末端から攻めあがるということ ― 『リバース・イノベーション』  ビジャイ・ゴビンダラジャン クリス・トリンブル著

イノベーションのジレンマ』『ブルー・オーシャン戦略』を超える衝撃の戦略コンセプト!・・・とまあ、なかなかに勇ましい帯とともに、新刊ビジネス書のコーナーに最近平積みになっているのが、今回のお題である、この本である。

リバース・イノベーション

リバース・イノベーション

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

イノベーションって言葉は、最近良く見かけるし、日本企業がかつてのようなイノベーションをできてない、なんてこともよくいわれるけれど、さて、そこで、リバース?

そういえば、バカみたいに酒を飲んでトイレに駆け込む人のことを「リバースしに行った」とかいう言い回しがあったけれど(今も大学生は、そんなことしてるんですかね?)、つまりは、リバースとは「逆流」のことだ。

では、イノベーションが“逆流する”とはどういうことか?

本書は、このように説く。

簡単に言うと、途上国で最初に採用されたイノベーションのことだ。こうしたイノベーションは意外にも、重力に逆らって、川上へと逆流していくことがある。
<中略>
ほとんどのイノベーションが上流ではなく下流へと向かうことは、直感的に理解できる。富裕顧客には、最も大きく素晴らしいものを買うだけの経済的なゆとりがあり、実際、そういうものを求める。<中略>
したがって、途上国は経済と技術の両分野で富裕国に追いつこうと、少し遅れて進化のプロセスに入る、と考えるのは当然である。途上国ではイノベーションなど必要ない。懐に余裕ができたらすぐに、富裕国からほしいものをただ輸入すればよいのだと。
<中略>
しかし、それは完全な誤りだ。富裕国で有効なものが自動的に、顧客ニーズがまったく異なる新興国市場でも幅広く受け入れられるわけではない。

これすなわち、必ずしも高い技術をもち、市場も成熟した国や地域だけがイノベーションを生み出すわけではない、むしろ、末端とも言うべき土地から、限られた条件化のニーズを満たそうとする努力が、あたらしい技術や商品やサービスを生み出すこともあるのだ・・・とまあ、そんな風にまとめなおしてもあながち間違いではないだろう。

“技術大国ニッポン”が誇る、最先端の技術を詰め込んだ製品群が、かならずしも世界で売れているわけではない、という話は、ここ最近、あちらこちらで目にするけれど、その辺の「からくり」を理論化して、新興国や未成熟市場からイノベーションを生み出す方法を考えましょう、というのが、まあ基本コンセプト、といったところだろうか?

たとえば『イノベーションのジレンマ』にでてくる「破壊的イノベーション」のような、目を見張るようなコンセプトがあるわけではないけれど、現実に今、世界の市場で起こっている現象を拾って、丹念に概念化したという印象を受ける本である。

実際、実例は数多く取り入れられていて、全384ページで構成は第一部が理論編、第二部が実例編となっているが、1部は128ページまでだから、3分の1程度にすぎない。
で、その理論編にも、実例に即して説明しているわけで、つまり、「ほら、こんな風にリバース・イノベーションが現実に起こっているんですよ」という例が満載の本でもある。

第1部では、たとえば、米のGEヘルスケアによる医療用の小型超音波診断装置の例が取り上げられている。
この装置はもともと、高価で大型で、取り扱いにもそれなりの専門性が必要とされる。
これを、中国の市場で売るには、どうするか?

中国では人口の9割が、地方の資金力が乏しい医療機関で診療を受けており、医療機関に高価な機器を導入する余裕はない。
そして、医師たちも「なんでも屋」であることを求められ、一つの分野(たとえば画像診断)に専門特化することは難しい。

そこで、画像診断装置も小型化、単純化することで、GEヘルスケアは中国市場を開拓することに成功した。
それは必ずしも「最先端技術」を導入することではなくて、ある程度機能を犠牲にしたり、ソフトウエアを改良することによって成し遂げられる。

そして ―― これが重要な点なのだが ―― 中国市場に適応するために開発された超小型化の技術は、米国市場に“逆流”して、救急隊員に小型の装置を持たせたり、これまでは画像診断をおこなっていなかった小規模な診療所にもうりこむ、といった形で市場を開拓していったのである。
つまり「リバース」である。

イノベーションとは必ずしも最先端の技術を活用することではない。
そして「最先端ではないイノベーション」が生まれる条件が、むしろ、新興国や未成熟国だからこそ、整っている・・・とそんな風に考えることができるかもしれない。

考えてみれば、日本のお得意の、小型・省エネ技術というのも、国土が狭く、資源に乏しく、そして、かつてはかなり貧しかったこの国が生み出したリバース・イノベーションだったのかもしれない。
少なくとも、アメリカの市場を相手にしていた自動車メーカーは、燃費の良い小型車や高性能50ccバイクは生み出せなかったわけで。


本書によれば、富裕国と途上国には5つのギャップ(「性能」「インフラ」「持続可能性」「規制」「好み」)があるという。
それは、たとえば、「性能のギャップ」について言えば、先進国ならば100%の性能に対して100%の価格、90%の性能にたいして90%の価格、という風に製品を考えるのだが、では、途上国のニーズにあわせるには、それをさらに少し落として、70%の性能にたいして70%の価格で提供すればよいのか・・・というと、そうではない。

途上国の人々はむしろ、超割安なのにそこそこ良い性能を持つ画期的な新技術を待ち望んでいる。<中略>これを実現するほど大きな設計変更は、既存品からスタートしたのでは不可能である。まったく新しい価格性能曲線に行き着く唯一の方法は、一からはじめることだ。

こうした取り組みの例として、通話とメッセージ機能、そして、電力事情の悪い地方向けに懐中電灯の機能を追加した携帯電話でインド市場の6割を獲得したノキアの例が挙げられている。

以下、本書の第一部では、こうしたリバース・イノベーションに取り組むためのマインドセット(思考様式)の持ち方や、組織やマネジメントのあり方についての議論が進む。

たとえば、こんな議論。

こんな課題を試してみてほしい。世界地図を広げて、自社にとって大きな成長機会があると思う国に大きなステッカーを、成長機会はそれ程ないと思われる国に小さなステッカーをおいてみる。次に、力を持つ経営幹部50人が物理的にいる場所に、別のステッカーを置く。
はたして、人材と機会は同じ場所にあるだろうか?まったく違うという企業がほとんどだろう。機会は新興国市場にあり、人材は本拠の近くにいる。

この状態を変えるために、重要な意思決定者を新興国市場にも配置し、個別で損益を計算し、研究開発費を増やし・・・、と議論は続く。

イノベーションが「上から下へ」流れていくとは限らず、「リバース(逆流)」に大きな可能性があるとするならば、当然議論はそうなっていくんだけれど、そうなると「富裕国」にある本拠地(本社)の役割ってなんだろうか? という疑問もわく。

