本当の「伝統」について考える ― 『武士道の逆襲』菅野覚明著

がんばれニッポン!
というわけでオリンピックが開幕したものの、どうやら「ニッポンのお家芸」である柔道のメダルの数が伸び悩み、もやもやした気分の方も多いのではないかと思う。

まあ、さすがに柔道でメダルが取れなかったからといって「今どきの選手は大和魂が云々」などという人は大分減ってきたように思うが、以前はそんな言論があったりしたものだ。
まあ、「観客にわかりやすいし、テレビ映えもいい」という理由で欧州から提言されたブルーの柔道着が採用されたあたりから、柔道は「日本の武道」から「世界のスポーツ」になったわけで、もはや「大和魂」だけで勝てるもんでもなかろう。

日本の柔道界は
(1) 白色は、純粋廉潔等を旨とする我が国武士道精神の伝統の象徴であり、この心を普及することこそ柔道発祥国日本の使命である、
(2) 競技をする上で選手は、白色と青色の2着の柔道衣にプラスして、万が一破損した場合の予備としてそれぞれ1着ずつの2着、総計4着もの柔道衣を用意しなければならない煩わしさ、不経済さはよろしくない
といった理由で、柔道着のカラー化には反対しそうだが、まあ「我が国武士道精神の心を普及する」なんてことに固執しちゃったら、逆に「平和の祭典」オリンピックの競技にするのが難しそうではあるな。
(参考URL http://www.sportsclick.jp/judo/01/index15.html

とはいえ、日本では柔道はやはりオリンピックの中でも特別な意味合いを持っていて、メダルの数に、ほかの競技以上に注目があつまるのは、柔道が「我が国武士道精神」を受け継ぐ特別なものであって、ただのスポーツではないという気持ちが、多くの人の心の中に根付いているからかもしれない。
ま、このブログの中の人は、中学高校の授業でちょっとやらされた位でしか、柔道のことは分かりませんけれども。

で、前置きが長くなったが、「我が国武士道精神」って本当のところはなんじゃいな? というのが、今回取り上げた本のテーマである。

武士道の逆襲 (講談社現代新書)

武士道の逆襲 (講談社現代新書)

武士道といえば、新渡戸稲造(旧五千円札のおじさん)の『武士道』という名著があって、今でもここに描かれる気高き日本人の心を賞揚する人は少なからからずいるわけだが、本書は、のっけから新渡戸の説いた武士道に喧嘩を売る。

学問的な研究者を除く一般の人々――とりわけ「武士道精神」を好んで口にする評論家、政治家といった人たち――の持つ武士道イメージは、その大きな部分を新渡戸の著書によっている。そして実はそのことが、今日における武士道概念の混乱を招いている、もっとも大きな原因なのである。
〈中略〉
それは一言でいえば、新渡戸の語る武士道精神なるものが、武士の思想とは本質的に何の関係もないということなのである。

第一章の10数行目でこの啖呵の切り方は、もはやすがすがしと言っていいくらいで、ある意味、読者の期待を否が応でも高めざるをえないが、では新渡戸稲造の書いた武士道とはなんだったのだろう?

著者は、新渡戸稲造をはじめ多くの論者によって、明治中期以降、日清戦争日露戦争において、日本が近代で初めて外国と戦争をした時期から、盛んに論じられるようになった「武士道」を「明治武士道」と名づける。

明治維新によって、いったん武士の時代が終わりをつげ、当然ながら、本来の「武士道」も役目を終えた。主君と家来、それも一部の階級だけが「軍事」を担っていた時代が終わり、徴兵で全国民をあつめた「軍隊」が国防や対外戦争を遂行する。
軍事面で明治政府がやりたかったことは、つまりそういうことだから、いったんは「武士道」なんて否定せざるをえない。

そもそも武士というのは、自分の実力だけを頼みに、死と隣り合わせの戦いを勝ち上がっていく男たちの思想であって、そういう男たちが、ある主君の下で家族的共同体を作るのが武士の集団である。

