披露されてスタジオ内が大爆笑に包まれ、あまりの面白さに笑いが10秒間続いたとします、ただし、そのうち最初の3秒が大爆笑で、残り7秒が余韻だった。
 こういう時に、作り手側はついつい残りの7秒の部分をカットしてしまうのです。ここでカットしておけば、時間がストックできて、他の部分でその7秒を使うことができるからです。
 ところが、これは不正解。「7秒の余韻がカットされる」ということは、つまり「テレビの前にいる視聴者が、笑い終わって落ち着く時間がカットされる」ということだからです。自分の笑いが収まっていないと、その後に続くトークに集中できません。<中略>
視聴者の気持ち、生理を無視してしまう編集とはこういうことです。自分がカットしやすいところでカットすると、笑いのために必要な間を殺すことにつながるのです。
 よく考えて編集すれば、他にカットできる部分はたくさんあります。作る側のエゴで笑いを減らしてしまってはいけない。

本書は全体に、ものすごく考え抜かれてまとめられたものというよりは、著者が次々と思うところを語っているような印象がある(実際、語ったものを口述筆記した可能性はかなり高いと思う。推測だが)。
だから、なんというか、こちらとしても整理して要約するのはちょっと難しい。
なので、以下、章のタイトルや小見出しから、いくつかをあげることにする。それだけでも、なんとなく、どんなことが書いてあるかは想像していただけると思う。

トレンドに背を向ける/「逆に」を考える/パクリはクセになる/二番煎じは本質を見失う/会議は煮詰まったらすぐやめる/反省会こそ明るく/計算だけでは100点は取れない/「段取り通り」はだめなヤツ・・・。

書名の「たくらむ」という感じが色濃くでているのは、「勝ち続けるために負けておく」という章だろうか?

番組内での企画は、「3勝2敗」くらいのペースでいいと考えています。5戦ごとに1つ勝ち越せばいい。<中略>
ここで言う「負け」とは、別にダメな企画というわけではありません。「一部から強く支持されそうだけど、外すしかないもの」「かなり冒険的なもの」というイメージです。一方で「勝ち」のほうの典型は「一度やって評判のよかった企画の第2弾」「今までの経験上、好結果が期待できる新企画」「企画段階からゾクゾクするような企画」(最近でいえば『アメトーーク!』の『どうした!?品川』)などになります。

アメトーーク!」で、「RG同好会(レイザーラモンRGとその理解者たちが集まる会)」という企画を放送したことがあります。<中略>これは明らかに一般受けを狙えない企画です。<中略>
 しかし、ごく少数ですが、「こういう『振りきった企画』を待っていた」と思う人もいるはずだと思いました。<中略>
 また、「えっ!?」という人たちには、次の週により間口の広い人気企画を放送したときに、「やっぱり『アメトーーク!』は面白いな」と改めて思ってもらえるはずです。<中略>
こんなふうに、1回ごとの結果を求めすぎないで、飽きられないためにどうするかという点を常に企んでいます。<中略>
「勝ち越し」を続けるためには、一定の「負け」が必要なのです。

これは、著者もいうとおり、「負け」といっても「ダメ」ということではなくて、「セオリーどおりの無難な成功方程式」に乗っかるんじゃなくて、常に実験的に新しいことに挑戦していくということだろう。
それって、「勝ち=安定」を続けるよりももっと大変なことだ。

著者がそうしたハイレベルな仕事を続けていく原動力は、なんといっても「テレビが好き」「お笑いが好き」なことにある、というのは本書の隅々から感じてられるのだが、その「好き」を「仕事」に転化するのは、ある種のプロフェッショナリズム、だろう。

著者自身は、こんな言葉で語っている。

僕は自分の仕事を「饅頭作りの職人さんのようなもの」というイメージでとらえています。1つ1つの作業を丁寧に行い、気を抜かないで納得のいくものを作る。<中略>
もちろん制作者としては「だから苦労を感じてください」というつもりはさらさらありません。お客さんには「甘くておいしいなあ」と、ただ味わっていただければ十分です。
ただし職人である以上、クソマジメに仕事を積み重ねなければいけない。
そんなふうに思っているのです。

かつて「楽しくなければテレビじゃない!」というスローガンをかかげてバラエティ番組のあり方を革新してきたフジテレビがすっかり凋落し、テレビ朝日の躍進が話題になって久しいけれど、それはつまり、こういう「職人」の心意気によって支えられているということである。


・・・にしても、今回は、引用ばっかりのブログだなあ。。。