かつて「日本は人件費が高くなっていく。だから付加価値の高い研究開発や基幹技術に関する部門を日本に残して、あとは海外で・・・」という議論があったが(というか、今もあるが)、それじゃ対応できませんよ、といっているようにも見える。

まあ、技術だけではない、ブランドイメージとか企業文化とか、そういったものは、確固たる本拠地がないと発信ができないのかな? という気もするし、漠然とした言い方になるのだが、やはり「アメリカの会社っぽさ」「フランスの会社っぽさ」「日本の会社っぽさ」みたいなものは、企業の目に見えない価値として、案外大きなものという気がするので、そういったところで「本拠地」の存在意義というのは出てくるのだろうか?
やはり、確固たる「本拠地」があってこそ、その企業の企業らしさ(かっこよくいえば「アイデンティティー」ということになるのか?)も、生まれてくるのだろうし。


とはいえ、企業の本質が「営利を追求する組織」であり(それは、良い悪い、の問題ではなく、定義上そうなる)、営利を追求する機会が、地球単位で刻々と動いている以上、多国籍企業が、それを追いかけていくのは当然の話ではある。
となれば、「本拠地」がどうあれ、実態としての企業の組織や人員の配置は、どんどんと「機会」の存在するところに拡散していくのだろうな。
となると、問題は、個々人がその動きについていけるだろうか? と、まあ、その辺りにあるような気もしてきた。

・・・なんだか、イノベーションの話からはだいぶずれてきてしまったけれど。

果たして、リバース・イノベーションという言葉、定着するのか、バズワードで終わるのでしょうか?
まだ、その辺はなんともわからないけれど、とりあえず、実例も多いし、当面は話題になりそうな本、ではありました。

真面目にやれよ(笑)―『イグ・ノーベル賞』マーク・エイブラハムズ著

これ、ほしいと思った人も多いだろう。

日本のおしゃべり妨害器に「イグ・ノーベル賞」 YOMIURI ONLINE
ケンブリッジ(米マサチューセッツ州)=中島達雄】人々を笑わせ、考えさせる研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の今年の授賞式が20日、米ハーバード大で開かれ、しゃべっている人を黙らせる装置「スピーチジャマー(おしゃべり妨害器)」を発明した産業技術総合研究所の栗原一貴研究員(34)と、科学技術振興機構の塚田浩二研究員(35)の2人が「音響学賞」に選ばれた。

リンク先の記事をみると、原理については、脳や知覚の仕組みを利用したかなりマジメな視点から考えられたもののようではある。

「授賞式で2人は、ゲストのノーベル賞受賞者に対し3メートルほどの距離から『スピーチジャマー』の効果を試す実演をしたが、スピーチを止めることができず」というのはご愛嬌だが、早く実用化してほしい。
いや、マジで。

で、この発明が受賞した「イグ・ノーベル賞」。
最近では、たびたびニュースに登場することも多いので、ご存知の方も多いことと思うが、アメリカで行われている、ノーベル賞の一種のパロディである。
毎年、ハーバード大学で授賞式が行われているので、同大学が主催していると勘違いしている人もいるが、そういうことではないらしい。
ま、かなり好意的に協力していることは確かだろうが。

この賞の創設者とされるのが、マーク・エイブラハムズという人で、この人自らが、イグノーベル賞について語っているのが、この本。

イグ・ノーベル賞 世にも奇妙な大研究に捧ぐ! (講談社+α文庫)

イグ・ノーベル賞 世にも奇妙な大研究に捧ぐ! (講談社+α文庫)

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

このエイブラハムズという人の本、以前は以下の2冊が書店に並んでいた。
イグ・ノーベル賞 大真面目で奇妙キテレツな研究に拍手! もっと!イグ・ノーベル賞
どうやら、左のほうはすでに絶版になってしまったようだ。
この2冊、両方とも持っている、このブログの中の人も、随分な変わり者かもしれないが。。

で、上記の文庫のほうは抜粋版のようだが、以下の文章は手元にあるハードカバーを元に書きますので、あしからず。

イグ・ノーベルという名前は、英語で反対語につけられる接頭辞「ig」を「ノーベル」の頭につけている、という意味と、浅ましいとか卑劣といった意味を持つ「ignoble」とをかけたネーミングだが、創設されたのは1991年。
主催は“Annals of Improbable Research"という、まあ一種のユーモア雑誌で、エイブラハムズはその編集長である。

どんな研究に対して、賞が与えられるのか?

■受賞のための公式基準
 イグ・ノーベル賞は、「人を笑わせ、そして考えさせた」研究、「真似ができない/するべきではない」業績に対して与えられる。
■受賞のための非公式基準
 イグ・ノーベル賞を受賞する業績は、目を見張るほどバカげているか、刺激的でなければいけない。

なんというか、そこはかとなくアメリカン・ジョークの香りがするが、まあそういうことらしい。

選考基準に「研究が科学的に正しいと認められうるかどうか」は入っておらず、これまでの受賞内容をみると、「ユーモア」と「皮肉」が入り混じった独自の基準で選考されている。
この辺の感覚が、正直、日米で文化的な違いがあるようで、必ずしも「面白い」物ばかりではないのだが、ただ、主催者たちが「真剣に遊んでいる」感覚はすごく好感が持てる。


日本でこの賞がニュースになるときは「発明」「発見」という文脈で取り上げられることがもっぱらだが、たとえば過去には、こんな“業績”も受賞していたりする。

シンガポール首相、リー・クアン・ユーに、イグ・ノーベル心理学賞を授与する。受賞理由は、シンガポールの400万人の国民が、ツバを吐くこと、ガムを噛むこと、ハトに餌をやることを禁じ、違反した場合は罰則を課すことで、心理学上の「負の強化」(禁止実験)を30年間にわたり実践し、その効果を研究したことである。

広島原爆投下50周年を記念誌、太平洋で核実験を強行したフランス大統領、ジャック・シラクに、イグ・ノーベル平和賞を授与する。

こういった政治的メッセージを発することは、最近は少ないようですが。

まあ、でもやっぱり、この賞の醍醐味は、マジメだかふざけているんだか良くわからないような科学的研究にあろう。
以下、タイトルだけいくつかあげるので、内容をご想像いただきたい。

・恋愛と強迫神経症は生化学的に区別できないことの発見
・ビール、ニンニク、サワークリームがヒルの食欲に及ぼす研究
・腸内ガス瞬間脱臭フィルターつきパンツの発明
アポストロフィーの誤用を憂い、正しい使い方を啓蒙する「アポストロフィー保護協会」の活動
(英語圏でも、アポストロフィーの使い方が良くわかっていない人は山ほどいるらしい)
・人間の性行為中の体の変化を、初めてMRI断層撮影した業績
・ダッチワイフを介在した淋病の伝染についての研究
・思春期における「鼻クソをほじる行動」の研究

