作品の背後にあるものを感じてみる ― 伊藤計劃著『虐殺器官』について

その手の話に興味関心のある方からは今頃何をいっているのか? といわれるかもしれないが、最近読んだ伊藤計劃の『虐殺器官』が面白かった。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

9.11後、テロとの戦いが、テクノロジーによる徹底した管理社会を作り上げることで沈静化に向かう一方、発展途上国では内戦や虐殺が劇的に増加した近未来。
米軍に所属し、そうした状況の原因とされる国家の指導者など、“危険人物”を暗殺することを任務とする主人公。
やがて、彼は、虐殺が発生する地域には必ず、一人の男の影があることを知らされ・・・。

ジャンルとしては、「SF」であり、作中には、たとえば「人口筋肉」を使った飛行機やら、体に埋め込まれたIDタグやら、戦場で適切な反応をとれるように「心理的障害」を取り除く「前頭葉局所マスキング」の技術など、さまざまなガジェットや設定が次々と登場する。
しかし、作者の意図はそうしたSF的想像力を用いて世界を構築することではなくて、あくまでもそれは、物語を展開させるための「小道具」のようにも見える。


まあ、その分、バリバリ本格SFがお好きな人からは、物足りないという声もあるようですが。

国家とか戦争とか、言語と人間とか、母と息子とか、読み取れるテーマが重層的で、かつ謎解きの要素で話を引っ張っていくミステリー的要素もあり、そりゃあ評判になるよね、という感じである。

うじうじと考え続ける主人公の「厨二病」ないし、「セカイ系(って、この言葉、いまひとつよくわかっていないのだが)」な感じが好きではない、という人もいるようだが、それも含めて魅力、だろう。

なんだか、大味な説明だな。
まあ、あんまり、色々書いてしまうと、“ネタバレ”をしてしまいそうで、こんなブログでオチをしるくらいなら、是非、原本を味わって欲しいと切に願うところでもあるし、緻密な書評が欲しい方は、すでにネットにいくらでもあふれているので、google先生に聞いてみていただければと思うわけだが。

もう一つ、この小説の魅力(あるいは、見方によっては“鼻につくところ”)は、作者が膨大な小説やら映画やら、あるいは時事問題やらの知識をもっていて、それをたくみに結びつけたり引用した上に、卓越した想像力(創造力)をもって、物語を構築していることだろう。
そうすることで“構築された近未来”とリアルが結びついてくる。
もちろん、そういった「引用元」を知らなくても十分楽しめるように話は構成されているのだけれど、一方で「元ネタ」が分かる人にとっては、「ああ、あれか」という楽しみ方もできるわけだ。

そこで、以下、ごく一部ですが、「ああ、あれか」と楽しんでみることにします

だから、ぼくらは海兵隊の長距離偵察隊や海軍の陸海空特殊部隊といった特殊コマンドほかの部隊からは、蔑みとともに「濡れ仕事屋」(ウエットワークス)と呼ばれることがあった。この名前は冷戦時代から暗殺仕事をさす隠語として、ジョン・ル・カレグレアム・グリーンの小説で使われてきた

ジョン・ル・カレamazonで検索すると、60件もヒットするスパイ小説の大御所。

グレアム・グリーンといえば、映画『第三の男』の原作者ってのが一番有名なのですかね?
第三の男 [DVD]
オールド映画のファンにはあまりにも有名だが、「イタリアはボルジア家30年の圧政の下にミケランジェロ、ダビンチやルネサンスを生んだ。スイスは500年の同胞愛と平和で何を生んだか。ハト時計だとさ」というアンチヒーロー、オーソン・ウエルスのセリフは、かっこいいい。


名セリフといえば、これもそうですね。

ですから、仮に敵地で捕らえれた場合にも―」
「『当局は一切関知しないから、そのつもりで』だろ、フェルプス君」

はい、『ミッション・インポッシブル』ですね。
いや、再放送(再々放送?)のTVシリーズになじみがある身としては『スパイ大作戦』といったほうが、すっと頭に入ってきますが(笑)。
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戦闘前に行われるカウンセリングと脳医学的処置によって、ぼくらは自分の感情や倫理を戦闘用にコンフィグする。そうすることでぼくたちは、任務と自分の倫理を器用に切り離すことができる。オーウェルなら二重思考と呼んだかもしれないそれを、テクノロジーが可能にしてくれたというわけだ。

説明なしに「オーウェルなら・・・。」と言いっぱなしになっていますが、『1984年』や『動物農場』のジョージ・オーウェルですよね?
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

・・・と思っていたら、後半では

オーウェルは「動物農場」でこう書いた。すべての動物は平等である、一部の動物はさらに平等である。自由を持つ者が、その自由を守るために人々を監視する。

と、そのまま引用されてました。

次は、多分、御好きな方なら「ああ、あれね」と膝を打つところか。

ウィリアムズは鍵を吹き飛ばしたソードオフをそのまま突きつけ、
「まさかのときのスペイン宗教裁判だ」

SWDという呼び名は、シールを張られた人間たちが、勝手に特定方向へ歩ませようとするシールの作用と、それに抗おうとする意志のコンフリクトによって、なんとも味わい深い歩き方になってしまうところから来たものだ。つまり何の略かというと、シリー・ウオーク・デバイス(バカ歩きデバイス)。

