ただの水をビジネスに変える力について ― 『ブランディング22の法則』アル・ライズ ローラ・ライズ著

ブランド品。あんまり(ほとんど?)持ってないなあ。
あんまり詳しくないし。

どうなんですかね? あの茶色にLとVをあしらったカバンって、あれがもしヴィトンじゃなかったら(さすがにヴィトンは、見ただけですぐわかります)、おしゃれなんでしょうかね?

「いやいや、名前だけじゃなくて、やっぱりブランド品は造りがいいから、長持ちするのよ」という意見も、時折耳にする。
だが、かつて買い物依存症患者として借金にまみれ、地方税を滞納しながらもブランド品を買いあさっていた作家の中村うさぎ女史が、著書のなかで、「ブランド品って、すぐ壊れる」と、強く訴えていたのも読んだことがある。
こうなると「いいものを長く使うのが本当のエコでロハスなのよ」などといってブランド品使っている人も、信用できないという話になる。

とかいいつつ、やっぱり一眼レフはキャノンよりニコン派だなあ、なんて言ってる自分もいたりするわけだが。

あ、そうだ。沢山もってるブランドがありました。
ユニクロ
あ、これはブランド、ではあるけれども「ブランド品」ではないのかな。

知っている人も多いと思うが、ブランドとは、もともと『焼印』のことである。
金属を熱して、家畜の肌につけることで、消えないしるしを付け、他と区別するのである。
烙印、というのも類義語として辞書に出てくる。
そして、他と区別されることで、他とは異なる「付加価値」まで持ってしまうわけだ。

今回取上げる、この本によれば「ただの水をエビアンに変える」のが、ブランドの力なのだ。
(アタクシは「エビアンがただの水」だなんて言ってないですよ! 著者がいってるんっす!)、

ブランディング22の法則

ブランディング22の法則

原著の初版が1998年、邦訳が99年の発行。
回転の速いビジネスの時間感覚で言えば「古い本」だけれど、今でもブランディングの本としては、よくオススメにあがってくるようである。
著者のアル・ライズは、30年前に初版が出た『ポジショニング戦略[新版]』なんていう、もはや古典ともいっていい著書もあって、マーケティングの世界では超有名人である。
ローラというのは、娘らしい。

で、この本、タイトルに『法則』とうたってはいるが、厳密な分析や理論研究から導かれた法則、というよりは、経験則とか格言をまとめたような感じだし、22という数字も、「見栄え」で揃えたような雰囲気である。
○○の秘密100! みたいなことか。

なにしろ、「監訳者あとがき」に、こんなことが書かれているくらいである。

そもそも法則とは言っても、その真偽が問えるような形で述べられているものは少なく、著者たちの観測とか感想とかいったほうがいものが多い。<中略>
都合のいいものだけを集めただけと言えないことも無い。さらに22の法則はかなり重複しているものが多く10個程度に整理できそうである。ブランド構築を論じてきた私の個人的立場から言えば必ずしも賛同できない論点も散見される

結構な言い様ですなあ(笑)
まあ、この直後に「このようないくつかの問題点にもかかわらず、私はこの本が好きである」とフォローしてあるけれど。

厳密でも学術的でもない、ということは、本として読みやすい、ということでもある。

全体の構成は、22の法則それぞれに1章を割いて、一つ一つ実例を挙げながら説明していく、という形である。
10年以上前の本で、しかも、引用されるエピソードはアメリカ企業を中心に、時々グローバル企業が出てくる程度だから、人によっては、今ひとつ例が身近に感じられず、バシっと腑に落ちてこないかもしれないが、それでも、膨大な実例と実務家の実感に裏打ちされていることが、この本の魅力か。

といわけで、本書が主張する法則をいくつか見ていくことにする。

法則1 拡張の法則 ブランドの力はその広がりに反比例する
法則2 収縮の法則 フォーカス(焦点を絞り込む)する時、ブランドは強力になる

ああ、確かに1つに整理できそうです。
つまり、同じブランド名でやたらめったら商品をだしたりすれば、一時的に売上げを伸ばしたとしても、すぐにその力は拡散して弱まってしまい、結局失敗するという話。
その裏返しとして、一つのカテゴリーに絞り込んで闘った方がブランドが確立できるということである。

本書には、やたらと車種を増やしてブランドイメージを拡散してしまったシボレーや、マーケットシェアを増やすために「シニア用」「学生用」「メンバーシップ・マイルズ」「オプティマ」等々、年間12〜15種類のカードを発行し、やがてワケが分からなくなってしまったアメリカン・エキスプレスの例などが「拡張して失敗した例」として挙げられている。
一方で、サンドウィッチに集中して成功したのがサブウェイ・・・といった感じだ。

ここで個人的に思い出したのが「ピエール・カルダン」、といったら年齢がばれるだろうか?
70年代には一世を風靡したファッション・ブランドだったらしいが、いつの頃からか「食器」「バスタオル」「トイレのスリッパ」などにもロゴが踊るようになり、いつしか、あまり見なくなってしまった。
そりゃ、そうである。
だれが、便所のスリッパと同じロゴが入った洋服を、よろこんで着るものか。

こんな法則も出てくる。

法則9 名前の法則 結局のところブランドとは名前のことである

最近はあまり言わないけれど、かつては「コピーする」ことを「ゼロックス」と言ってたよね、と、そういうことである。
日本では「セロテープ」「マジック」あたりが、「名前」になったブランドだろうか。
単なる商品名ではなく、名前=カテゴリーをあらわす普通名詞になれば、それは成功したブランドだ。