・・・すいません、ちょっと選択の仕方がかたよってますかね。。。でも、多いんだ、“シモ”なやつ。アメリカ人、こういうの妙に喜ぶところあるしな。。。

日本でイグ・ノーベル賞が多少有名になったのは犬語翻訳機「バウリンガル」や、「たまごっち」(なつかしい!)あたりが、受賞したころからだろうが、実は日本人の受賞者は結構多い。
「カラオケ」とか「兼六園銅像にハトが寄り付かない理由についての研究(金沢大学の広瀬幸雄教授)」(砒素が含まれているため、ハトが寄り付かないことが科学的に証明されたらしい)とか、「ハトにピカソとモネの絵が識別できるよう訓練した研究チーム(慶応大学の研究チーム)」とか、実に多彩な研究が受賞しているのである。

こういった研究がなんの役に立つかといえば、「バウリンガル」や「たまごっち」「カラオケ」は実際にかなりの経済的効果を生み出したわけだし、ハトを寄せ付けない、というのも、なにか応用範囲はありそうな気はする。
ハトの研究だって、鳥の能力を見極めるという意味で、かなりマジメな研究だったのだろう。

こういった研究は、「メインストリーム」にはなりえないのだろうけれど、もしかして、ひょっとすると、クリステンセンいうところのイノベーションにおける「破壊的技術」を秘めているのかもしれない・・・というとちょっと大げさだが。

まあ、あれだ。
「勉強」はつまらないけど「学問」とか「研究」というのは、たぶんそれなりに楽しいものであって、それは、知らないことを知ること、とくに、そこに「意外性」が含まれているとき、人はワケもなくわくわくしちゃったりするものであると、そういうことを言いたいんだろうなあ、この賞をやっている人たちは・・・なあんて思ったりするわけです。
そして、このブログの中の人はなぜか、故・赤塚不二雄先生の「マジメにやれよ!遊んでんだから!」という言葉を、思い出したのでありました。

最後は逃げるが勝ち? ―『中国人のビジネス・ルール 兵法三十六計』梁増美 著 

なんだか尖閣諸島の領有権をめぐって、中国での暴動が大変なことになっているらしい。

ま、この100年くらい(いや、有史以来3000年近く?)あの国は大変なことが続いているんじゃないかという話もあるし、あの程度の暴動は、政府の意向が変われば、しれっと「なかったこと」になっちゃうのがまた、中国という国の凄いところだという説もあるけれど、とりあえず、日系企業への放火だの略奪だの、現代日本人の感覚からすれば、ことは穏やかではない。

このブログの中の人は、この問題について何かを語れるほど中国についても領土問題についても、知識も経験もないけれど、ただ、とにかく「中国」および「中国人」の思考法やら行動様式というのが、日本人とはかなり隔たっているよな、ということは容易に感じられる。

で、そんな中国人の思考や行動の枠組みを理解するヒントが、ここにあるのですよ、というのがこの本のウリなわけだ。

中国人のビジネス・ルール 兵法三十六計

中国人のビジネス・ルール 兵法三十六計

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)
兵法といえば、『孫子の兵法』というのが有名だが、三十六計とは「孫子に代表される数々の兵法が長い年月を経て大衆化し、中国人がほとんど無意識に使うほど深く中華社会に定着した形」なんだそうな。

で、本書の第一章では「『兵法』がわかれば中国人がわかる」と題して、中国における兵法の意義や、それがいかに現代のビジネスにも影響を与えているかを簡略に説明している。
ここで興味を引かれたのは、兵法と儒教という、まったく違う考え方が中国人の中で両立する理由を、「身内と外部」という対立項に対応させて論じているところだ。

儒教といえば、礼を重んじ、長上を敬い、徳によって国を治めることを理想とするわけだけれど、まあ、今の中国にそういう思想が実践されていると思う日本人は少なかろう。
一方で、家族や友人を大切にするのもまた中国人で、一度親しくなれば、きわめて義理堅く付き合ってくれる、という話も聞く。

著者によれば、これは、「身内の人間(中国語で『自己人』)」には儒教で接し、「外部の人間(『外人』)」には兵法で接するという中国人の行動原理によるものだという。

この「自己人」の世界で働く行動原理は「儒教」。そこには高い倫理観があり、人をだますことは倫理的に排除される。<中略>
儒教で、高い倫理観が国家全体に浸透していた理想的な時代とされているのは、周王朝の時代だ。
しかしその後の春秋戦後時代以降、戦乱が続く。このころから、自己人の領域とは別の領域が出現する。それが「外人」の世界。<中略>
この「外人」の世界での行動原理が「兵法」で展開される数々の権謀術となる。

なるほどねえ。
ま、話を簡略化しすぎている気はしないでもないけれど、でも説得力はある。そして、日本人は「外人」なのだろうなということは、容易に察せられる。

もう一つ、興味深いのは、必ずしも儒教と兵法は必ずしも対立するだけの思想ではないという視点だ。

よく知られていることだが、兵法というのは「戦わずして勝つこと」、さらにいえば「戦わないこと」を理想とする哲学でもある。戦いというのは、あくまで「最後の手段」であって、目的は国家を守り安定させることにある。そして戦争というのは国家を滅亡させかねないものであるからこそ、戦うとなれば徹底した計略が必要になる。

一方の儒教というのは「修身・斉家・治国・平天下」、すなわち個人の身を修めることが、家を整え、国を治め、天下泰平をもたらすという考え方に立つ。
つまり、儒教と兵法の目的は同じところに行き着く。
その「手段」が実践されるとき、大分違った様相を見せてくることが多いわけだけれども、一方で「儒教的な価値を守るために戦うことが必要とされている=儒教的な価値観であるメンツあるいは名誉を保全するために、戦うことは当然であるという考え方も中国人は持つ」といった具合に、両者の結合がした地点に、新たな行動権利を生み出す理屈が生じることもあるらしい。

そんな兵法だが、やはり苛烈な状況だからこそ必要とされるもののようで、その将来について、著者はこんなことも語っている。

兵法に対しては、地域や時代、あるいは所得のレベルなどによって、異なる見方が存在する。たとえば、海外華人と大陸の中国人とでは違う。
筆者の限られた経験からみると、香港やシンガポール華人の多くは、基本的に兵法を知っていても外国人に対して積極的に活用しようとは思わないだろう。法治主義が個人利益保護機能を果たし、高い所得水準が法の遵守を実現している場合、兵法という手段で保身する必要性がしだいに低下してくるからだ。<中略>
30年間に及ぶ中国大陸の国内紛争や文化の熾烈な権力闘争を身にしみて経験しなかった海外華人は、兵法よりも儒教を優先しているのだろう。本来的な中国人の志向である。