「まさかのときのスペイン宗教裁判」「シリー・ウオーク」ともに、どちらも出典は、イギリスの伝説的コメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』のネタ。
「スペイン宗教裁判」のほうは、(英語はもちろんのこと)日本語のウィキペディアにも項目が立てられているくらいで、いやあ、パイソンの影響力は大きいなあと思った次第。
モンティ・パイソンは、かなり作者のお気に入りらしく、他にもいくつかの引用がされている。



他にも作中で引用・参照されている映画は、この手のものが好きな人にとって、ある意味「いかにも」というかベタな選択という感じもある。

たとえば、

向こうの世界はどんなんだ。やっぱり虐殺された人々の死体が一面に広がっているのか、と。まるで森の向こうはカーツ大佐の王国で、僕等はそこから帰ってきたウィラード大尉だとでも言いたけだ。

映画『地獄の黙示録』ですね。
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そして、これ。

だれか現代音楽に造詣が深い兵士が名づけたのか、いつの間にか広がったんだそうだ。「2001年宇宙の旅」のトリップ場面でかかっていた曲のコンポーザーの名前らしい。

ま、作者にとってはずせなかったのでしょうね。これ。
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『2001年』というのは、ワケの分からない映画だが、その中でも「トリップ」の場面はワケの分からないなりに印象深いシーンで、公開当時はLSDでトリップしたときの感覚にも近い映像だとも評されたらしいけれど、なんか、音楽というか、「特殊な音響」のようなものが流れていた記憶がある。



はずせなかったといえば、多分、というか、絶対これもそうなのだろう。

それら溢れかえった文字情報が、百塔の街であるプラハの景観に、香港のネオン群か、リドリー・スコットが想像したロサンゼルスのような混沌を付け加えてしまっていた

ブレード・ランナー』ですね。アンチ・ユートピアの映像化のパイオニアみたいな映画である。
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このブログを書くためにいくつかネタを検索していたら偶然みつけたのだが、先述した『地獄の黙示録』の原作であるジョセフ・コンラッド『闇の奥』をamazonで検索してみたら、「一緒によく購入されている商品」として、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が出てきた。
ブレード・ランナー』の原作である。
映画という共通項がなければ、なかなかに結びつかない2冊なわけで、つまり、この辺の映画に興味を持つ人たちの関心領域ってにているってことだろう。

リドリー・スコットといえば、直接の言及ではないのだが、こんなのもあった。

「わたしも九三年のモガディシュにいたのだよ。わたしはデルタの一員だった。ブラックホークが墜落する無線を、バカラ・マーケットで聴いていたからね。セイルズさんの言う『失敗した先輩』のひとり、だよ」

これは、1993年当時、米軍がソマリア内戦に介入した際に、首都モガディシュで軍用ヘリコプター「ブラックホーク」が撃墜されて作戦に失敗し、結局、ソマリアから撤退した事実を踏まえたものなのだが、このときの戦闘を、リドリー・スコットが映画化した『ブラックホーク・ダウン』という作品がある。
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賭けてもいいが、作者は、これ見ているに違いない。


そして、この「ブラック・ホーク」の件もそうなのだが、単に映画や小説を引用するだけではなく、90年代の時代背景をきちっと押さえながら、「近未来」を創造しているところが、この本の説得力を増している、と感じられる。

たとえばこれ。

そうだ。国家のイメージはPR会社によって大きく左右される。アフメドはオックスフォードで国際政治を学んでいたから、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争に置けるようなPRの必要性を強く認識していた。

ボスニア紛争におけるPR会社の役割については、ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)というノンフィクションの名著がある。
ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)
興味がある方は、是非お読みいただきたい。現代の戦争は情報戦でもあるということ、そして、それを「ビジネス」として営むPR会社の存在に戦慄させられる。


こんなのも、そうした「時代背景への目配り」の一つだろう。

インド復興に関わっている企業はユージーン&クルップスだけではない。戦争犯罪者を収容する刑務所を運営しているのはオランダ資本のパプティノコン社とだし、土木関係は昔ながらのハリバートンがやっている。

昔ながらの「ハリバートン」。
ブッシュ政権下で副大統領を勤めたディック・チェイニーが経営に深くかかわり、その一方で、イラク戦争後の復興事業やら、米軍のためのケータリングなどで稼いでいる実在の会社。
ハリバートン社が、アメリカの貧困層を労働力として戦場の危険地域に送り込んでいる、という話は、堤未果ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)に詳しく出てくる。

刑務所の運営が「パプティノコン社」というのは、ちょっとあまりに、そのまま、という感じがするけれども。
(参照:wikipedia「パプティノコン」


・・・なんか、きりがないので、この辺にしておきますが、最後にもう一つだけ、気になったことを。
作中の主要な登場人物に「アレックス」という名前の人物がいるのだが、どうしても、これ、『時計じかけのオレンジ』の主人公を思い起こさせずにおかない。

時計じかけのオレンジ [DVD]   時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)
しかし、この両者の共通点というか、「あの人物をアレックスと名づけた理由」がよくわからない。
深読みしすぎ、というやつだろうか?


というわけで、作品の中にどっぷりつかることをよしとする読書の仕方からは、こういうことをアレやコレやするのは邪道なのかもしれないが、しかし、傑作と呼ばれる作品の背後には、ざっと調べてみるだけでも、これだけ色々なものが埋まっているというのを、たまには感じてみたかったわけです。