企業の中では、往々にして、著者の言うところの商品派(=ビジネスで成功する鍵は優れた商品とサービスの普段の開発であると信じる一派)と、ブランディング派が争うものだが、著者によれば「商品派は東アジアの経済を支配している」という。
本書の執筆当時、「大手百社の日本企業のうち16社が三菱の名の下で商品やサービスを販売し」、そのラインナップは「宇宙開発機器から輸送システム」にまで及んでいた。
さらに、松下と三井は、ともに大手百社のうち8社に冠されたブランド名だった。
そこで、日米の大手百社の純利益率をみると、アメリカが売上げに対して平均6.3%なのに対して、日本はわずか1.2%。
1998年の韓国の大手25社の韓国企業の売上高純利益率は0.8%。
そこで大きな存在感をもつヒュンダイ(現代)は、「お金以外あらゆるものを作っている」。

そして著者はこう論じる。

企業の存立は人々の頭の中にブランドを築けるかどうかにかかっている。国家の場合も同様である。
東アジアが抱えているのは、金融問題、財政問題、通貨問題、あるいは政治問題ではない。東アジアはブランディングの問題を抱えている。

その後、ヒュンダイのブランド・イメージはかなり変容したけれど、日本企業はどうだろうか?
そして、日本という国家のブランド・イメージは?

本書には、もう少し具体的な示唆をくれる法則も書かれている。

法則16 形状の法則 ブランドのロゴタイプは目にフィットするようにデザインするべきである。両眼にである。

「顧客の眼は横についているので、ロゴタイプの理想的な形は横長型である。ざっと幅2・25に対して高さ1」なんだそうな。
そして、ブランドは名前であり言葉である以上、ロゴには読みやすいシンプルな活字を使うのが一番いいという。
日本企業で言えば(比率は多少違うけど)、キヤノンソニーのロゴあたりが、この法則に沿っている感じか。

法則17 色調の法則 ブランドは競合とは反対の色を使うべきである。

ま、これは分かりやすい。
ちなみに使える色は、せいぜい、基本5色(赤、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー)と無彩色(白、グレー、黒)だそうな。
コカコーラの赤、IBMのブルー、マクドナルドのイエロー(ま、マーク自体は赤なんだけど)など、基本色を抑えちまった会社は、たしかに強い。

最後の法則は、これである。

法則22 寿命の法則 どんなブランドにも永遠の生命はない。多くの場合、安楽死がベストの答えである。

この章、今読むとまた、特別の感慨が沸いてくる。
なぜかといえば、この法則に逆らおうとしている企業として、コダックが取上げられているのである。

本書が書かれた当時、コダックは、フィルム・カメラの新しい企画である「APS(Advanced Photo System. なつかしい!)」に巨額の投資をしてフィルムカメラとしてのブランドを延命させようとする一方で、コダックブランドのまま、デジカメ市場に参入していた。

著者はこう予測している。

まず成功は望めないだろう。なんと言ってもこの市場にはデジタルで評判をとった競合企業が多すぎる。ざっと上げるだけでキヤノンミノルタ、シャープ、ソニー、カシオとあるのだ。さらに重要なことに、革命的な新しい商品が開発されるときには、革命的な新しいブランドが決まって勝利するのである。<中略>
写真ブランドはデジタル時代を生き残れるだろうか。
いまのところ断定はできないが、私たちの慎重な予測ではノーである。

著者の眼には、この時点でコダック安楽死させるべきブランドに映っていたのだろう。
そして今年、コダックはカメラ事業から撤退する・・・。
(あれ? でもニコンは「写真ブランド」の割には頑張っているなあ。ま、あれだ。ニコンは「高機能な一眼レフ」がブランドイメージの中核で、そこは「フィルム→デジタル」という流れとは別、ということだろうな)

・・・と、ここらで終えても良かったのだが、「ピエール・カルダンのスリッパ問題」について、面白いブログを見つけてしまったので、引用させていただきながら、話を続ける。
本書の内容からはちょっと離れるのだけれど。
そのブログはこちら。
☆ピエール・カルダンがライセンスに走った理由 ☆東京のレトロな生活骨董の店スピカ#3

ピエール・カルダンの公式伝記本について書かれたエントリーなのだが、それによれば、彼が広範なライセンス・ビジネスに走り、トイレのスリッパにまでブランドネームが付されるようになった背景には、彼のこんな思いがあったようなのだ。
ちょっと、孫引きさせていただく。

「もしも、庶民に対する流通経路がないならば贅沢品なんて何の役に立つのですか。特に、ファッションが社会的に認知されていない国々ではそれが必要なのです。それに、なぜ、同じ女性が大金持ちではないという理由だけで、エレガントになる権利を奪われてしまうのですか」

天才デザイナーとして頂点にたった男が、自らの「高級ブランド」を破壊することで、かつては金持ちや上流階級だけのものだった「ファッション」を庶民に解放しようとした・・・とまあ、そんなところだろうか。
一方で、彼自身は、このライセンスビジネスで巨万の富を築くことに成功したようだが。
(その意味で、これはもしかしたら、「金儲け」に「理念」を後付した理屈かもしれないけれど)。


ブランド。
ただの名前のようでもあり、「ただの水」を商品に変える力でもあり、なんとも不思議な世界、ではある。
結局、人間の心理とか感性とか、そういうことに深く根ざした領域だから、つまりは「人間というのは不思議である」ということなのかもしれないけれど。