だからこそ、いずれは「兵法が使われる機会が少なくなっていくのかもしれない」と著者は予言する。だが、まあ、大陸中国でそういう時代が来るのは、まだまだ先という気はするわけだが。

前置きが長くなったが、では「三十六計」とはどんなものか?
本書の第二章では、当然ながらかなりの紙幅をさいて説明しているのだが(そういう本なので)、これが、こういってしまうと何だが、実はそれほど思想的に深みのあるものではない。まあ、大衆化された兵法だから、言ってみれば、「故事成語」とか「ことわざ」のようなものだ。

たとえばこんな感じ。
第一計 瞞天過海 捕らわれの身になった時、天を欺いて逃亡するという意味。世間をだましてうまく逃げること。
第二計 囲魏救趙 真正面から攻撃してはいけない、守備の手薄なところを探して攻撃せよという意味。
第三計 借刀殺人 人の刀を借りて、人を殺すという意味。自分自身では手を下さないということ。
・・・。
(ちなみに、三十六計すべてを知りたい方はwikipediaで検索すれば載ってますです、はい)

本書では、それぞれに解説と、「実際にその計を利用されたエピソード」として、いろいろな実例が挙げられているのだが、微妙にエピソードと「計」がかみ合っていないような印象もなくはない。というか「計」がかなり「アバウト」なせいもあって、かなり幅広いエピソードが無理やり当てはめられているという感じというか。

三十六計の内訳は順に6つずつ「勝戦計=自軍が有利なときの戦い方」「敵戦計=敵と自軍の兵力が同等で対峙しているときの戦い方」「攻戦計=敵をいっせいに攻めるときの戦い方」「混戦計=敵と乱戦しているときの戦い方」「併戦計=敵の力を利用して勢力を拡大する戦い方」「敗戦計=不利な状況に置かれたときの戦い方」に分類されている。

「敗戦計」のなかには「美人計−色仕掛けで敵をたらしこむ」なんていうのも入っているのが、また、いかにも、という感じもする。
現代語でいえば「ハニー・トラップ」というところか。

第三章(終章)では、三十六計を身にしみこませている中国人への「対処法」がまとめられている。
ま、「あらかじめ警戒を忘れない」とか「自分で情報を収集する」とか「相手をすぐに信用しない」というところから始まって、究極的には「自己人」領域に入れるように信頼関係をつくる、といったところで、それほどの「特効薬」はない、という印象だ。

となれば、方法は地道な交流と理解の積み重ねしかなさそうだ。
一方で

中国語を知っていて、しかも三十六計がわかっている外国人などは、最も警戒されることになる。
中国に進出したある日本企業の経営者が、部屋で三十六計の本を読んでいたら、そこに中国人の取引相手が入ってきた。
その相手は本の表紙を見ただけで、一瞬、顔をこわばらせた。そして「私があなたをだまそうとしていると思っているのか」と詰問してきたという

なんてエピソードもあるそうなので、また話は複雑そうだが。

ところで、「三十六計逃げるに如かず」という言い回しがある。

本書によれば、この「三十六計」とはすなわち兵法三十六計のことだとかいてある。
だが一方で、wikipediaの解説では
「『三十六計逃げるに如かず』という故事が有名だが、この故事自体は兵法三十六計とは関係ない。」
魏晋南北朝時代の宋の将軍檀道済は、『三十六策、走るが是れ上計なり』(『南斉書』王敬則伝)という故事で知られるが、檀道済の三十六策の具体的な内容は不明であり、『兵法三十六計』と直接の関わりはない。」
となっている。

どちらが正解なんですかね?

ま、三十六計の最後は
第三十六計 走為上 以上に述べてきた計略を用いても勝てないときは、逃げたほうがいい。
となっているくらいですから、いずれにしろ、こりゃかなわんと思ったら逃げるのが最上の策のようではあるけれど。

語らないものが語ること ― 『無言館ノオト』窪島誠一郎著

そんなわけで先週は夏休みということで、このブログもお休みさせていただきました。・・・というのは、こちら側の勝手な事情なわけだが。

で、休み中、長野県某所の温泉にいったりしたわけだが、その途中でたちよった、とある絵画館にかかわる本が今回のテーマである。

無言館ノオト―戦没画学生へのレクイエム (集英社新書)

無言館ノオト―戦没画学生へのレクイエム (集英社新書)

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

無言館

信州の自然の中に静かに佇む、コンクリート打ち放しのこの建物は、一見、教会のようにも見える。

だが、そうではない。

日中戦争や太平洋戦争で出征し、帰らぬ人となった画学生、いわゆる戦没画学生たちの遺作や遺品を展示した絵画館なのである。
そして、著者は、この無言館の館主。
基本的には、無言館は、私設の美術館なのである。
土地は市から貸与を受けているそうだが、建設費の半分は銀行の融資、半分は寄付金だったそうだ。

本書の第一章には、そもそも無言館が建てられることになった発端のエピソードがまとめられている。

印刷工、酒場経営、小劇場の運営などの仕事を経て、『信濃デッサン館』という私設美術館を建てた窪島氏が、戦没画学生の絵に興味を持つようになったきっかけは、昭和52年、NHKが発行した『祈りの画集―戦没画学生の記録』という画集だった。
これは、同名の特集番組をもとに作られた画集なのだが、そのなかで、各地の戦没画学生の遺族を尋ね、遺作を撮影して歩いた編纂者の一人で画家の野見山暁治について、窪島氏は強く興味を引かれる。

野見山氏は、現役兵として出征したものの、戦地で肋膜を患い、国内の陸軍病院に強制送還されている。
そして、戦後まで生き残り、画をかきつづける。

本書の中に、野見山氏の文章や発言が引用されているので、孫引きさせていただく。

 日本の軍隊が次々と敗けている最中、私は合法的に内地へ舞い戻ったのだ。国運とは逆に私の病状は回復し、八月に終戦を迎えてから一ヶ月たったころ、退院。
 誰の目にもそれは、戦いに疲れて日本へ引き揚げてくる兵士たちの一人に見えた。日本を統治したマッカーサーは、傷痍軍人制度を廃止するために、一時金として私にも大量の金をくれた。親父は世間に恥じて、このことは誰にもいうなと忠告した。私の履歴書はこれらの事実をすべて隠している。

「別に弁解さうるわけじゃないが、この五十年はあっというまだったからねえ……仲間たちが戦死してから、生き残った我々がどれほどの仕事を残したかといえばまったく自信がないんですよ。ことによると、たとえ技術的には未熟であっても、かれらの絵のほうが何倍も純粋だったんじゃないかと思ったりするんです」