武士たちにあっては、肉体の全てが武器であり、精神もまたすべて武器であった。手足と頼む一族郎党と、それを支える所領財産もまた、間接的な肉体であり、精神であったといえよう。実力の追求とは、それをいかに拡大し、また十全に駆使できるかという一時であった。
〈中略〉
武士の実力は、基本的には、リアルな物質的な力の総合にある。現実に己の存亡を懸けている現場にあっては、そのことを単純に否定するような妙な精神主義の入る余地はない。

そんな集団がいくつもあっては、近代国家がまとまるわけがないのであって、それを解体し、「大和心」の下に再編成しなければいけない、と、明治政府は考えていた。一方で、日本で軍事を担ってきた人々の道徳というのは、武士が長年培っていた「武士道」以外に、当時の日本には存在しない。
となれば、その遺産をうまく受け継がなければいけない。

だから「背反する二つの事柄の微妙な均衡の上に成り立っている」のが、明治に作られた『軍人勅諭』なのだと著者は言う。
この辺、詳しく論じだすと話はややこしいのだが、一例としてあげれば、『軍人勅諭』の掲げる五ケ条の道徳は「忠節」「礼儀」「武勇」「真偽」「質素」であって、これは、江戸以前の武士道とほとんど重なっているように見えるのだが、そのよって立つ論拠が、全く異なっているという。
たとえば、旧来の「忠節」は、直接に主君の「御慈悲」「御情」にたいして奉公することであるけれど(いわゆる「ご恩と奉公」ってやつですね)、明治政府が「大御心」にたいして求める「忠節」は、もっともっと抽象的だ・・・という具合に。

で、明治政府が慎重に排除しようとした「武士道」が、再び論じられるようになったのはなぜか。

日露戦争期における武士道論議は、欧米のメディアと日本国内の言論界で、同時期に高まったものである。それは、大きくは、日本が勝利を得た原因を問う、東西文明論という文脈の中での議論であった。

誤解を招くことを覚悟の上で、簡単にまとめてしまうと「日本は東洋の遅れた文明の国である。それが、欧米(=ロシア)に勝てたのはなぜか。それは武士道という、西洋文明にも負けない立派な精神があるからである」という形で再発見された、という感じのようである。
その「再発見」は、私見によれば、「都合の良い後付の理屈」のようでもあるのだけれど。

もう一つ、新渡戸稲造の場合には、彼が熱心なキリスト教徒であることも、話をややこしくしている。

考えてみればこれは意外なことなのだが、新渡戸稲造の『武士道』には、文中に出てくる人物の索引が付いているのだが、これが、日本の武士などよりも欧米人のほうが圧倒的に人数が多い。
で、実際に読んでみると分かるのだが(岩波文庫ですぐ手に入る)、この本、やたら「日本の武士のこういうところは、西洋のこういう考え方と一緒である」といった記述が多いのだ。

なんで、そんなことになっているのだろう?
その理由は、つまり、こういうことだ。

日本は、キリスト教国ではない。新渡戸のような日本人キリスト者は、西洋から見れば日本人であり、日本から見れば西洋人の一種たるキリスト教徒である。新渡戸の立場は、西洋に対しては日本人がキリスト者たりうることを説明せねばならず、逆に日本に対しては、自分たちが西洋の手先ではない日本人であることを説明しなければならぬという、二重に引き裂かれたものなのであった。

ということで、新渡戸稲造の武士道は、日本の伝統と西洋文化の接点をつなぐための苦心の著作であって(もちろん、それ自体の価値はあるけれど)、江戸時代以前の武士道とは、かけ離れたものですよ・・・というのがこの本の主張なのでありました。

では、「本当の武士道」ってどんなものだったのか?というのも、本書には十分にかかれていて、というより、そちらのほうが圧倒的にページ数は多いのだが、まとめにくいので今回は割愛します。
それが価値がないという話ではなくて、このブログの中の人の文章力の問題(つまり、簡潔にまとめられる自信がない)ということなので、御了解をいただきたく。

・・・ま、あれだよ。
「これが日本の伝統だ!」とか言われているもので、じつは、明治時代あたりに急ごしらえで作られたものだったりする、という例は案外多いような気がする。
それって、少なくとも、伝統という観点から言えば、「本物ではない」ことは確かだ。
ま、だからといって「殺し合いで天下をとる」ことを是とする世界で生きていたような、「本当の武士道」を復活させようなんて、土台無理な話だと思うけれど。