やがて、著者は、野見山氏とともに、戦没画学生を尋ね、その遺作を集める旅に出る。その後、野見山氏の心境の変化があったり、いろいろな状況の変化があったようだが、その辺の詳細は、例によって例のごとく、興味のある方は本書をお読みいただくということで。


無言館という名前には、もちろん、戦没画学生たち(その略歴やエピソードは、本書の二章に収められている)も、遺された絵も、自らは何も語らない存在である、という意味がこめられているのであろう。
だが、それだけではない。

著者によれば、戦没画学生の絵は、「ある特有の静けさをたたえいている」という。
それはなぜか。

誤解をおそれずにいえば、それは画学生たちの絵がいっぽうで「現実回避」(逃避ではない)という側面をもっていたからでもあるだろう。戦線参加を前にした彼らの唯一の逃げ場所は、まさしく「絵を描く」行為以外なかった。<中略>
 「無言」ということからいえば、むしろそれを強いられるのは戦没画学生たちの絵の前に佇むわれわれのほうといえるのかもしれない。彼らの静けさにみちた遺作群とむかいあうとき、そのけなげな「現実回避」の痕跡とむかいあうとき、ただ「無言」のまま立ちすくむしかないのは、今を生きるわれわれのほうなのである。

無言館が開館した直後、マスコミによるかなりの取材攻勢にさらされたらしい。
結果として、それは、多くの観覧者をひきつけることになり、運営の安定をもたらすことになったが、一方で、どうしても「戦争の悲惨さ」や「反戦平和」を伝える文脈でのみ報道され、作品そのものの魅力や、「絵を描くことの意味」にまで深堀されることがない、という事実に、著者は不満があるようだが。

このブログの中の人は、絵画を的確に論評するほどの鑑賞眼がないので、その点でなにもいうことはできなけれど、ただ、無言館の所蔵作品のなかに複数あった、「出征が決まって初めて、妻や恋人のヌードを描きました」という作品が、どれも、そこしれぬ力を秘めているような気がした、ということだけ記しておこう。
それは、やはり、その背景を聞いてしまったからこそ持ちえた感想なんかもしれないけれど。

最後に、無言館にある慰霊碑のメッセージの画像を、のせておくことにします。

表面的な議論に流されないために ― 『名著で読み解く 日本人はどのように仕事をしてきたか』 海老原嗣生・荻野伸介著

終身雇用が崩れて、日本人の働き方が変わってきたとか、大学生の就職が大変だとか、派遣やアルバイトなど、若者が非正規労働を強いられて苦労しているとか、不景気が続き、労働者に長時間労働が強いられる中でワークライフバランスをどう確保していくか、とか、「働き方」に関する議論というのが、ここ何年も喧しく続けられている、ような気がする。

まあ、あれですね。
景気が良くて、なんだかんだいって年々給料があがっていくような状況にあれば、みんな多少のことは文句言わずに働くんでしょうが、なにせ20年近くも経済が停滞してれば、みんなあれやこれや言いたくなるわけで。

で、そうした議論の中には、過去の経緯も知らず、本質を見ない表面的なモノも多いんじゃないの?
もちっと、これまでの歴史的経緯や、過去の議論をきちんと踏まえようよ・・・と、そんなことを訴えかけてくる本を見つけました。

日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)

日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)

(↑上の画像や書名はamazonにリンクしています)

共著者のうち、海老原嗣生氏は『「若者はかわいそう」論のウソ』など、興味深い著書をいくつも書かれているので、ご存知の方もいるかもしれない。

本書は、日本の企業における人事のあり方に影響をあげた本を、時代ごとに13冊とりあげ、それぞれの本のダイジェストとその時代背景をまとめた本である。
ダイジェストに加え、全ての本について「それぞれの本の著者への手紙」と「著者からの返信」をつけるという形で、それぞれの内容と課題を浮かび上がらせるという手法が、なかなか面白い。

ご参考までに、とりあげられている本と初版の発行年を記せば、以下の通り。
『日本の経営』ジェームス・アベグレン 1958年
能力主義管理』日本経営者団体連盟 1969年
『職能資格制度』楠田丘 1974年
『日本の熟練』小池和男 1981年
『人本主義』伊丹敬之 1987年
『心理学的経営』大沢武志 1993年
『日本の雇用』島田晴雄 1994年
『知的創造企業』野中郁次郎・竹内弘高 1996年
『人材マネジメント論』高橋俊介 1998年
『雇用改革の時代』八代尚宏 1999年
コンピテンシー人事』太田隆次 2000年
『定年破壊』清家篤 2000年
『新しい労働者社会』濱口桂一郎 2009年 

どうですか? この分野を専門としている方には先刻ご承知の本、なんでしょうかね?
このブログの中の人は、あまり読んでませんが(汗)

あ、あと『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を取り上げないわけ、なんて一説もあって、逆説的な形で、この本にも触れてます。

巻末の参考文献表も含めて310ページ。
活字のポイントを落としたコラムも入っていて、新書にしては内容の濃い本である。
よって、全体をうまくまとめるのは難しいので(ちょっと言い訳)、いくつか個人的に興味深かった部分を以下に記すことにする。

著者によれば、日本の給料の仕組みには、世界でも希な部分があるという。

それは、こんな質問をするとすぐにわかるのです。
「ある外国語教室があったとします。この外国語教室は英語もドイツ語も教えています。ここに二人の教師が在籍しています。講師Aさんは英語しか話せないアメリカ人。講師Bさんは同じアメリカ人ですが、英語同様にドイツ語も話せる人。さて、どちらの方が時給が高いでしょうか?」

日本人の感覚だと、「英独の両方ができるBさんの時給が高い」となる。

だが、たとえBさんが2か国語ができたとしても、両方をいっぺんに使うことはありえない。同時に教えることはできないですからね。
で、AさんもBさんも「同じ英語の授業」を担当している限りは、時給は同じてなければおかしい・・・。
と、これが「職務主義」で、海外ではこちらの考え方のほうが主流だという。

日本では「給料は、その人のもっている能力により決まる」という要素が強く、1か国語しかできない人より2か国語ができる方が、給料が高いのを当然と考える傾向が強いのだ。
これが「能力主義」。
よくいう「職能資格制度」というときの「能」ですね。

なぜ、こういう仕組みができたのか、その仕組みを作り上げた社会的要因や理論的背景は、どういうことだったのか? ということは、本書を通読すれば、一応はわかる仕組みになっている。
そして、その仕組みが、近年、どのように行き詰まりを見せ、どういう方向に変えるべきと考えられているのか、という議論も。

本書全体を貫いているのは、表面的に今の事象をみるのではなく、過去の議論を知ることの大切さだ。

例えば、コラムに引用されている次のような議論。

労務管理制度も年功序列的な制度から職能に応じた労務管理制度へと進化していくであろう。それは年功序列制度がややもすると若くして能力のある者の不満意識を生み出す面があるとともに、大過なく企業に勤めれば俸給も上昇してゆくことから創意に欠ける労働力を生み出す面があるが、技術革新時代の経済発展を担う基幹労働力として総合的判断に富む労働力が要求されるようになるからである。<中略>
年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世代に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」

これ、いつごろの議論に見えるだろうか?
最後の一文は、なんだかバラマキと悪名高い民主党の「こども手当」を思い起こすかもしれないが、これが、1960年、池田勇人政権での、かの「所得倍増計画」に出てくる議論なのである。

就職難や引きこもり、フリーターなどの問題については、こんな風にも語られている。

儲けが減った企業が、社員を酷使したため、就労継続困難人たちで、引きこもりが増えた、とも言われました。<中略>
70年代・80年代に「猛烈社会」「エコノミックアニマル」と呼ばれ、軍隊帰りの古参社会に厳しく怒鳴られていたころは、本当に今より楽な仕事だったのでしょうか?<中略>
当時は完全二日制などほど遠く<中略>、経営倫理もCSR(企業の社会的責任)も、社会にはその概念すらなく、驚くほど酷い労働問題が新聞を賑わせていました。それでも、心を病んだり引きこもる人の数が問題になっていません。なぜでしょうか?<中略>
 その当時は、自営業+農業+小規模(家族経営)法人での就業比率が3割程度ありました。会社が嫌になって実家に帰っても、無職ではなく、彼らがやるべき仕事がそこにあったのです。<中略>
こうした産業構造の変化が、人々の心にも影響を与えている気がしてならないのです。


こんな記述もある。

現在の雇用に関する論客の話す内容。年功制・年齢給を批判の的とし、同様に新卒一括採用を悪しき習慣とする言説が幅を利かせています。城茂幸さん、勝間和代さん、湯浅誠さん、茂木健一郎さん……。<中略>
その中身をよく見ると、清家さんのこの『定年破壊』か、4章でも取り上げた島田春雄さんの『日本の雇用』が種本となっているように思えて仕方がないのです。


そういえば、このブログでも過去に、アベグレンの『日本の経営』について取り上げたことがあるが、本書によれば、あの本、当時の日本でも一部の大企業、しかも製造業に議論が限られており、必ずしも当時の日本企業の経営や雇用の在り方を本当の意味で明らかにしたとは言えないようだ。
しかも、アメリカとの比較考証をおざなりにした、けっこう粗雑な本、ということになるらしい。

それでも、この本は大きな影響を持ち、多くの日本企業は、この本が示唆していた方向に動いた。

その理由は、発売当時の日本社会は、ここに書いている方向に顔を向けたかった。そこで語られた言葉を待っていたからではないか、と思っています。

なるほどねえ。
ま、日本には日本の経営のやり方がある、って訴えた本でもあるしな。


で、日本人は働き方は、これからどうなっていくのか。
そして、どうするべきなのか。
本書の末尾は、こんな風に結ばれている。

たとえば、労働力不足を解消するためには、高齢者の積極活用、女性の本格的な社会進出(今は、圧倒的多数が非正規です)などが喫緊の課題。そうしてギリギリまで人口減少をカバーしたとしても、まだ人が足りなかったらどうすればいいか?
 2012年から生産年齢人口は年間100万人近いペースで減少を始めます。80〜90年代の失敗を繰り返さないように、今のうちに真剣にこの国の新しい「働き方」を考えていくべき時ではないでしょうか?

俗耳に入りやすい議論だと、ついつい「不景気で若者に仕事がない」という問題が語られがちだが、この国がこれから抱える「働き方」の問題は、そんなところにはない、というのが、著者らしい。

で、その辺を考えるには、せめて、前記の13冊くらいや読んでおくといいのかなあ、とは思うけれど、これはなかなか、ハードルが高そうではありますなあ。。。

「究極の他者」と関わるために ―『日本仏教の可能性 ― 現代思想としての冒険 ―』末木文美士著

前回、新渡戸稲造の『武士道』を批判的にとらえた本を取り上げたわけだけれど、『武士道』という本の冒頭には、こんなことが書かれている。

約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラブレー氏の歓待を受けその許(もと)で数日を過ごしたが、或る日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたの奥にの学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教なし! どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れない。

そして、確かに日本では、欧州のような宗教教育は行われていないし、欧州のキリスト教のような「宗教にもとづく倫理意識」はないかもしれないけれども、「武士道」という伝統的な倫理が日本人を律しているのだ・・・ということを証明しようとしたのが、武士道という本だったということなのだろう。

日本人には宗教意識が希薄で云々、ということはよく言われることだけれど、でもその一方でお盆にお墓詣りを欠かさない、という人は案外多いし、葬式ということになれば、とりあえずお坊さんが来るものだろう、と、なんとなく思っている。
お寺や神社が好きという人も思いのほか多い。
「宗教は?」と聞かれると、「一応、仏教かなあ?」みたいな至極あいまいな答えをしちゃったりするのが、まあ、フツーの日本人という感じだろうか?

そんな「一応」なんて片づけられてしまいがちな仏教の可能性を考えてみましょう、という本を見かけたのでタイトル借り(@図書館)してみました。

日本仏教の可能性―現代思想としての冒険 (新潮文庫)

日本仏教の可能性―現代思想としての冒険 (新潮文庫)

本書の言葉を借りれば、著者はこんな立ち位置の人。

私はもともとお寺とは関係ない人間で、今でも出家しているわけでもなんでもありません。仏教の研究者はお寺の出身者が多いので、私のように純粋に外部にいる人間は珍しがられたりします。仏教界の事情に通じていないので、おかしな勘違いがあったり、お寺の方には失礼があったりするかもしれませんが、その点はお許しください。逆に少し外から仏教を見ていますので、内部にいると見えないようなところが見えてくる、そういう利点はあろうかと思います。

中身は、講演がもとになっているので、門外漢にも、まあ読みやすい本ではある。

論点はおもに以下の4つだ。
仏教の近代化とその問題点
・死者とどう関わるか
・神仏再考
・禅の可能性

著者の宗教観の前提には、宗教が単純な人間社会の倫理や道徳を逸脱した畏怖すべき恐ろしいものを扱うものである、という考え方がある。
人間の日常的な生活からは飛び出してしまうエネルギーを秘めつつ、それを人間の側に引き戻そうとする努力。
そこにこそ宗教がなにがしかの指針を持ち得る可能性がある。

そういった意味で、宗教が力を持つ一つの領域が、「死者とのかかわり方」という問題で、その意味で「葬式仏教」に価値を認めるというのは、興味深い考え方だ。

人間は原理的に、生きているうちに「死」を体験することはできない。
これは、哲学者のヴィットゲンシュタインが言っていることで、カントなんかは「死後の霊魂は認めても否定しても矛盾に陥るということで、純粋理性ではそれは論じられない」と言ったそうだけれど、とにかく、死者というのは、生きている人間にとっては、決して本当の意味では理解できない存在であるわけだ。
そして、身近な人が突然「死者」になるということは、だれにもが体験する出来事でもある。

この辺の議論では、内田樹氏によるレヴィナスの解釈なども引用されて、仏教の思想と西洋哲学との接点が垣間見えるのが、興味深い。

で、そういった前提を置いたうえで、著者はこう語る。

例えば親しい身内の人が亡くなったとき、その死者との関係がなくなるわけではない。生きている人間は死者との関係を持ち続けていかなければならない。
 そうだとすると、自分の死ということで死を問題にし、あるいは死後がどうかという形で問題にするから、我々にわからない問題になってしまうのであって、そうではなくて我々が何らかの形でかかわらざるを得ない死者の問題として考え直すことによって、別のとらえ方ができるのではないかというのが最近私が考えていることです。

この視点に立った時、死者への儀礼をつかさどり、死者の霊魂を慰め、生きている人間が死者を思うための場を提供し、生の意味を考える思想としての宗教の役割が出てくる・・・。
このブログの中の人が理解した範囲で言えば、著者の主張は、こんな感じにまとめられるだろうか。

実は仏教の輪廻転生の考え方と、日本人の伝統的な死生観にはいろいろと齟齬があったりするらしいのだが(たとえば、仏教では死者の魂は49日間ただよったあと輪廻転生することになっている。だから49日に法要を行うわけだが、その後はつまり「形を変えて生まれ変わる(但、悟りを開いて輪廻から解脱していない場合)」わけだから、49日が終わった後にも「法事」を行うのは、理屈に合わない話になるそうだ)、そういった問題も含めて、「究極の他者」ともいうべき死者と、我々がどうかかわっていくのか。
その指針を示すのが宗教の役割であるし、また、「究極の他者」とのかかわり方は、また、広い意味での「他者」との了解の仕方にかかわる問題でもあろう。

勿論、著者は、死者に「お布施の金額」で階級をつける現在の戒名制度に象徴的にみられるような、単なる儀礼に堕した現在の葬式仏教をそのままで良しとするわけではない。
だが、日本における宗教の堕落を象徴する言葉ともいえる「葬式仏教」という言葉に、こういう切り口から新しい視点を吹き込むというのは、極めて興味深いと思う。

死者の問題というのは、そこに「戦没者」という人たちを導入することで、靖国神社の問題なんかにも広がってくる。
この話は、はなはだ複雑かつ微妙なので、ここではただ、本書ではこの問題について、、「国のために戦った個人を神として神社に祀る」というのは、明治以降、靖国神社が初めて取り組んだことであって、必ずしも日本の伝統というわけでもなければ、日本人の伝統的な死生観ときっちりした整合性を持っているわけでもない、という立場に立って論じられていることを記しておこう。

他にも、日本の仏教は、明治時代に僧侶の肉食妻帯が公式に認められたことによって大きく変質した、とか
明治維新神仏分離されるまでは、日本における神道仏教は渾然一体となっていて、必ずしも神道こそが日本の文化の古層をなしていると言い切ることはできないとか、
一神教に比べて多神教は寛容だというけれど、日本におけるキリスト教弾圧の歴史を考えるとき、寛容とはなんだろう、とか、
興味深い論点の多い本である。

そして、なにより、ああ、仏教徒なのに(一応、実家の葬式や法事はすべて仏式)、仏教のことって知らないなあ、と思わされる。

本書によれば、積極的に社会的な発言したり、活動したりする仏教のことを「エンゲイジド・ブッティズム」というのだそうだ。
本書によれば、日本語訳が必ずしも定着しておらず、「社会参加仏教」などと訳されているそうだが、著者もいうとおり、訳が定着していないということは、日本の仏教界が、まだまだ、そういう活動になじんでいないということだろう。
台湾では「人間仏教」という呼び方で、ボランティアなどの社会活動に積極的にかかわっているそうだが。

関わるのがよいことなのか、という論点はとりあえず措くとして、なぜ日本の仏教界から、今一つそういう動きが盛り上がらない(全くないわけではないが)のか、本当に仏教はもはや形式的で儀礼的で時代遅れなものなのか、そんなことを考えるのに、よい本でした。
そしてもちろん、著者はけっして時代遅れとは考えていない。
それはなぜなのか?ということに興味があるかたは、お読みいただければ、と思うわけで。

まあ、そんな理屈は考えなくても、特に、ある程度の年齢になると、お寺って不思議と癒される場所ですけどね。
で、「そうだ 京都 行こう」なんてCMに誘われて、京都のお寺で心癒されてみるのもいいけれど、そこから一歩先に進んでみるのも、たまにはいいんじゃないか、なあんて、京都在住経験があるからこそ、このブログの中の人は考えてみたりするわけです。

本当の「伝統」について考える ― 『武士道の逆襲』菅野覚明著

がんばれニッポン!
というわけでオリンピックが開幕したものの、どうやら「ニッポンのお家芸」である柔道のメダルの数が伸び悩み、もやもやした気分の方も多いのではないかと思う。

まあ、さすがに柔道でメダルが取れなかったからといって「今どきの選手は大和魂が云々」などという人は大分減ってきたように思うが、以前はそんな言論があったりしたものだ。
まあ、「観客にわかりやすいし、テレビ映えもいい」という理由で欧州から提言されたブルーの柔道着が採用されたあたりから、柔道は「日本の武道」から「世界のスポーツ」になったわけで、もはや「大和魂」だけで勝てるもんでもなかろう。

日本の柔道界は
(1) 白色は、純粋廉潔等を旨とする我が国武士道精神の伝統の象徴であり、この心を普及することこそ柔道発祥国日本の使命である、
(2) 競技をする上で選手は、白色と青色の2着の柔道衣にプラスして、万が一破損した場合の予備としてそれぞれ1着ずつの2着、総計4着もの柔道衣を用意しなければならない煩わしさ、不経済さはよろしくない
といった理由で、柔道着のカラー化には反対しそうだが、まあ「我が国武士道精神の心を普及する」なんてことに固執しちゃったら、逆に「平和の祭典」オリンピックの競技にするのが難しそうではあるな。
(参考URL http://www.sportsclick.jp/judo/01/index15.html

とはいえ、日本では柔道はやはりオリンピックの中でも特別な意味合いを持っていて、メダルの数に、ほかの競技以上に注目があつまるのは、柔道が「我が国武士道精神」を受け継ぐ特別なものであって、ただのスポーツではないという気持ちが、多くの人の心の中に根付いているからかもしれない。
ま、このブログの中の人は、中学高校の授業でちょっとやらされた位でしか、柔道のことは分かりませんけれども。

で、前置きが長くなったが、「我が国武士道精神」って本当のところはなんじゃいな? というのが、今回取り上げた本のテーマである。

武士道の逆襲 (講談社現代新書)

武士道の逆襲 (講談社現代新書)

武士道といえば、新渡戸稲造(旧五千円札のおじさん)の『武士道』という名著があって、今でもここに描かれる気高き日本人の心を賞揚する人は少なからからずいるわけだが、本書は、のっけから新渡戸の説いた武士道に喧嘩を売る。

学問的な研究者を除く一般の人々――とりわけ「武士道精神」を好んで口にする評論家、政治家といった人たち――の持つ武士道イメージは、その大きな部分を新渡戸の著書によっている。そして実はそのことが、今日における武士道概念の混乱を招いている、もっとも大きな原因なのである。
〈中略〉
それは一言でいえば、新渡戸の語る武士道精神なるものが、武士の思想とは本質的に何の関係もないということなのである。

第一章の10数行目でこの啖呵の切り方は、もはやすがすがしと言っていいくらいで、ある意味、読者の期待を否が応でも高めざるをえないが、では新渡戸稲造の書いた武士道とはなんだったのだろう?

著者は、新渡戸稲造をはじめ多くの論者によって、明治中期以降、日清戦争日露戦争において、日本が近代で初めて外国と戦争をした時期から、盛んに論じられるようになった「武士道」を「明治武士道」と名づける。

明治維新によって、いったん武士の時代が終わりをつげ、当然ながら、本来の「武士道」も役目を終えた。主君と家来、それも一部の階級だけが「軍事」を担っていた時代が終わり、徴兵で全国民をあつめた「軍隊」が国防や対外戦争を遂行する。
軍事面で明治政府がやりたかったことは、つまりそういうことだから、いったんは「武士道」なんて否定せざるをえない。

そもそも武士というのは、自分の実力だけを頼みに、死と隣り合わせの戦いを勝ち上がっていく男たちの思想であって、そういう男たちが、ある主君の下で家族的共同体を作るのが武士の集団である。

武士たちにあっては、肉体の全てが武器であり、精神もまたすべて武器であった。手足と頼む一族郎党と、それを支える所領財産もまた、間接的な肉体であり、精神であったといえよう。実力の追求とは、それをいかに拡大し、また十全に駆使できるかという一時であった。
〈中略〉
武士の実力は、基本的には、リアルな物質的な力の総合にある。現実に己の存亡を懸けている現場にあっては、そのことを単純に否定するような妙な精神主義の入る余地はない。

そんな集団がいくつもあっては、近代国家がまとまるわけがないのであって、それを解体し、「大和心」の下に再編成しなければいけない、と、明治政府は考えていた。一方で、日本で軍事を担ってきた人々の道徳というのは、武士が長年培っていた「武士道」以外に、当時の日本には存在しない。
となれば、その遺産をうまく受け継がなければいけない。

だから「背反する二つの事柄の微妙な均衡の上に成り立っている」のが、明治に作られた『軍人勅諭』なのだと著者は言う。
この辺、詳しく論じだすと話はややこしいのだが、一例としてあげれば、『軍人勅諭』の掲げる五ケ条の道徳は「忠節」「礼儀」「武勇」「真偽」「質素」であって、これは、江戸以前の武士道とほとんど重なっているように見えるのだが、そのよって立つ論拠が、全く異なっているという。
たとえば、旧来の「忠節」は、直接に主君の「御慈悲」「御情」にたいして奉公することであるけれど(いわゆる「ご恩と奉公」ってやつですね)、明治政府が「大御心」にたいして求める「忠節」は、もっともっと抽象的だ・・・という具合に。

で、明治政府が慎重に排除しようとした「武士道」が、再び論じられるようになったのはなぜか。

日露戦争期における武士道論議は、欧米のメディアと日本国内の言論界で、同時期に高まったものである。それは、大きくは、日本が勝利を得た原因を問う、東西文明論という文脈の中での議論であった。

誤解を招くことを覚悟の上で、簡単にまとめてしまうと「日本は東洋の遅れた文明の国である。それが、欧米(=ロシア)に勝てたのはなぜか。それは武士道という、西洋文明にも負けない立派な精神があるからである」という形で再発見された、という感じのようである。
その「再発見」は、私見によれば、「都合の良い後付の理屈」のようでもあるのだけれど。

もう一つ、新渡戸稲造の場合には、彼が熱心なキリスト教徒であることも、話をややこしくしている。

考えてみればこれは意外なことなのだが、新渡戸稲造の『武士道』には、文中に出てくる人物の索引が付いているのだが、これが、日本の武士などよりも欧米人のほうが圧倒的に人数が多い。
で、実際に読んでみると分かるのだが(岩波文庫ですぐ手に入る)、この本、やたら「日本の武士のこういうところは、西洋のこういう考え方と一緒である」といった記述が多いのだ。

なんで、そんなことになっているのだろう?
その理由は、つまり、こういうことだ。

日本は、キリスト教国ではない。新渡戸のような日本人キリスト者は、西洋から見れば日本人であり、日本から見れば西洋人の一種たるキリスト教徒である。新渡戸の立場は、西洋に対しては日本人がキリスト者たりうることを説明せねばならず、逆に日本に対しては、自分たちが西洋の手先ではない日本人であることを説明しなければならぬという、二重に引き裂かれたものなのであった。

ということで、新渡戸稲造の武士道は、日本の伝統と西洋文化の接点をつなぐための苦心の著作であって(もちろん、それ自体の価値はあるけれど)、江戸時代以前の武士道とは、かけ離れたものですよ・・・というのがこの本の主張なのでありました。

では、「本当の武士道」ってどんなものだったのか?というのも、本書には十分にかかれていて、というより、そちらのほうが圧倒的にページ数は多いのだが、まとめにくいので今回は割愛します。
それが価値がないという話ではなくて、このブログの中の人の文章力の問題(つまり、簡潔にまとめられる自信がない)ということなので、御了解をいただきたく。

・・・ま、あれだよ。
「これが日本の伝統だ!」とか言われているもので、じつは、明治時代あたりに急ごしらえで作られたものだったりする、という例は案外多いような気がする。
それって、少なくとも、伝統という観点から言えば、「本物ではない」ことは確かだ。
ま、だからといって「殺し合いで天下をとる」ことを是とする世界で生きていたような、「本当の武士道」を復活させようなんて、土台無理な話だと思うけれど。